第101話たまにはムカつかない日をよこしてよ

「やっと見つけた」


「………………」


見なかったことにしよう。


私は再び家に帰ろうと思い、体を回す。


「ちょっと、なんで無視するの?」


後ろを向く私に動揺したバスティアンは私の腕を両手で持ち直した。両手で掴むバスティアンは私の腕を掴んで離そうとしない。しかも、さらに力を込めてくる。

私はそれでも帰ろうと足を前に出す。


「見なかったことにするんだよ、離せっ」


前に進みたいのに一歩も前に進まない。それどころか、少しずつ後ろに下がっている。


「見なかったことっておかしでしょう、こうして話してるのに」


「いたたたたっ、腕引っ張んな、痛い」


なんで自分の腕で引っ張り合いしなくちゃいけないんだよ。


「逃げなかったら引っ張んない」


「逃げるんじゃない、帰るんだよ」


これ以上後ろに下がらないように私は懸命に踏ん張り、足を前に出す。

足を前に出すのをやめれば腕を放してくれるとわかってはいるが、それはなんとなく癪に障るから嫌だ。


こうなったら意地でも帰る。

こっちはだるくて疲れてるんだ。オマエに構ってる余力は今の私にはない。

帰らせよ、離せ。


―――いや、ていうか。


「痛い痛い痛い痛い!マジで痛い!離せ、このチビ!」


腕もげるもげるもげる。


「はぁ!?嫌だね。絶対離さない!」


「離せってば!」


「止まってくれたら離すよ!」


「離せ!」


「離さない!」


言い合いながら私たちは引っ張り合いで後ろに下がっては進み、下がっては進みを何度も繰り返す。


立ち止まる?そんなの嫌に決まってるだろ。

ここで立ち止まるということはオマエの相手を数分でもしなくてはいけないということだ。

ふざけんな。せっかく人がおとなしく帰路につこうとしていたのになんでそんなあからさまなフラグに巻き込もうとするんだ。


立ち止まりたくない。立ち止まりたくないけど。


(マジで腕痛いマジで腕痛いマジで腕痛いマジで腕痛い)


バスティアンは一向に私を離そうとしない。ぐいぐいと両手でがっちりと掴みながら引っ張り続けている。


おいこら、私の腕は綱引きの綱じゃないんだぞ。生身の腕なんだぞ。

ていうか、さっきから痛いって言ってんのになんでますます力込めてくるんだよ。

女であり乙女ゲームのヒロインである私が痛いって言ってるのにどこに耳つけてるんだ。


「絶対離さない!」


後ろを振り返らなくても声だけでわかる。

完全に意地になってるな、こいつ。いや、頭に血が上っているほうが正しいかもしれない。

さっきの「チビ」呼ばわりが逆効果になったのか。


「あ~、もう。痛いって!」


劇場の地下で腕を掴まれた時はなんとか振りほどけたのに、今は両手で掴まれているためかまったく振りほどけない。

立ち止まりたくないし、相手にもしたくない。

でも、それ以上に腕がめちゃくちゃ痛い。


今、立ち止まったらまるで私が根気負けしてこいつの言葉に従うみたいじゃないか。

そんなのめちゃくちゃ癪だ。


―――癪すぎるがもう、だめだ。痛みに負けた。


ああ、くやしい。


私は体の力を少し抜いた。


「うわっ!」


私がいきなり力を抜くと思わなかったバスティアンは突然の勢いに踏み込むことができず、そのまま後ろに倒れ込む。私の腕を掴んだまま。


「ちょ、ちょっと!一人で倒れろ!」


引っ張る力があまりにも強かったため、私も対応できずになすがままに前に倒れ込んだ。

やばい。このままではバスティアンの体に覆いかぶさる。端から見たら転倒なんて一瞬のことだろうが私にとっては体を傾けるこの時間がゆっくりに感じた。


デジャブを感じる。最悪なことにシオンとばったりと出くわしたあの日。

ビンの上に足を置いてしまい転びそうになった時、私を助けようと手を伸ばしてきたシオンを勢いのまま、押し倒したんだった。


ああもう、最悪。せっかく忘れていたのに。でもこのままだとあの時と同じ構図になる。

しかもあの時よりも顔が近い。バスティアンの睫の長さがわかるほど。


近い近い近い!目が!鼻が!唇が!


なんでヒロインが攻略キャラの上に倒れると顔が近くなるんだよ。これだからフィクションは嫌いなんだ。このままいくと乙女ゲームの定番中定番のワンシーンの出来上がりになってしまう。


そうはいくか。こんな気色悪いハプニングなんて絶対認めない。

私は右手にぐっと力を込めた。


「やだやだやだ近い近い近い近い」


こつん。


額と額がくっついた。額だけがくっついた。

くっついてしまった。


バスティアンは見事に地面に仰向けになっているが、私はその上に覆いかぶさることはなかった。額と額だけがくっつくだけで両足のつま先がギリギリまだ地面についている。

つま先を地面につけたまま体を大きく屈ませて、倒れている少年に覆いかぶさっているようで覆いかぶさっていない図はかなり奇妙に見えるはずだ。


奇妙に見えるから通行人が私を見てくすくすと笑っているんだろう。

でも、仕方がない。奇妙だろうがなんだろうがこれも覆いかぶさらないためだ。


「うぬぬぬぬ」


くぐもった声が出てしまう。私は今までにないくらい右手に力を込めている。

右手に宿っているノアを発動しているからだ。


今までは財布やコップなど軽いモノしか動かしていない。

人一人を動かすなんて初めてだ。


うわ、すっごいぐらぐらする。財布と懐中時計を初めて浮かばせた以上に感覚が揺れ動く。

そして重い。まるで片手に大の大人を乗っけているみたいだ。


ぷるぷると体が小刻みに震える。体を持ち上げようにもなかなか上がらない。

きつい、きつすぎる。これはあの感じに似てる。

腕立て伏せだ。腕を下ろせるところまで下ろしてそのまま体を上げようとチャレンジするけどなかなか上がらず、同じ状態のままキープし続ける羽目になる時と同じ感覚だ。


つらいしきついしめちゃくちゃ疲れる。

この感覚を早く手放したい。


(手放したい………けど、手放してたまるか)


今はノアがあるからなんとかバスティアンの上に覆いかぶさらずにいるけどここで手放したら大惨事になる。


私は絶対にこいつの上に転倒なんてしないぞ。

乙女ゲームの定番パターンなんかに乗っかんないぞ。


ていうかバスティアン、なんでオマエは微動だにしないんだ。

私の状態に呆気に取られているのか知らないが、ずっと私を凝視してるんじゃない。


退くとか押しのけるとかできるだろうが。


いやいや、まずは目をつぶれ。

目を見開いてるんじゃない、なんか嫌だわ。


私は血管が切れそうなほど力をぐっと込めた。


「こんのっ!」


火事場の馬鹿力とはこのことだろう。

徐々にだが体が上がっていく。


(上がれ上がれ上がれ上がれ上がれ)


「上がれっての!」


気合を声に込めたおかげがぐいっと体が上がり、ノアを使わなくてもいい体勢まで戻すことができた。今の私の右手のノアはまだ人間をコップや財布のように動かすことはできないが倒れかかった私くらいの体重の人間を作用する力にノアを加えれば元の体勢に戻すことはできるとわかった。これも時々念動力の練習をしていたおかげか。


「おっとと」


私はよろける体を押さえるように膝に手を置く。


「………………はぁ、はぁ、はぁ、なんでこんな疲れなくちゃいけないんだ………………さっきまで帰って寝ることを考えていたのに………………帰って寝るのがそんなに駄目なの―」


「ぷっ」


「………………あ?」


「ぷっ」?今「ぷっ」って聞こえなかったか?

いや、聞こえた。絶対聞こえた。


私は顔をばっと声がした方向に向けた。

仰向けになっていたバスティアンはいつのまにか起き上がり、無表情で私を見ている。


「今笑った?」


「笑ってない」


「笑っただろ?」


「笑ってないって」


嘘つけ。手がぷるぷる震えているぞ。

笑うのを我慢してるんだろ。


私のさっきの大道芸みたいな動きを通行人が笑うのは百歩譲ってまだ許せる。

でも、オマエは私を笑うんじゃない。一体誰のせいで私がさっきみたいな体勢になったと思うんだ。

オマエが帰ろうとする私を無理やり引き止めたからだろ。

しかも倒れるとき私を巻き込みやがって。


倒れるんだったら一人で倒れればよかったんだ。

無駄に私に恥かかせて一体なんの恨みがあるんだ。


「ちっ」


ああ、ムカつくな。

攻略キャラクターと関わってムカつかない日なんてないんだな。

たまにはムカつかない日をよこしてよ。

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