第52話嘘だろ!?

バタバタとやかましい足音が外から聞こえ勢いよくドアが開かれた。


「ごめん。探してみたけど、すぐに入れそうな飲食店は近くになかった。悪いけどこの店で我慢してほしい」


「……はい」


男はエヴァンスをちらっと一瞥する。


「はぁ」


そして大げさすぎる盛大なため息を吐いた。

ため息つきたいのはこっちだ。


エヴァンスのほうは男の失礼すぎる態度を気にする素振りは見せず、紅茶で一息ついている。私はテーブルをフキンで拭き、リーゼロッテは店内をゆっくりと歩き回り、アルフォードは厨房で盛り付けをしている。


店内にいる男の客以外全員がなんでもないふりをしていた。


「あの、さきほどの話、考えたのですが」


男が椅子に座ったとき女性は一呼吸を置いた後、落ち着いた口調で話し始めた。


「お受けしたいと思います」


「本当かい!?」


男はこれ以上ないほど喜び、身を乗り出している。女性は怯えた表情は見せず、淑やか態度を崩さなかった。


「私、料理が好きなんです。だから夫になる人にはたくさん私が作った料理を食べてほしいんです」


「うん、覚えているよ。料理が得意なんてまさに女性らしいね」


「私、男の人がおいしそうに食べている姿が好きなんです。だから一日8食食べてくれますよね?」


「え?」


男は目が点になった。


「8食?」


「はい。今まで付き合っていた男性にも私の料理を食べてもらっていたんです。それも大盛りで。みんな半月ほどで体型が変わってしまいますが、美味しいって言ってくれるのが嬉しくてどんどん食べさせてしまうんです」


「半月で体型が?」


「はい。それが原因でフラれてしまうことが多かったんですが、私の料理をそこまで食べてほしいなんて嬉しいです。きっと一日10食でも足りませんね。あ、お金は全部出してくれるんですよね。何せ夫のために作る食費だから」


男の顔が引きつり始めた。女性は口角を上げながらさらに続ける。


「私、あなたのお母様を案じる気持ちに感動いたしました。だから私も結婚したら親孝行したいと思っていたんです。私、結婚したら週に金貨10枚ほど仕送りしたいって思っていたんです。私、仕事やめるので全部あなたが出してくれるんですよね。仕事やめていいんですよね」


「……」


「実は私、欲しいものがあるんです。まずはそれをお願いします」


「欲しいもの?」


「はい。島です」


にっこりと今までで一番の笑顔だ。男はそれを聞いた途端黙り込んでしまった。



★☆★☆★☆★



男はゆっくりと口を開き、わざとらしく目を泳がせる。


「大事な約束があったんだ」


そう言って自分の分のお代をテーブルに置き、静かに店を出て行った。


「ふぅ、予想通りだ」


私は脱力しながら言った。私だけではなくその場にいる全員が脱力している。

なにせずっとなんでもないように振舞っていたのだから。


その中で一番安堵していたのがあの女性だ。


「大丈夫ですか?」


リーゼロッテは女性に声をかけた。


「ええ」


女性は緊張の糸が解けたらしくほっとため息をついた。


「これでもう絡んでくることはないと思う」


私はもう男の姿が見えくなった窓の外を見ながら言った。


「あの、ありがとうございます」


女性はぺこりと頭を下げた。


「レイ、よく思いついたね。あんなこと」


「女性にああいう風にしつこく理想を押し付けてくる男相手にはその理想をわざと崩すような振る舞いをするのが一番だ。自分には手に負えないって。あいつ、身なりを必要以上に気にしていたからね。己の装いを崩されることは絶対嫌がると思った。あの男にとっては太るなんて大問題だろう」


「でもレイ。もし逆恨みされて変な噂でも流されでもしたら」


「それはないと思う。別にこっちから振ったわけじゃないし。それに端から見たら尻尾巻いて逃げたようなもんだからすっごい、かっこ悪い。たぶん適当に自然消滅したとか適当にごまかすんじゃない?」


ああいうタイプの男はもっと痛い目にあったほうがいいかもしれないが女性はもうあの男とは関わり合いになりたくないだろうし私自身もあの男の事は忘れたい。この女性にはもう会いに来ないだろうし、恥を晒してしまったこのカフェにももう来ないだろう。


「すごい」


「あ?」


「よく思いついたね、レイ」


リーゼロッテは目をキラキラとさせながら賞賛し、接近してくる。


ぱちぱちぱちぱち。


「………は?なに」


一部始終を見ていた周りの客が拍手してきた。突然のことに動揺してしまう。


「すごいわ、あなた」


「女性の味方ね」


「私も真似してみようかしら。変な男に口説かれたとき」


周りからそんな声が聞こえる、私は鳴り止まない拍手に気が動転し、店の奥に逃げ込んだ。


「ああいうのやだ。居心地が悪い」


ああいうたくさんの賞賛の声には慣れてなくどうしたらいいのかわからなくなる。


「怜、よく思いついたね」


「うっさい」


うさぎ、お前まで言うな。慣れてない賞賛のせいで心臓が高鳴る。高鳴っている心臓を押さえつけようと服越しにぎゅうと握り締める。


「………」


「………」


「………」


「………なんだ、さっきからジロジロと」


「怜、それ」


「あ?」


うさぎの視線はある1点を見つめていた。


まさか!?私はすぐさまうさぎから距離を取った。


「そういえば前、癖が出ないように気をつけてるっ言ってたよね。もしかしてそれが……」


嘘だろ!?

久しぶりだから出てしまったんだ。

知られた。もう、誰にもに知られたくなかったのに。


「それ、面白いね」


うさぎは笑った。


「!!??」


うさぎに笑われた。うさぎなんかに笑われた。うさぎに笑われただと。



「レイ?」


いつまでたって戻らない私を心配し、リーゼロッテが様子を見に来た。


「レ、レイ!?どうしたの。またそんな腕を回して」


「さっき以上にうっとうしくて目障りな虫がいてさ」


「虫?」


「もう殺したから」


そう言って、失神しそうになっているうさぎの耳を離した。


「はぁ」


なんか一気に疲れた。厨房の流し台に手を置き項垂れた。


「ほら、これ」


アルフォードがスッとショートケーキを目の前に置いた。


「あれ、ショートケーキなんて頼んだ客いた?」


「それはお前のだ」


「は?」


「それ食っていいぞ」


「なんで?」


「ああいう面倒くさい客相手だと俺、頭に血が上って言い合いになってたと思うから」


たしかにアルフォードみたいなタイプが間に入ったらケンカに発展していたかもしれない。


「ありがとな」


「……今、食べていいの?」


「ああ。今は昼ごろより客足が少し落ち着いてきてるし、20分くらいはいいぞ」


「なんか気持ち悪いくらいクリーム多いな。あんまり嬉しくない」


「1分にするぞ」


あ、ケーキで思い出した。フォークを取り替えることをすっかり忘れていた。厨房にあるフォークを手に持ち、エヴァンスの元に向かった。


「ごちそうさまです」


「はい。ありがとうございます」


足を運んだときエヴァンスは会計を済ませ帰り支度をしている。いつまで経ってもフォークを持ってこないから焦れたのか。テーブルのほうに目を向けると紅茶はもうすでに飲みきっておりケーキもすべて食べ終えている。


なんだ。じゃあ、フォークは必要なかったな。

あれ?じゃあどうしてフォークを落としたんだ。

すでに食べ終えていたのならフォークは使われず床に落ちなかったのではないか。最後の一口を食べ終えたとき誤って手元からすべり落としたのか。


もしくはわざとか。男の言葉を一度止めるためにわざと落としたのか。


「……!」


あ、目が合ってしまった。


「ケーキおしかったです。彼女から聞きました。レイさんがこのケーキのレシピを教えたと」


教えたのかよ。


「帰んの?」


「はい。そろそろ帰らないとバレ……心配されるので」


私は掛け時計を見た。4時30分だ。

あれから、けっこう経ったんだな。というかなんださっきの『バレ』って。


「また来ます」


「また来んの?」


「レイ」


隣にいたリーゼロッテが軽く肘でつつく。そういえば、敬語忘れていた。


「では」


そう言って静かに笑い、店を出て行った。


「あの人、きれいな人だね」


「そう?」


「もしかして、レイの恋人」


「………ちっ」


「え、なんで舌打ち!?」


舌打ちしたくなる。そういうお約束はいらない。


★☆★☆★☆★


現在、4時58分。店内にいる客は4人。

ピークだった昼時と比べ客足は落ち着いている。


「もうそろそろ上がりだ」


私のバイトは5時までという契約。汚れた食器をすべて洗い、素早く着替えた。


「じゃあ、私帰るから」


一応、厨房にいる二人に声を掛けた。


「ああ、わかった。ん?お、おい、お前何やってんだよ?」


帰り支度をしている私をアルフォードが慌てて引き止める。


「何って……時計」


私は時計を指差す。


「あ?……ってもう5時?」


「そう。だからおつかれさん」


そう手を軽く振り、ドアに手をかける。


「おい」


「何?声ならかけたじゃん」


「だからってぴったりすぎだろ」


5時までの契約だろ。


「なぁ、もう少し延長できねぇか」


「は?」


「せめて7時まで、夕方からもし客が一気に来たら二人じゃちょっと厳しいんだ」


だろうな。実際3人でも足りなかった。


「だから、頼む」


両手を合わせ、頼み込んできた。


「やだね」


だが断る。


ピシッと硬直したアルフォードを無視し私は店を出た。

やっぱり早く帰りたい。それに忙しいということはあの店にとってはいい傾向のはずだ。


「レイ」


リーゼロッテがドアを少し開け、声をかけて来た。


「本当に帰るの?」


「帰る。でも、その前に懐中時計取りに行く」


もう5時だから修理は終わっているはずだ。


「そういえばそんなこと言ってたね。分かった、じゃあ次もお願いね」


私は軽く頷き、カフェを後にした。

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