第53話うわ、話しかけてきた
空を仰ぐと橙色の太陽が大きな雲に隠れ光が遮られていた。その雲は人や物に陰りを落とし、夜闇に溶け込む準備を始めている。
現在、私は早足で街を歩いている。黙々と。
「………」
「………」
「………」
「ねぇ」
「………」
「無視しないでよ」
「………」
「そんなに嫌だったの?癖指摘されるの」
早足だった足をピタッと止めた。
いちいち口に出すな。そうだよ。知られたくなかったよ。
「僕はそれほど変だとは思わないけど」
うさぎの口調は決して私をからかうわけでも馬鹿にするものでもなかった。純粋に思ったことを口にしているんだろう。
それでも嫌なものは嫌なんだ。
「その照れたり、恥ずかしがったりすると」
言うな。
「耳がピクピクって赤くなる癖」
「言うな!!」
うさぎを睨みつけ、これ以上ないほど激昂する。途端視線が一斉に私に集まった。
突然の大声に人々は足を止め、私を奇異な目で見る。
「くそっ」
私は帽子を鼻先まで深く被り、急いでその場から立ち去った。
「お前のせいだぞ」
人々の視線の集中化から外れた場所まで駆けた後うさぎを睨み付けた。
「僕のせいなの?」
「人通りがたくさんいるときあんまり話しかけるなって言っただろ?かかなくてもいい恥かいたわ。まぁ、ここらはさっきよりは人もあんまりいないからこうやって話せるけど」
「だって君が店を出てからずっと無視するから、頷きも振り向きも目も合わせようともしないし」
「それほど嫌だったってこと、気づけよ」
「それほど嫌?その」
うさぎの視線は私の耳に移ろうとしている。
「見るな!言うな!」
私は耳に髪を隠すように覆い、帽子を被り直した。
「嫌に決まってるだろ」
私のこの耳が赤くなる癖は悪癖だ。一定以上の羞恥を感じると私の意志関係なく勝手に耳が赤くなってしまう。耳は私の目からは確認できないので余計にやっかいだ。
「この耳のせいで一体どんだけめんどくさい目にあったか」
ああもう、思い出したくないのに思い出す。勝手に耳が赤くなることでの周囲での好奇の視線。しかも、感情が未発達の子供からの好奇の視線はより性質が悪い。面白がっているという視線を隠そうとせず、視線とともに侮辱の言葉を投げつけてくる。
「まったく久しぶりだわ。この癖」
さきほどよりも幾分冷静になり呟いた。
「久しぶり?」
「高校から出ないように気をつけていたから。目立った行動を取らないようにとか」
「え?でも、バロンの前では視線とか集まってたけど」
「だから帽子を顔に押し付けていたんだよ。顔知られないように。それにこの癖は基本想定外の事態のときに出るものだから」
助言を与えた女性からは感謝されるだろうとは思っていたが、まさか周りからあんな風に称えられるとは思ってもみなかった。
「ていうかこの身体は『レイ・ミラー』のものだろう?なんで『私』の癖が出るんだよ?」
「たぶん『怜』の精神体が少しずつ『レイ』の身体に影響を与えてるんだと思う」
「は?」
「人間の肉体は精神に支配されてるからね」
「ああもういいや。頭こんがらがるからそこら辺はもう」
めんどくさくなり、頭を振った。
「私、あんまり人から褒められたくないんだよ」
「え、なんで?」
「なんでって、説明すんのめんどい」
自分でも理解しがたいものを口で説明しろなんて難しい。
「早く懐中時計取りに行く。そして早く帰る」
私は早足で歩き始めた。
「君も10代の女の子なんだね」
「なんか言った?」
「なんでもない。行こう」
「なんか今すごく不愉快なこと言われたような気がするんだけど」
「気のせいだって」
★☆★☆★☆★☆★☆
「直してあるよ」
初老の男はカウンターに懐中時計を置いた。私はそれを手に取り、竜頭を押した。カチカチと規則正しく動いている。それを見て私はほっと安堵する。
「若い頃はもっと早く直せたんだが、最近はどうもノアが弱弱しくて。やっぱり歳にはかなわんのかねぇ」
男は苦笑いを浮かべながら言った。やっぱりここの時計屋もノアを使うのか。
「お代は銀貨1枚ね」
私は赤の皮財布を取り出し、カウンターに置いた。
銀貨1枚?高いのか安いのか基準がわからないな。
「それじゃ」
「また何かあったらいつでも来ていいからね」
踵を返す私に男は愛想よく笑い、手を振った。
「その時計磨いてくれたみたいだね」
少し変色していた金色のケースは綺麗に磨かれており光沢がでており、軽いくすみがあったチェーンも新品のように輝いている。時計屋を出た後、懐中時計をしばらく眺めながら歩いた。
「え、怜」
「何?」
「何してるの?」
「何って見ればわかると思うけど念動力の練習」
私は昼間と同じように右手のノアで懐中時計を浮かばせている。指先で一定の隙間を開け、バランスを取っていた。
「せっかく磨いてもらったのに落としちゃったらもったいないって」
「そんなヘマしない」
昼間とは違い人通りが幾分少ない。すれ違うことはあってもぶつかることはなかった。
「前もちゃんと見るし」
今度は視線を時計ではなく前方に向けることに専念する。ノアを使いながら歩くとバロンの前まで来た。夕刻のためか昼間あった行列はなくなり店先で5人ほどの女性が並んでいる。
私はそれを横目に通りすぎる。
「このままどうするの?外食するの?」
「早いって。それにケーキ食べたからそんなに腹すいてないし」
「じゃあ、このまま家に?」
「ていうか今日はもう疲れたわ。強烈なもの見たし」
息を吐きだし、けんなりと肩を落とした。
「あぁ、思い出しただけできもちわる」
イラっとする発言を何回も発した上から目線三十路男。いくらフィクションの世界でも思い出すだけでさぶいぼが立つ。
「本当最悪。むかつくことにああいうタイプの男って現実にもいるんだよな」
上から目線でナルシスト。価値観が凝り固まって相手に押し付ける。女は男を立てるのがあたりまえだと決め付ける。空気をまるで読まない。ただの妄想に他人を巻き込もうとする。家の中の役割意識を都合のいい部分しか取ろうとしない。そんな典型的に悪い部分を敷き詰めた男が現実にもたくさんいる。
ああいうタイプって結婚したら絶対家事のことも子供のこともやらないタイプだな。お茶の飲むだけで妻を呼びつけ、まったく動かない。そして、料理・洗濯・掃除をまともにやったこともないのに簡単だと思い込み一切手伝わず、妻が何か言ってきたら『俺が働いているから暮らせるんだ』とかのお決まりのセリフを連発させ、妻を無理やり黙らせてしまうような男だろう。
「思い出したらむかついてきたな。ああいう女なめたヤツって」
胸がムカムカする。
「おっと」
気が逸れたせいで懐中時計が指先から落ちそうになる。
「女なめたヤツといえばもう一人思い出した」
「それってもしかしてシオンのこと?」
シオンは男性客のような気持ち悪さはない。でも男性客とは違うベクトルで女を軽く見ている。
「ああいうタイプも嫌いだ」
「すごく嫌そうな顔で見てたよね、怜」
「それに……おっと、もうこの話はやめよう」
「え、シオンの話を?」
「噂をすれば影って言うだろ?」
忘れそうになるがここは乙女ゲームの世界。話の種である当人と偶然ばったりなんてお決まりのパターンがあるかもしれない。
私はもう会いたくないんだ。
「もうこの話はやめやめ」
そう言って軽く首を振った。指先で懐中時計を浮ばせながら左手でジャケットのポケットに手を入れ赤い財布を取り出した。
一つのものを一定期間操るのは慣れた。今度はもう一つ増やしてみよう。ポンと懐中時計のほうに財布を投げ、一緒に浮ばせようと試してみる。
「うわっ」
ぐらぐらと財布と懐中時計が揺れる。さきほどまでモノを動かしていた感覚が一気にぼやける。まるで一気に重いもの持たされたような感覚だ。ぐらぐらと大きく揺れ指先から財布と懐中時計が離れ、地面に落ちそうになる。
「おっと!」
咄嗟に両手を出し地面に落ちそうになった二つを寸前でキャッチした。
身体を勢いよく前に出してしまったため右方から歩いてきた誰かとぶつかりそうになったが、その人はぶつかる寸前で止まってくれた。
「あぶないあぶない」
財布はともかく懐中時計は地面に落として傷つけたくない。
せっかくきれいに磨かれているのに。私は体勢を立て直し、財布と懐中時計をポケットにしまった。
「身をのりだしてすみませ―」
ぶつかりそうになった人物に謝ろうと視線を上げた。
「あ」
「………」
目の前の人物は私に気づきわずかに目を見開く。私は何事もなかったかのようにその場を立ち去ろうとした。
「帰ったら暖炉に火をつけてみるか。やり方はわかんないけど『レイ』は知っているはずだからできるだろう」
歩きながらぼそっと呟く。
「ちょっと暖炉で試してみたいことがあるんだよな」
早足で石畳を踏みつけると後ろの人物も私と同じように石畳を踏みつけている。
うわ、ついてくる。
「じゃがいもがたくさんあるからジャガバターでも」
「ちょっと待って」
うわ、話しかけてきた。
私はその呼び声を完全に無視した。
私の態度に業を煮やしたのかその人物は私の前に素早く回り込み行く手を阻んだ。
「こんにちは、お昼ぶり」
私を見ながらにっこりと笑いかけてくる。
なんて嫌な笑いだ。話題になんて出さなきゃよかった。こんなにすぐに遭遇するなんて。
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