第76話やってらんねぇ

本当は持って行きたくなかったんだがリーゼロッテは今、客と話しこんでいるからしかたがない。トレイの上に入れたてのコーヒーを入れたカップとかぼちゃのケーキを置いた皿を置き、男のところの持っていく。テーブルの上にコーヒーとかぼちゃのケーキをずいっと押しのけるようにして置いた。さきほども思っていたが、女性客の熱視線が鬱陶しい。私に向けられたものではないとわかっていても鬱陶しい。


「ありがとう」


その鬱陶しい視線の原因である男は素知らぬ顔で私に礼を言った。


「では、ごゆっくり」


そう言って鬱陶しい視線から逃れようと早々にその場から立ち去ろうとする。


「ねぇ」


「はい?」


まだ、なにかあるのか。顔には出さないようにしているが無意識に語尾が堅くなる。


「お仕事がんばって」


「………………はぁ」


それだけかよ。

なんて満面な笑顔なんだ。なんてむかつくんだろう。

顔の引きつきを気取られないように素早く踵を返した。


「ちっ」


これ以上ないほど厨房で舌打ちを繰り返す。

それからというもの私のイライラは一気に膨らんでいった。

この男が必要以上に私に絡むのだ。絡むとっても長々と呼び止めたり仕事中に女性を口説くような決まり文句を言ってくるものではなかった。


「ちょっといい?」


店内を回っていた私に男は呼び止めた。

決まって私にだ。まるで私が素通りするのを見計らうかのようなタイミングで声をかけてくる。

リーゼロッテに話しかけろよ。あの子なら私よりも愛想よく接するのに。


今度は何だ。そう思いつつ男の方に体を向け、聞きの体勢に入る。


「フォーク落としたから、取り替えてくれる?」


すっとフォークを私に渡す。


この野郎、わざとだな。

これで3回目だぞ。内心毒づきながら厨房に行って、フォークを取り替えた。


「ちょっといい?」


また、呼び止められた。

見るとコーヒーカップを持ち上げながら、中身少し入ったコーヒーカップの模様を眺めるようにして見入っている。


「この模様の色は青以外にどんな色があるの?」


「色はサーモンピンク、オレンジ、黄色、紫、水色、赤があります」


「もう一度お願い」


「色はサーモンピンク、オレンジ、黄色、紫、水色、赤があります」


「もっとゆっくり言って」


「色はサーモンピンク、オレンジ、黄色、紫、水色、赤があります!」


「もっとゆっくり」


ゆっくり言ってるだろ?


「色はサーモンピンク、オレンジ、黄色、紫、水色、赤があります!!」


「もっと」


(ちっ、何回言わせるんだ)


「色はサーモンピンク、オレンジ、黄色、紫………」


「サーモンピンク、オレンジ、黄色、紫、水色、赤ね。わかったよ」


そう軽く言って半分入ったコーヒーカップに口をつけた。


「あ、一つ言っとくね。声はもう少し抑えたほうがいいよ。声、ちょっと張りすぎだったから」


「あ?」


コーヒーカップを受け皿に置き、おかしそうに笑う。


「僕はゆっくりと言ったけど、声を張り上げろとは言ってないからね」


「!!」


周囲を見回すとこちらを見ながら客がクスクス笑っている。

客から笑われるほど声が大きくなっていたらしい。


「教えてくれてありがとう。もう、行っていいよ」


男はそう言って再び、コーヒーカップに口をつけようとした。


ガン!!


「うおっ!!」


「あ、すみません。また足をぶつけてしまいました。服にかかりませんでしたか?」


「ああ、かかっていない。ずいぶん面白いタイミングで足をぶつけたね」


テーブルが揺れた衝撃でコーヒーカップを持つ男の手が震え、コーヒーがテーブルに零れた。しかし、半分しか入っていなかったためかテーブルには零れたが服にはかからなかった。


「今、フキンを持ってきます」


そう言って厨房にあるフキンを取りに行く。


「ちっ、かかんなかったのかよ」


半分しか入っていなかったからだ。

入れたてのほうがよかった。火傷させたのに。


「ねぇ」


こりない奴だな。内心げんなりしながら、呼び止められたのでしかなたく男のように体を向ける。


「何か?」


腕組しながらかなり嫌そうな顔を向ける。男はまたコーヒーカップを持ち上げながら模様を眺めている。

まさかまた模様の色聞くんじゃないだろうな。


「この模様ってあの赤毛くんのノア?」


男は目を細めながら言った。今度はさきほどのようなおどけた感じではなく、真剣味が帯びているように見える。

赤毛くんってアルフォードのことか?この様子だとアルフォードのノアのことを知っているみたいだ。


「そうです」


「ふぅん」


「何か?」


「いや、よく使ったなって思って。あの赤毛くん、自分のノア使うのけっこう嫌がってたから」


そんなことも知っているのか。男はしばらく考え込む仕草をした後、私のほうを見た。

何も言わずじっと顔を覗き込まれ、無意識に目をそらす。


「なるほど」


男は一人で勝手に得心がいったという顔をした。


「もういいよ」


そう言った後、男はメニュー表を手に伸ばし読み始めた。

は?それだけ?もういいよ?


ガン!!


「うおっ!!」


「あ、わざとぶつけてすみません」


自分で自分の顔は見えないがかなりの仏頂面で言ってると思う。


むかついた。なんかむかついた。よくわからないけどむかついた。


「あ~、つかれた」


厨房に戻り流し台に両手をつき、大きなため息を吐く。


「さっきからどうした。厨房と店内の行き来が激しいぞ。客の出入りが激しいわけでもないだろ」


料理台でパンケーキを焼いているアルフォードが話しかけてきた。指摘されるほど行ったり来たりしていたらしい。


「男の客がちょっとねちっこいだけだ」


顔を伏せながら応えた。男は変な言いがかりをつけるわけでも悪質に言い寄るような真似はしていない。尤もらしい客としての言い分を用いているだけだった。端から見たら一人の客としての振る舞いだ。

それが非常に性質が悪い。言い分が完全にわざととしか思えないし、私からしたら完全な嫌がらせだった。これ以上嫌がらせが続いたらアルフォードが今焼いているパンケーキをあの男の顔面に直撃させてしまうかもしれない。


「男の客?」


アルフォードは焼けたパンケーキを皿の上に乗せながら聞き返す。


「ああ、初めて見る客なんだけど」


それでもやっぱり初めて見る客ということにしたい。


「レイ大丈夫?ずいぶん、シオンさんに呼び止められていたみたいだけど」


あの男とのやりとりを見ていたリーゼロッテが私に声を掛けてきた。


「へぇ、あの客ってシオンって言うんだ」


「何言ってるの?前一度店の前で会ってるじゃない?」


そんな日なかったわ。会ってないわ。名前だって今初めて知った。


「シオンってあいつが来てるのか?」


アルフォードはシオンという名を聞いた途端、パンケーキの盛りつけの手を止めた。

盛りつけで飾るトマトを持ったまま店内を覗く。


「リロ、あいつが来たんなら俺に言えって言っておいただろ」


アルフォードは持っていたトマトをぐっと握り締め、不機嫌そうにリーゼロッテを横目で見た。アルフォードはあの男に向ける不快な感情を隠そうとはしなかった。なぜ嫌いなのかは大体想像できる。おそらくリーゼロッテ絡みだろう。


「そうだった?」


「この前来た時だってリロに変に絡んでただろ?」


やっぱり。


「この前来たときは絡んできたっていうよりも質問されたって感じだよ。茶葉は何を使っているかとかケーキの隠し味は何かあるのかとか」


「普通店主である俺に聞かねぇか、そういうことは。だいたいそれ以外のことも色々言ってきたんだろ?じゃなかったら、30分以上も引きとめねぇだろ」


「まぁ、ちょっとね」


リーゼロッテは言葉を濁しながら答えた。

そういえば、この前言っていたな。からかわれるのが困ると。


(はっ、やばいやばい)

私はあの男とは初対面。そんな話なかった。知らない。


「でも、あの日はお客さんはシオンさんだけだったから。色々お店のこととか聞いてくれて少し嬉しかった」


「前にも言ったろ。あいつはバロンの従業員なんだ。何か企んでるかもしれないだろ?」


アルフォードは怒気を含ませながらあの男に向けて鋭い視線を向けた。手に持っていたトマトは少し潰れ、汁が指に伝って床に零れている。


「アル、そんなに嫌いなの?あの人のこと」


「お前はなんとも思わないのか?何か企んでるって」


アルフォードがあの男に敵意を持っているのはバロンの従業員だからだろう。リーゼロッテに絡んでくることも気に入らない理由の一つだろうが大半はそれだろう。


「わかっている、けど………」


バロンのオーナーはこの店を狙っている。そのバロンの従業員であるあの男は何か企みがあってこの店に来店している可能性がある。リーゼロッテもバロンの従業員である以上油断はできないと分かってるはずだ。しかし一人の客として来店しているあの男をリーゼロッテの性格上無碍にはできないのだろう。


(はっ、また私は)

私は初対面なんだ。だから、あいつがバロンの従業員であることは知らない。


「でも、悪い人じゃないと思う。本当にこの店が気に言ってくれているとしたら」


「リロ、お前お人よしにも程があるぞ」


リーゼロッテがあの男を弁護するような口調で話せば話すほどアルフォードの機嫌は悪くなる一方だった。もう握っていたトマトは半分潰れかけ、中身が飛び出ている。


「オマエら、私を微妙に挟んで言い合いなんてすんな」


右にはトマトを握り締めたアルフォード、左には困った顔をしながら言い返すリーゼロッテ。

無意識なのかじりじりと二人とも私のほうに体を寄せてきていた。


めちゃくちゃ鬱陶しい。言い合いならこんな微妙に私を挟まないで他でやってくれ。


「そのトマトなんとかしろ。汚いぞ」


「は?トマトって、うわっ!」


アルフォードは指摘された右手を覗いたら仰天し、声を上げた。

気づいてなかったのかよ、バカ。

アルフォードは急いで流し台で手を注ぎ、代わりのトマトを用意する。


「とにかく、また変に絡まれたら俺に言えよ。いや、もう変に絡まれてんじゃねぇのか?」


トマトをつぶしたのがきっかけになったのか毒気が抜けたようで冷静に言葉を綴る。


「ううん、今日は私に絡むというよりも」


リーゼロッテは私に視線を移す。


「?」


アルフォードはリーゼロッテが何を言いたいのか理解できないらしい。


「私じゃなくてレイにずっと話しかけているの。席への案内もわざわざレイにやってほしいって言ったくらいだから」


「は?」


アルフォードは予想だにしなかった返しにぽかんと口を開けた。


「リロじゃなくて、レイにか?」


「ええ」


「そういえば、レイ言ってたな。男のねちっこい客がいるって。それってあの男のことだったのか?」



こっち見んな。


「マジか。あいつが来てるんならてっきりリロに絡んできているのかと思ってたんだが」


アルフォードは戸惑い気味に言った。だから、こっち見んな。


「なんだあいつ。気まぐれでも起こしたのか、わけわかんねぇ」


私だってわけわかんねぇよ。


「まっ、レイだったら大丈夫だろ」


言い寄っている相手がリーゼロッテじゃないとわかると強張っていた体や寄せていた眉を解いた。


「なんで、私だったら大丈夫なんだよっ」


「いって!」


踵で思いっきりアルフォードの左足を踏みつけた。

さきほどまで目くじら立てていたくせにずいぶん態度が違うじゃないか。

私なら大丈夫ってなんだ。私だったら口説かれてそのままお持ち帰りされても問題ないだろうって思ってんのか。そう思われているとしたらかなりむかつく。私はさらに踏みつける足に力を入れる。


「いってて!おい、包丁持ってんだからあぶないだろ!」


「うるせっ」


「大丈夫つったのは、レイだったら適当にあしらえるだろって言う意味だ」


「は?」


「お前流されないだろ」


私は最後に八つ当たりの意味を含めダンと思いっきり踏み付けた。


「痛って!八つ当たりすんな!」


「ふん」


ぷいっと顔を背けた。


「私、もうあの男の相手するのは嫌だから。今度から呼ばれても行かないから」


もう、うんざり。めんどくさい。なんで、こんな苛立ちを抱えながら接客しなければいけないんだ。

やってらんねぇ。


「レイ、でもシオンさんはお客さんとしてここに来ているから」


「じゃあ、あんたが相手してきてよ。私のかわりに」


「私?」


リーゼロッテは目を見開いた。まさか、自分に向けられるとは思っていなかったんだろう。


「おい」


アルフォードはリーゼロッテにあの男を押し付けようとしたことに強く反応して見せた。


「何、文句ある?」


睨み付けるアルフォードに対し私もギロリと睨み付ける。


「アル、私は別に大丈夫だよ」


今度は私とアルフォードが軽く言い合いが始まろうとしたとき、リーゼロッテが見かねて口を挟んでくる。


「でもよ………っておい、どこに行くんだっ」


私は二人に構わず、厨房を出ようとした。


「外、掃いてくるわ。ここに来たとき散った葉がすっごい散らかってたし」


「は?何勝手に―」


「いいのか。今度呼ばれたら私、あの男の顔にパンケーキ直撃させるぞ」


私を引き止めようとするアルフォードにドスの聞いた声で威嚇した。あの男のために動き回るのはもうたくさんだった。顔面パンケーキ直撃は冗談ではなく本気だった。


「おまえな………」


「………」


「………」


「………」


「………」


「………はぁ、ほうきは裏手にある」


激怒するかと思ったがアルフォードは諦めたように肩を落とした。私のこの頑なな態度には何を言ってもしかたがないと感じ取ったのだろう。


「ちゃんとやれよな。さほんなよ」


「知らね」


私はそんなアルフォードは適当に返しほうきを取りにいくため奥のドアのほうに向かった。

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