第55話それはオマエが悪いんだよ

「弁償してほしいんなら素直にそう言えばいいだろ。そのメガネいくら?」


「……」


「聞いてんのか?」


さきほどからシオンからの返答はない。

私はわけがわからず腕を引かれている状態だった。


周囲を見渡すと薄暗い夜道を暖かい暖色系の街灯が街中を彩らせている。

私はずんずんと家路とはまったく違う方向に黙々と歩かされている。この男がどこに向かおうとしているのかも私をどうする気かもまったく分からないでいる。


(うさぎ、助けろよ)


右斜め上に浮いているうさぎに強い眼光を送る。さきほどからおろおろするだけで何もしようとしない。

私は今、軽いピンチに陥っているのにうさぎがふわふわと宙に浮いている姿が微妙に癪に障る。

うわうわ、呑気に浮いてるんじゃねぇ。


「君の言いたいことはわかる。でも制約があって、直接的な手助けはできないんだ」


また、制約かよ。オマエここに来てから何の役にも立ってないな。


「怜、大丈夫だよ。時間までは絶対に君から離れないからね。本当にピンチになったときの対処法を100個ほど考えておくからね」


「ちっ」


私はうさぎに聞こえるように舌打ちをした。

私は今助けてほしいんだ無能うさぎ。まったく、なんて役に立たないうさぎなんだ。


歩かされていると周囲から女性の色めきたった声がちらほら聞こえる。


「あの人かっこいい」


「スタイルいい」


「素敵な人」


私にとっては不愉快極まりない声だった。女の腕を無理やり引っ張っぱり、歩かされているこの状況を見てもそんなことを言うのか。私のあからさまな迷惑そうな態度がどうやら女性たちは目に入っていないらしい。


「だいたいはこういう反応なんだよね」


「は?」


ずんずんと歩かれていた速度が緩められる。しかし、腕はずっと握られたままだ。


「俺は女の子は好きだよ。可愛いし、嫌ってなんかない」


淡々とした口調で話し始めた。そういえば、この前こいつに言ったんだ。


“女慣れはしてるけど女は嫌いだろ”


そのことを言ってるのか。


「でも、たまにそれに近いことを思うことはあるかもれないかな。普通に歩いているだけで視線が集まっていつのまにか後ろからついてくることがあるし、そのくせ勝手に抱いているイメージから外れた言動をすると勝手に幻滅する。でも、バロンで働いているときは絶対に幻滅されるような言動はしてはいけないから常に気を張らないといけない。まるで四六時中監視されているみたいで、だから嫌いって言うよりも怖くなる」


「何の話してんの?」


いつのまにかシオンは私の隣で並ぶように歩いている。

相変わらず腕は掴んだままだ。


くそっ、歩きづらい。


「そんなことを常日頃からされるとたまにどうしようもなくなるんだよね」


シオンの顔が曇った。


「それは……」


そんな顔されたらこういうしかないじゃないか。


「それはオマエが悪いんだよ」


ジトッとした目でシオンを見据えた。

シオンはぽかんとしている。まさか私がそんな反応をするとは思っていなかったんだろう。


「何だよ。まさか『かわいそう』とか『大変だったね』って言う言葉を期待してたのか?同情してほしかった?」


紅茶色の瞳が揺れる。私の言葉をどう捉えたのか判断しがたい。


「オマエの顔が良いから悪いんだ。目が紅茶色なのもむかつくし、スリムな体型も気に食わない」


かなり理不尽な言い分だ。その言い分にシオンも自然と眉根を寄せた。


「顔って、ひどすぎない?自分ではどうしようもできないことに文句をつけられても困るんだけど」


「だよな、困るよな。オマエが今まで女たちに対して同じようなことしてたんだぞ。お前らが女だから俺は八つ当たりをしてるってね」


今、シオンが私に話したことが本当か嘘かはわからない。直接的ではなくオブラートに包みながらの言い回しにも聞こえた。でも、シオンは女が嫌いだって言うのはひしひし伝わってくる。


「オマエが昔、女にどんなトラウマを持っているかなんて知らないし知りたくもない。でも、こっちは正直迷惑なんだよ。そんな筋違いな八つ当たりをされて。言いたいことがあるんならそのトラウマ植えつけた当人に言え」


おそらく心理状態で言えばあれと同じだろう。幼少期に犬に噛まれたらすべての犬が怖く見えて犬嫌いになることと同じ。でも、嫌いの対象が動物だったらそれほど人様に迷惑をかけることもないし、世の中だって渡っていけるはずだ。でも、その対象が女だったら話は別だ。

人類の半分は女なのだから。


「君に一体」


「何がわかるとか言うんだろ?だからわかりたくないって。女を面白半分で傷つけてるくせに自分を理解してほしいなんて調子が良すぎるだろ。この棚上げ男」


いつのまにか私たちは足を止めていた。シオンは私の顔をじっと見つめる。私を見下ろす視線は睨んでいるようにも見えるし、苛立っているようにも見える。


「君みたいな子はじめてだよ。悪い意味で」


掴まれている腕に痛いくらいの力を込められる。

そんなに私のことが嫌いならこの手を離せよ。


「君みたいなきつい性格の子でもさっきみたいに潮らしい態度で接したら大抵の子は隙ができるんだけどね」


「クズ男」


もしかして私に必要以上にかまうのはチャラ男の要らないプライドに火をつけてしまったんだろうか。

絶対に落ちなさそうな女を何が何でも落としてやる、みたいな。

それしか考えられない。普通だったらこんな罵倒しか浴びせない女相手にしない。


「君もなんだかんだ言いつつ流されると思った。それならそれで面白いって。いや、思っていた」


思っていた?なんで過去形?


「君は俺が女の子を嫌いに見えるの?」


ぎゅっと込められた力が緩くなった。シオンはじっと私を見据えている。まるで息を殺して私の次の言葉を待っているみたいだ。


「見える。ていうかいちいち好きか嫌いか考えるんだったら一回考えるのやめたら?」


息を吐き、めんどくさいと言った態度を取る。


「考えるのをやめる?」


「変に我慢したり他人に対して繕いすぎるから変な方向に行っちゃって自分でもわけわかんなくなるんだよ。無意識のうちの吐き気が女のほうに行っちゃって最低な発散の仕方をしてんだよ。いっそのこと無になれ無に」


「……ふ」


シオンは力が抜けたような笑いをした。


「同情したりありきたりな説教めいたことをいう子は何人もいたけど、そんな投げやりなこと言われたのは初めてだな」


シオンはどこか可笑しそうにぽつりと漏らした。


「……ちょっと、いい加減放してくれない?」


もうほとんど力を込められていない自分の腕を見ながら言った。


「ていうかここどこよ。まだ歩かせんの?」


私は周りを見渡す。完全に見知らぬ通りに連れてこられた。どうにか店の明かりや街灯のおかげで暗がりの通りも明るく、人や物をはっきりと認識することはできる。


本当にもう帰してほしい。ずっと歩かされてこっちはもうへとへとだ。まだ歩かせるつもりならこっちだって考えがある。私は地面に転がっているあるものを横目に見た。


空ピンだ。中身が入っていない透明なビンで風で石畳をコロコロと転がっている。

私はそれに狙いを定めた。もし、私をまだ歩かせようと言うんだったら右手のノアでシオンの足元まで持ってこさせ、足を動かそうとした瞬間に転ばせる。そしてその間、シオンがノアを使う暇も与えずその場を去る。

見知らぬ場所だがメインストリートから曲がらずまっすぐに歩かせれてきた。だから元来た道をまっすぐ戻ればいいだけだ。


私はシオンの次の言葉を待った。次の言葉次第で私はあのビンを使う。


「いや、もう着いたよ」


シオンはやっと私の腕を解放した。

まったく、思いっきり掴みやがって。ふざけんな。


「ここ?」


私は軽く腕を振りながらシオンが示した方向を見る。


「メガネ屋?」


決して大きくはないが大きな看板にメガネの絵が大きく書かれているため、入店しなくて何の店だがすぐにわかった。それに店外のガラスケースのディスプレイにメガネが並んでいるのが見える。


「新しく買い換えるためにね」


「なんで連れてきたの?弁償させるため?」


「自分に合うメガネを選ぶのってけっこう時間がかかるんだよね。メガネって色も種類も数種類あるから。一人で選ぶより二人で選んだほうが早いし良いと思って」


「で?」


「元凶は君なんだから俺に合うメガネが見つかるまで付き合ってもらうつもり。普通だったら弁償しろっていうところをそれで済ませてあげるんだから―」

「そうなんだ。じゃあ、さようなら」


「だから感謝……は?」


「私、帰る」


シオンからすっと身体を離した。


「話聞いてた?」


シオンは眉を寄せ苛立って見せた。


でも、そんなの知るか。


「私が元凶?元はと言えばオマエが私に気持ち悪く絡んできたのが原因だろ?」


「気持ち悪く」


普通だったら流れでメガネ屋に入り一緒になってメガネを選ぶだろう。乙女ゲームの世界としての流れだったらここはおそらく私が選んだメガネをシオンは買うはずだ。つまりここは親愛度が上がるイベント発生の1つ。絶対に回避したい。


「たとえ、強制イベントだとしても回避できるんだったらしてやる」


「強制イベ?回避?」


「帰るったら帰る」


もっと早くに決断するべきだった。一体何を遠慮する必要があったんだろう。

相手はこの軽薄のクズ男だというのに。


「そんなに俺が嫌い?」


「ああ、嫌いだ。というか好かれていると思えるほうがおかしいわ」


「俺は君のこと嫌いじゃなくなったよ」


「ああ、そうかよ」


わたしはシオンに背を向け、本気で帰ろうとした。

なんで過去形になったのかはは考えまい。一歩踏み出そうとしたとき転がった空ビンの上に足を置いてしまった。


「うわっ!」


ビンに気づかなかった私はバランスを崩し、倒れかかる。

なんで、よりにもよって私の足元にビンが転がってるんだ。

なんだこの、見計らったようなタイミング。


「あぶないっ」


シオンが私に向かって手を伸ばそうとする。

やめろ、私を抱きとめようとするな。昼間のリーゼロッテのときみたいなお約束はごめんだ。


なんとか体勢を立て直そうにも、もう半分身体が地面に傾いている。

私はぐっと足に力を入れた。しかし、起き上がろうとした足は『上』には行かず『前』に行ってしまい、私を受け止めようとしたシオンに向かって勢いよく突進してしまった。


「うおっ」


その勢いに負けたシオンはバランスを崩し、背中から倒れかかる。

おい、なんでオマエが倒れるんだよ。ばか、倒れるな。

憤慨するものの重力には勝てず、バタンと二人とも倒れてしまった。


「れ、怜!大丈夫?」


心配そうに声をかけるうさぎの声が頭上から聞こえてくる。

大丈夫なわけないだろ。


上体をゆっくり起こし、膝立ちになる。

周りがざわざわしてきた。見渡すと人がちらちらこっちを見ている。


「あの子、大胆ね」


今、とんでもない声が聞こえたぞ。

しかし、この格好は何も知らない人間が見たら私がシオンを勢いよく押し倒したように見えてしまっているのだ。


私が男を押し倒した?私がか?


「おい、はやく起きろ」


私は呆けてるシオンの胸倉を掴み上体を起こす。


「なんで、オマエまで倒れんだよ!」


シオンを睨み付けようと視線を合わせようとした。


しかし、なぜかシオンの視線は私の視線と一向に合わない。シオンは私の目ではなく別の方向を見ている。シオンの大きな手がすっと私に向かって伸びてきた。

その向かった先は。


「赤い」


赤い?何が?


「耳」


シオンの指先が耳をかすめた。ふわりとした感触とシオンの言葉に思考が止まる。


まさか、それって。


「!!!」


バチン。気づいたときにはシオンを思いっきり平手打ちしていた。


「見るな!」


私はすぐさま上体を起こし、シオンに目を向けずその場から立ち去った。


「怜、待って」


うさぎも後からついてくる。


人ごみをかき分け、時には肩がぶつかり合っても駆ける足を止めなかった。


見られた。見られた。見られた。


見られた恥ずかしさと知られた悔しさで眩暈がする。よりにもよってチャラ男に知られるなんて。悪癖をこれ以上誰にも知られまいと決意したばかりだというのに。


たとえ、創作物でも知られたくなかった。

最悪だ。


「あ~もう、いやだ!」


天に向かって叫んだ。私の叫び声は夜闇に溶け込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る