家出宣言する村人

「……母さん。俺、家を出るよ」


 フレアと手を繋ぎながら、家に帰った日の翌朝。俺はついに今まで言えなかったことを、言い出した。


“村人”である俺が、そんなことを言っても相手にされないのが普通だろう。でも、母さんは違う。母さんは俺の話を真面目に聞いてくれるのだ。


 父さんは出かけている。母さんしかいない今だからこそ、俺はそう言った。母さんだけなら、押し通せると思ったから。


 甘えだと思われても構わない。事実、俺はは母さんに甘えているのだから。


「……行くあてはあるの?」


 リビングに置かれている一つの机の一辺に一つずつ置かれた椅子のうち、俺が座っていた椅子の右側にある椅子に腰掛けていた母さんの声音は、いつもと同じで透き通っていた。


「儀式があったあの日から一月ひとつき。俺は調べていた。“村人”でも強くなれる方法を。でも、そんなもの無かった。だけど、その代わり、面白い情報を見つけたんだ。“鬼人法”っていう技能を習得出来れば、“村人”の“ステータス”の低さをほんの少しだけ、補えることが分かったんだよ。それで、その“鬼人法”を習得している人は、この村の出身者で、まだ生きていて、山奥でひっそりと暮らしてるらしいんだ」


「ユー君は……その人の元に行こうとしてるの?」


「うん」


「死なない? 危なくない? ユー君が死ぬようなことがあったら、母さんは……」


「心配しないで、母さん。せっかく、母さんと父さんが与えてくれた命だから、無駄になるようなことは絶対にしないから。危なかったら、諦めるよ」


 嘘偽りは言っていない。死ぬ危険性があれば、諦める。それは本当だ。母さんを安心させる為の嘘なんかではない。


「……母さんが悪いのよね。ユー君を“村人”として、産んでしまったから」


「母さん。俺はそんなこと思ってないよ。そりゃ、確かに戦闘職として生まれて来てれば、ここまで苦しい思いをしなくて済んだのかもしれない。でも、俺は、“村人”とか、そんなことどうでもいいって思えるくらい、母さんの元に生まれて来たことを、幸せに思ってるんだ」


 母さんは、息子である俺が言ったことが嬉しかったのか、瞳を潤し始めたと思ったら、俯き、動かなくなった。


 しばらくして、母さんは意を決したのか顔を上げ、俺の手を強く握りながら言った。


「……母さんが父さんには言っておいてあげる。ユー君は、自分の為に、行ってきなさい」


「本当に?」


「えぇ。本当よ。でも、一つだけ、母さんと約束。……必ず、母さんたちの元に、生きて帰って来ること。約束出来る……?」


 母さんは言い終わった後、右手の小指を出してきた。俺はこの世界にも、指切りげんまんがあることに驚きつつも、母さんの小指を右手の小指で引っ掛けて、「約束する。俺は必ず生きて、ここに帰って来ることを」と、母さんの顔を見ながら言った。


 母さんはそのことに関しては、何も言って来なかった。


「ユー君。早く朝ご飯、食べちゃいなさい。冷めちゃうわ」

 

「うん」


 朝食を食べる前だったことを、すっかり忘れていた俺だったが、母さんの言葉で思い出し、机に置かれている朝食を食べ始めた。


 朝食は、黒パン以外に、野菜とベーコンのスープ、目玉焼きが並んでいる。


 え? 何? 何で黒パンが並んでるのかって? 貧乏だから? はい、そう思った方、残念ながら、そうではない。


 まず始めに言っておくが、家はそこまで貧乏じゃない。だが、栄養を重視する母さんが、高価で柔らかいが栄養に偏りがある白パンではなく、安価で硬いが栄養のある黒パンを食卓に並べるのだ。


 黒パンは、父さんには不評で、いつも文句垂れながら食べるのだが、最後には「美味かった」と言って、満足そうにするのが、日常となっている。


 俺はそこまで黒パンが嫌ではないのだが、何より硬い。スープのような汁物に浸して、柔らかくしてからじゃないと、硬すぎて食えたもんじゃない。


 それ以外は、何の不満もない。元々俺はご飯派ではなく、パン派だったから、というのもあるが、まず、俺は食えたら何でもいいのだ。


……嘘です。はい、すみません。不味いご飯は食べたくありません。まだ不味いご飯は食べたことはないが、出来れば美味しいご飯をずっと食べていたい。


 というのも、前世での俺の母さんは、料理に関係のある仕事をしていたので、料理の腕は言わずもがな、今の母さんの料理の腕も、十分なほどだ。


 はい、母さんの自慢は置いておいて、最も気になるのは目玉焼きの件だよな? この世界も、異世界特有の食文化と変わりはない。


 魚は基本食べないし、米はあまり流通していないのか、食べられていない。勿論、卵料理なんて異世界では耳にしない言葉だ。


 なのに、母さんは目玉焼きだけではなく、卵焼きやオムレツ、オムライスまで作ってしまう。


 一体母さんは何者なのだろうか。そう思ったこと、一度や二度だけではない。俺が一番驚いたことは、何より唐揚げや豚カツといった揚げ物を食卓に並べたのだ。


 父さんは揚げ物を見て、首を傾げていたが、母さんと同じように、茶色いソースをかけて口に運ぶと、何とも情けない顔をしていたのを、今も容易に思い出せる。


……と、また母さんの自慢話をしてしまったな。それじゃあ、食べることにしようか。手を合わせて、「いただきます」


……やっちまった。この世界には、日本のようにご飯を食べる前に挨拶をする文化などないのだ。


 今まで母さんや父さん、フレアやフレアの両親に変な目で見られないように避けていたのに、気を緩めていたのか、言ってしまった。


 俺は母さんの方をチラッと見るが、母さんは俺の方に目をくれず、普通にスープをスプーンで掬って飲んでいた。


 おかしい。そうは思ったが、聞こえてなかったのかもしれない。そう思い、俺は食べ始めた。


 




 



 

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