第54話こいつ、口では勝てないと思って強引にことを進めるつもりか
シオンは仕事帰りらしく昼間の燕尾服ではなくラフな格好をしており、シャツの上に紺色のコートを羽織っている。
「なんで無視するの?」
「私が言ったこと忘れた?私にはもう近寄るなって言ったよな。視界に入られると吐き気がするって」
昼間のことは不可抗力なのでカウントしない。
「君も忘れた?これのこと」
スッと懐から何かを取り出された。ほぼ原型をとどめていない私が踏みつけたあのメガネだ。
「どうしてくれるの?」
シオンは苛立ちを隠そうとしない。言葉の端々に怒気が混ざっている。
「バロンは装飾品も高級品であることを義務付けられているから、代買の安物のメガネだって掛けられなかった」
「へぇ」
「君がこれを壊したんだよ」
シオンはじっと私を見据える。
「そっか、それなら―」
こう言うしかないじゃないか。
「普通に買えば良いだろ」
まさか私に弁償しろというんじゃないだろうな。元はといえば、お前が私に変な因縁つけるからいけないんだろ。そのメガネは自業自得だ。シオンの表情は変わらないが、私を見つめる目が鋭くなった。
時間の無駄だな。さっさと帰ろう。
私はジャケットのポケットに手を突っ込みシオンを横切ろうとした。
「……きた」
横切ろうとした私の腕をシオンは掴み上げた。
「うわっ!なにす―」
「頭にきたよ。完全に」
淡々とした口調と私を見据える紅茶色の瞳に思わず息を呑む。腕をぐいっと引っ張られ、つま先立ちになる。キャラメル色の髪が私の頬にかかる。それほどまでに顔が近い。
「何がなんでも付き合ってもらうよ」
低い声と私を見下ろす瞳に息を呑む。シオンは空いているもう片方の手を私の腰に回した。
私を逃がさないように。
突然の感触に身の毛がよだつ。もしかして腰元に手を回されているのか。私の身体はシオンの身体と完全な密着状態になっている。
自分を見据える男の瞳。腰を撫で回している大きな手。そしてさきほどの発言。
頭の中で警告音が鳴り響いた。
「チ……チ……」
「ち?」
「チカン!」
思いっきり足を踏みつけた。
「っ!」
シオンがよろめいた瞬間、回されていた腕から解放された。
「この×××野郎!」
この世界に来て一番といって良いほどの下品な言葉を吐き捨てた。そしてすぐその場から離れようと駆け出す。
いきなり何?『付き合ってもらう』?
ありえなさすぎて思考がちょっと飛んだわ。近いシーンが少女漫画や乙女ゲームでもよくある。面識がほとんどないイケメンに拘束されてドキッとするヒロイン。
どこが?顔が良いからって許されるわけないだろあんなの。
一歩間違えればいや、確実に犯罪だぞ。実際、体験するとこんなにぞわっとするものなんだな。
例え魅力があるであろう攻略キャラクターでもありえないわ。
後ろは振り返らず全力疾走した。しかし、数メートルあたりでガクンと動きが止まる。
「な、なんだ」
「ど、どうしたの怜?」
「か、からだが……変」
自分の身体が何かに引っ張られる。前に進みたいのに進まず、自分の意思に反してどんどん後退していく。
まるで、綱引きだ。己よりも強い力に体全体が持っていかれている。
下がりたくない。
下がりたくない。
下がりたくない。
後ろを振り向かなくてもわかる。この先に誰がいるかを。
「はい、つかまえた」
軽く背中が触れられた。鬼ごっこでポンと鬼がタッチしたみたいな手の置き方だ。しかし、これは鬼が捕まえたのではなく私が進んで鬼の元に捕まえられに行った構図だ。
「オマエ私に何した?」
この不可思議な現象は間違いなくこの男のノアだ。
「なんだと思う?」
背中を触れていた右手が前に移動しぐっと身体を寄せられた。男の手が腰元に触れられる感触にぞわっとなる。
「ひっ!な、なにしやがるこの×××野郎!」
「うわっ、相変わらず下品だね」
暴れる私に対し、シオンは私の反応を楽しんでいる。
このやろう。
足を踏みつけたいのにぴったりと身体を合わせられているためうまく動けない。シオンは私が足を踏踏みつけられないように腰元を強く押さえつけていた。
「こうでもしないと逃げるでしょ?」
シオンはにんまりと笑う。その笑いに私の堪忍袋の緒が切れそうになる。
「いますぐにこの鬱陶しい手をどけろ。さもないと今すぐここでチカンだって大声で叫ぶぞ」
「そうなる前に君の口を―」
「塞ぐとか言うんだろ?そんなことしたらオマエまじでたいへんなことになるぞ。ここで強姦魔の人殺しってわめき散らすぞ。犯人はバロンで働いているチ○毛頭のシオンって」
私はギラリと睨み付けた。自分が優位に立っていると思ったら大間違いだ。私が被害を訴えたらやってない証拠がない限りお前に嫌疑が確実にかかる。本当は今すぐそう叫びたかったが私のギリギリの理性がそれを抑えていた。攻略キャラクターがいきなり牢屋行きなんてバッドエンドまっしぐらだ。しかもそのきっかけとなった私に恨みの矛先が向けられ好感度が上がっていない状態では死亡エンドになってしまう可能性がある。
私は本気だという視線を送る。もし、この忠告をシオンが聞かなかったら完全に私の理性が吹っ飛ぶだろう。
「君ならやりかねないね」
しかたがないと肩をすくめて見せ、私を解放した。しかし、腰を掴むかわりに腕をがっちり掴まれている。
「おい、なんで腕掴んでんだよ」
払おうと軽く振る。しかし離れない。
「君になにをしたかって話だったよね?」
「おい、腕を―」
「俺の右手のノアは“磁力”。手で触れたものを磁石と同じように引き合わせたり、退け合わせたりすることが出来る。さっき君の背に手を触れたから君の身体は僕の右手に反応して引き寄せられたんだよ」
「腕」
シオンは離そうとしない。
「聞いてる?」
「磁力ね。わかったわかった。腕離せ」
シオンは離すどころかぎゅっと力を込めてくる。
「私にケンカ売ってんのか?」
「メガネを壊したことに対して何か言うことはないの?」
「ないな」
きっぱり言い放ってやった。
「器物損壊って言葉知ってる?もし、いきなりメガネを壊されたって訴えたら君だってたいへんなことになると思うけど」
「脅すつもり?オマエ忘れたのか?そのことに対して許してくれたんじゃなかったの?お金は払わなくて良いって。証人ならたくさんいるだろ」
こういう脅し文句を言われることを想定してわざわざ周りに聞こえるように言ったんだ。
「その優しいシオンさんがもしそんな訴えを後からしたらどんなことを言われるんだろうねぇ」
絶対に『弄ばれる側』にも『遊ばれる側』にもならない。
「はやく腕を離し―!」
シオンは黙ったまま腕を引き、急に歩き始めた。突然のことに地面に足がひっかりそうになる。
「おいこら」
私の文句に何も答えず黙ったままだ。
こいつ、口では勝てないと思って強引にことを進めるつもりか。
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