第75話無の感情であの男を見よう

私は一瞬動揺したがすぐに思考が冷静になり、『無』の感情を男に向けた。当の本人は誰かを探しているのかきょろきょろと店内を見回している。


「いらっしゃいませ。あれ?あなたは」


リーゼロッテも気づいたようだ。


「あれからだからちょっと気まずいね」


「は?何言ってんの、うさぎ。あれからって何?ていうかあいつ誰?」


「え?彼はシオン―」


「知らないわ。初めて見たわ。あんなチ○毛みたいな頭の男」


私は男の視界にできるだけ入らないように壁際にもたれたながら、口調とともに冷淡な視線を男に向けた。あいつとは今日初めて会った。そういうことにしよう。そう思い込もう。


「やぁ、こんにちは一週間ぶりぐらいだね」


男はリーゼロッテにふんわりと笑いかけた。

あ~あ、笑った途端女の客数人が目をハートにしながら男を見つめちゃってるわ。

光景が面白すぎて吐き気がする。


「一週間?そんなに経ちますか?」


さすがは乙女ゲームの主人公。

放出している男のフェロモンに鈍感なのかその他大勢のモブ女と同じような反応はせず、あくまで知り合いとして振舞っていた。不自然なほど鈍感なのが王道型ヒロインの特徴の一つでもある。


「リロちゃん、今日もかわいいね」


「褒めても何もでませんよ」


「あの、今日は」


「もちろん、お茶しにね」


「お仕事は?」


「今日は夕方から店に入る予定なんだ。とりあえず、席に案内してくれる?」


「あ、はい。こちらで―」


「あ、君じゃなくて、あの子はいる?」


案内しようとしたリーゼロッテを男はわざわざ引き止めた。


「あの子ってもしかしてレイのことですか?」


席に案内できる従業員は私かリーゼロッテしかいない。あの男の言うあの子とは強制的に誰を指しているのかすぐにリーゼロッテは察したらしい。

こっちを見るな。視線を送るな。私を見つけるな。

そう、二人に強く念じてた。


しかし、願いは虚しく二人はただ壁にもたれている私にすぐに気づいた。


「彼女に案内してほしいな」


「え、レイにですか?」


リーゼロッテが戸惑うのも無理はない。店内が混雑しているわけでも席数が多いわけでもない。それに空いている席は男の目の前にある。本来ならいちいちスタッフに案内させる必要性がまったくない。

そもそも、従業員を指名なんて普通しないだろ。ホストかホステスじゃあるまいし。


あの男の魂胆はだいたい予想がつく。あの時引っ叩いたことに対して文句を言いに来たんだ。いや、メガネの弁償代を請求しにきたのかもしれない。もしかするとお茶しながら何かしら私に対してだけのネチネチしたクレームをわざとつけろうとしているのかもしれない。


「おっと、やばいやばい」


私はあの男とは初対面なんだ。だから、名前なんて知らないし見たこともない。あの時なんてものはない。無だ。無の感情であの男を見るんだ。


ちらりと男を見ると笑顔を保ったまま私を見ていた。気持ち悪。


「レイ、お願いできる?」


リーゼロッテが私に近づきながら言った。


「なんで?リーゼロッテが案内すればいいじゃんか」


「私もそう思うけど彼レイに案内してほしいみたいで」


あと三歩ほどで空いている席に座れるのだから案内も何もないと思うが。


「ねぇ、ちょっといいかしら?」


二人で話しているとカウンター席に座っている女性客が呼び止めた。

なんだよ、こんなときに。


「じゃあ、お願いね」


「えっ、ちょ―」


リーゼロッテはいまだに納得がいっていない私に男のことをまかせ、呼んだ客のところに行ってしまった。


「………」


「レイ、とりあえずシオンのところに―」


「あんな男の名前なんて知らない」


無だ。無になれ。淡々と他の客と同じように接すればいい。自分でそう無理矢理言い聞かせた。

すうと息を吸い込み男に近づく。


「いらっしゃいませ」


男とは一定の距離を取りながら、接する。


「やぁ、この前は―」


「こちらの席へどうぞ」


何かを言い出す前に空いている席へと促した。

3歩じゃなかったな2歩だったな。


男が席に座った瞬間すぐにお冷を置いた。


「では、注文がお決まりでしたら声をかけてください」


早口口調で話した後、その場から立ち去ろうとする。


「決めたよ」


背を向けた瞬間言い放った。


は?もう?ていうかメニュー表見てないんじゃないの?

振り返ったらやっぱりメニュー表を広げていなかった。男の視線はメニュー表ではなく私に向けている。

じろじろ見んな。

顔の引きつきを悟られないようにできるだけ淡々と接しよう。私はスカートのポケットから紙とペンを取り出した。


「知り合いの女の子からここの新作のケーキの評判を聞いてね、一度食べてみたくて。コーヒーとかぼちゃのケーキお願いできる」


「かぼちゃのケーキとコーヒーですね」


スラスラと流し書いた後、厨房に向かおうとする。


「待って」


早く立ち去りたいのに男は私を引き止める。


「何か」


「その女の子が言うにはカップの色も選べるって聞いたんだけど?」


「………ちっ、余計なこと」


「何か言った?」


「いいえ。すみません、言い忘れていました」


うさぎ並の地獄耳だな。


「何色がいいですか?」


メモを見ながら急かすように言った。


「………………」


「………………」


早く言えよ。


視線をメモ紙からはずし、顔を上げた。なんと驚いたことに男は頬づえをしながら私の目元一点を何も言わず見つめている。


まさか、青とかいうなよ。


「青色はある?あるなら青がいいな」


「きもっ」


「何?」


「別に」


ほんとに青って言いやがった。


「少々お待ちを」


ペコりと素早く頭を下げ、踵を返す。

ふぅ、やっと離れられる。


「ねぇ」


後ろからまた声をかけられた。

今度はなんだ。


「何か」


しぶしぶといった感じで聞いた。


「スマイル」


「は?」


今なんつった?


「スマイルください。さっきからずっと無表情。ていうかずっと仏頂面。お客に対してそれはないんじゃない?」


にっこりと口角を上げながら私を見上げてくる。今、こいつスマイルくださいとかふざけたこと抜かしたのか。何言ってんだ、こいつ。ここはマックじゃないんだよ。

ていうか、マックだってそんなこと言う客見た事がない。


「僕はお客だよ?こんな些細なことくらいわけないよね。とびっきりの笑顔をお願い」

『なんで私が嫌いな人間に笑いかけなければいけないんだ』


と言ってやりたい。

でも、この男は『初めて会った何の感情も向けていないただの客』なんだ。

そんな客にそんなこと言わないだろ。


笑うのか?この私が?こいつに?


男はじっと私の反応を楽しむように満面の笑顔を向け、私の『スマイル』を待っているようだ。

(やっぱりいやだ)


ガン!


「うおっ?」


目の前のテーブルがガタンと揺れる。

男は突然の衝撃に驚き、頬をついていた手をはずした。


「あ、すみません。テーブルに足を引っ掛けてしまいました」


ぺこりと顔が見えないように角度に気をつけ申し訳なさそうに頭を下げる。


「………いいや、別にいいよ」


男は気にしていないという感じでヘラっと手を振った。そういう風に振舞いつつ、顔は引きつらせているのが見える。


「では、あらためて。コーヒーとかぼちゃのケーキですね。少々お待ちください」


私は男が私を引き止める暇もなく早口で言い、厨房に駆け込んだ。


「あ~、いてて」


思いっきり蹴りすぎたな。

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