第102話「そんなこと、知るか」
バスティアンはこほんと咳払いし、立ち上がった。
「とりあえず謝るよ。ちょっと強く握りしめたからさ」
「ちょっと?めちゃくちゃ痛かったんだけど」
私は握られた自分の腕をさする。いまだにじんじんとした痺れる痛みが残っている。
「それは………………ごめん」
バスティアンは頭を下げた。
「別に僕の上にそのまま転んでもよかったのに」
そんな気色悪いことできるか。
「女の人が上に転がってきたからって怪我するほどヤワじゃないのに」
「は?」
「何時間も舞台の上で動き回るから、けっこう鍛えているつもりだから」
「あ?」
もしかして私が覆いかぶさらないように右手のノアを使った理由がバスティアンに怪我を負わせないためだって思われてる?そんなツンデレみたいな考えを私がしてるって思われてる?
ふざけんな。何、気色悪い勘違いしているんだ。
「ねぇ、さっきのってあんたのノア?」
「知らない」
私は体を傾けた時、落としてしまった帽子を拾い、ぷいっと顔を背けた。
「いや、ノアだよね………………ふっ」
今度は隠すことなくプッとバスティアンは噴き出した。
「今確実に笑っただろ?」
ムカつきすぎて頭が冷静になってきた。
考えてみると今の私って端から見たら不快感で顔を背けたんじゃなく照れて顔を背けたように見えないか。
またしてもツンデレだって誤解されてる?私がツンデレ?
まじありえない。
「でも、君だって悪いんだよ?ぜんぜん僕の話を聞いてくれないからさ」
「………………帰る」
私は帽子を深く被りながら言い捨てた。
「だから今から………………って、え?」
ダメだ。これ以上ここにいると目の前の諸悪の根源を引っ叩いてしまうだろう。引っ叩いてもいいが、ノアを使ったせいで体力と気力のほとんどを消費してしまった。残っている体力と気力は帰路に就くことに費やしたい。腕をぶん回してギリギリ残っているものを消費したくない。
すごいな、私。ムカついていてもこうやって頭の中で冷静に処理できるんだから。
私は再び、くるりと体を回した。
「ちょっと待って。話を聞いてくれるんじゃないの?」
またしても両手で掴まれた。さっきと同じ格好になる。
「………………いちいち腕掴むな。この腕掴みモンスター」
腕を引いたがやっぱり離してくれそうにない。無理に振り払おうとすれば、きっとさっきの二の舞になるのは目に見えている。
腕の引っ張り合いになり、最終的には二人ともすっ転ぶ展開。しかも、もうノアで体を支える自信がないため、額と額がくっついた時以上の大惨事になる可能性大。
本当は帰りたい。帰りたくて帰りたくてたまらない。でも、このままだとさっきと同じ展開になる。
またしても乙女ゲームのお決まりの格好になるくらいなら………………。
「………………あ~、もう」
私はこれ以上ないくらい脱力し、体をバスティアンの方向に嫌々向ける。
「私、早く帰って寝たいの。3分くらいで話して」
バスティアンは私がやっと話を聞く態勢に入ったことにほっと息をつき、ずっと掴んでいた私の腕を離した。
結局はこうなるのか。
私が何をしようが私がヒロインである限り、面倒事には巻き込まれる運命なのか。
「で、話って何?」
私は不機嫌丸出しのオーラを出しながらも、聞きの体勢に入る。
まぁ、一応予想はだいたいつくけど。
「まだ返事聞かせてもらってない」
「返事?」
「次の舞台に来てくれるかどうかの返事」
「私の返事を聞くためだけに私を引き止めたの?」
「そうだよ」
バスティアンは迷いのない声で答えた。
よくもまぁ、そんなまっすぐな瞳を心底うんざりしている人間に向けられるな。
「だって、僕は舞台に来てほしい返事を「はい」か「いいえ」で答えてほしかっただけなのにあんたは「後日」というはっきりしない答えしか出さなかった。僕、そういう物事をうやむやにするのって嫌いなんだ」
わざとうやむやにしたんだよ。適当にはぐらかせば、私への興味も自然となくなると思っていた。
まさか、こうも裏目に出るとは思わなかった。
「それで来てくれる?くれない?」
「どうせ私が行かないって言っても諦めないくせに」
「もちろん。用事があるのならしかたないけど、その時は次回公演のチケットを受け取ってもらおうと思ってる」
即答か。
「なんでだよ。そもそも舞台公演見る、見ないなんて客の自由のはずだろ?ていうかそんなの私よりもオマエのほうがわかってると思うけど。舞台に興味ある人間だっているし興味ない人間だっている。別にいいじゃん、私みたいに舞台にまったく興味を持てない人間がいても。なんで、役者のオマエがたった一回観ただけの客にこうも執着するんだよ。どうせだったら、行きたいって言っている人間を誘えばいいだろ」
私は思いの丈を早口でまくし立てた。
そして後悔した。
しまった、と。
「僕も………わかってるよそんなこと。こうやって観ることを強要するのはルール違反だって。でも僕は………………やっぱり悔しいんだ。だって僕には、舞台しかないから。僕実は………」
あ~あ、語り出しちゃったよ。
「実は僕は赤ん坊の頃、劇場前に捨てられていたんだ。どんなに探しても親を見つからなかったらしくて。だから僕にとっては劇場が家であり、団員の皆が家族なんだ。劇場には個性的な人間がたくさん集まった役者が多いけど、僕をここまで育ててくれたいい人たちばかりなんだ」
「へぇ(棒読み)」
なんで、乙女ゲームに限らずフィクションの登場人物ってさほど親しくもない人間にそんな身の上話を聞かせるんだよ。
「まだ、裏方しかやらせてもらえなかったある日」
そして、
「開演前、客席を見た時一組の夫婦にちょっと目がいったんだ。奥さんは今か今かと楽しみにしていたんだけど夫はさほど興味もなさそうな様子であくびをしていたんだ。たぶん、奥さんの付き添いで来たんだろうね。舞台袖で見た時今にも眠そうな夫を見て「寝るのに時間の問題だな」って思った。でも舞台の終盤、ふと舞台袖から客席の様子を見た時、驚いたよ。てっきり寝てると思っていた夫が奥さん以上に目を輝かせていたんだ」
「へぇ(棒読み)」
私と同じだ………いや、同じじゃないな。
私は舞台の終盤辺りから完全に眠りに落ちてたからな。
「僕は他の客席のほうにも目を向けてみたんだ。皆、夫婦と同じような表情で舞台を見てたんだ。一人一人が舞台上の役者の演技に息を呑み、釘付けになっていた。僕はその時、あることに気づいたんだ。劇が進めば進むほど役者たちの演技も活き活きしてきたんだ。まるで観客たちの歓声をエネルギーにしていってるようだった。クライマックス辺りではもうすでに舞台と客席の間に一体感が出ていたんだ」
「へぇ(棒読み)」
私は寝てたから一体感も何もないんだけど。
「その時まで僕はあまり客席のほうなんてさほど気にしてなかったんだ。子供だったからね。ただ演技が上手くなりたいって思っていただけだった。でも、それは間違いだって気づいた。カーテンコールのスタンディングオペーションの時、思った。僕もあの一体感の中に入りたいって………僕も観客の心を動かせるような演技をしたいって。それからは気持ちを新たにして、今まで以上に練習に励んだんだ」
「へぇ(棒読み)」
この話、いつまで続くんだ。こういう語りってやっぱり長いな。
「そして初めての主演の時だった。芝居が終わった瞬間心が震えたよ。舞台上に向けられた客からの拍手喝采に鳥肌が立った、そして感動で流す客の涙が僕にとっては何者にも代えがたい宝物のように思えた。僕は………この瞬間のためにずっと頑張ってきたんだって思えた。この感動を忘れてはいけないって思った。だから、芝居は上手ければいいなんて思い上がった考えは捨てようって思った」
「……………へぇ(棒読み)」
なんか、聞いてるだけなのに疲れてきたな。3分なんてとうに過ぎてるぞ絶対。
「でも最近、正直なところ忘れかけてたんだ。もちろん、舞台には全力で臨んでいるし手だって抜いてるつもりはない。でも………熱くなれないんだ。客席の歓声に初めて舞台に立ったかのような感動ができなくなっていた」
「………………」
そういうものなんじゃないの。
なんか返事するのが面倒くさくなってきた。
「いつからかな、客の歓声に心が動かなくなったのは。最近、マナーの悪い客が増えているんだよね、そのせいかな。サインとか握手をもらおうと無理やり楽屋に入り込んだり、記念と称して小道具を盗もうとしたり。しかもそれが僕に関係するものがほとんどで………………はぁ」
これまで饒舌に語っていたバスティアンがどんよりとした表情でため息を吐いた。この様子だと今言ったことがしょっちゅうあるのだろう。ありすぎるから初対面の私たちに対する態度もつっけんどんな感じになったんだろうな。
「芝居に手ごたえを感じたい、でもどうすればいいのかわからない、そんな歯がゆい思いをずっと抱えていた時、寝ているあんたの姿が目に入った」
「私?」
「うちの劇団の芝居って客受けがいいって有名だから、開演前ならともかくクライマックスまで寝てる客って珍しいんだよ。ずっと寝てる客なんて本当、久しぶりだった。僕らが声を張り上げても、良い演技をしてもあんたぜんぜん起きないし………正直僕以外の役者も顔には出さないようにしていたけど相当悔しかったと思う」
確かにな、寝息まで立てられたらムカつくかもな。
「僕もすっごく悔しかったしすっごくムカついた。それと同時に思い出したんだよ。さっき話した夫婦のこと。あんたを見ていて思い出したんだ、『客の心を動かせる演技をしたい』っていうあの時の気持ちを。そしてこの悔しいっていう気持ちこそが今の僕に足りなかったって気づいたんだ」
「それで?」
「今、この気持ちのまま次の公演に臨みたい。今の僕に足りないものが掴めるような気がしてならないんだ」
「だから?」
「だから、あんたに次の公演を観に来てほしんだ。あの時の僕と、次の公演の時の僕とでは絶対に違うから」
バスティアンは今までにないくらい真剣な眼差しで私を見つめてくる。
まるで、勝負事を挑むかのような勢いだ。
「次の公演は今までにない最高の劇にするつもり。絶対にあんたの心を動かす芝居をするから僕らの芝居を観に来てほしいんだ」
バスティアンはじりじりと私に近寄ってくる。
そんな真剣な面持ちのバスティアンに向けて私は手を伸ばした。ゆっくりと右手を持ち上げ、指先をバスティアンの胸元辺りまで持っていく。
そして今、感じている思いの丈を私は言葉にした。
「そんなこと、知るか」
バスティアンの長ったらしい自分語りのおかげで気力と体力が幾分か回復した。その回復したノアを今使うのにちょうどいいと思い、私は指先に込めたノアでバスティアンをポンと押した。
「うわ!?」
案の定、バスティアンは尻もちをつく。
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