第56話この世界に来てからまったくグータラできていない
頭の中がふわふわする。頭だけではなく身体もだ。
目の前には誰かがいる。真っ白な髪に白髭を蓄えた体格の良いお爺さんがいる。お爺さんは椅子に座り暖炉で何かを焼いている。
チーズだ。チーズを棒に刺し、暖炉であぶっている。チーズは熱でゆっくりと表面がとろりと溶けているのが見える。
(おいしそう)
十分に焼けたチーズをお爺さんは木皿の中にある黒パンの上にチーズをかけた。とろとろに溶けたチーズは見るだけで食欲をそそる。
(おいしそう)
おじいさんはゆっくりと近づてきた。
『さぁ、お食べ。ハイ……』
お爺さんの声が遠くなっていく。ぼやけていた視界が真っ白になっていく。お爺さんさんも美味しそうなチーズもぼやけ、消えていこうとする。
待ってよ、せめて一口食べさせてよ。
『さぁお食べ、ハイ―』
「食べさせ……――!」
声を発したのと同時に景色が一変した。見慣れた天井が目に入る。
「夢か……ていうか最後何て言ってたっけ?」
もしかして日本の某有名な国民的アニメの夢を見ていたのか。そういえば小学校のとき再放送されたものを視聴していた記憶がある。チーズを主人公の女の子が頬張るシーンも見た。
気だるげな体を起こしサイドテーブルに置いた懐中時計に手を伸ばした。
「まだ、2時か」
私は再び、毛布に包まった。
「それにしてもチーズがやけにリアルだったな」
さきほどまで見ていた夢の中に出てきたチーズがやけに鮮明に頭にこびりついていた。
私は朝から何も食べていない。
食べたい。今、無性に食べたい。あのとろんとしたチーズを味わいたい。
でも、眠い。起きたくない。
眠い食べたい眠い食べたい眠い食べたい眠い食べたい食べたい食べたい食べたい。
「………………」
私はむくりと起きベッドから下りた。冷たい床を裸足で歩き、鏡台に置かれているイスを薪ストーブの前に置いた。グレーのブランケットを肩にかけ、イスに座りながら暖炉に火を入れる。火が燃え始めたら束ねてあった大きな薪の一つを暖炉にくべた。炎がその薪に移り、火力が大きくなっていく。
「ジャガバターつくるの?」
「いたんだ」
炎のゆらめきをぼんやりと眺めていた私にうさぎが声をかけてきた。起きた時うさぎは居なかったため今日はこっちに来ていないものだと思っていた。
「どうせ寝てるだろうから2時間置きに見に来るようにした。今、見に来たときちょうど君が起きていたから声をかけた。ところで何か食べるの?」
「ジャガバターは昨日食べたから別のもの食べる」
昨日は帰った後すぐ暖炉に火をいれた。暖炉に火を入れるのは初めてだったが『レイ』の身体の記憶のおかげですんなり着火をすることができた。その暖炉でじゃがいもを焼き、バターを乗っけた『じゃがバター』を昨日食べた。
「今日はどこにも出かけないの?」
「わかりきったことを聞くな」
今日は私の出勤日ではない。今日はずっと家の中にこもるつもりだ。
この世界に来てからまったくグータラできていない。毎日毎日したくもない経験や体験ばかりしている。
これもすべて外出したせいだ。この家から出なければそんなめんどくさい目には遭わない。
本来私の休日の使い方は人とは関わらず家の中に篭る。
これが本来の私のライフスタイル。
私は思う存分できると思っていたニート生活をまったく満喫できないでいる。当初やっかいごとに巻き込まれてうんざりとしていた私にとってそこだけが魅力だった。
しかし、知らず知らずのうちにキャラクター達と関わり合いになりカフェで働くことになってしまった。働いている時点でニートではなくなったが、せめて休日はグータラしていたい。
今日は絶対に外には出ない。人が訪ねてきても絶対に無視する。誰にも邪魔はさせない。
火が十分に大きくなったのを見てあるものを用意しようとイスから立ち上がった。
ミルクとパンとチーズだ。夢に出てきたパンとチーズがあったはず。
ミルクとチーズはある。
「あれ?」
しかし、パンだけがない。
「マジかよ」
昨日の朝、食べたもので最後だったらしい。
頭を抱えたくなった。せっかく夢の中に出てきた通りの方法で食べようと思ったのに。
「どうしたの?」
「パンがない」
「じゃあ」
「買いに行こうとか言うなよ」
数分前に家に篭もることを決意したばかりだというのに、なぜこうもあっさりフラグが立つんだ。
「別にパンがなくてもいいし」
今日買いに行く必要はない。明日は出勤日だから帰りに買いに行こう。
ぐうううう。
まるで用意されたシナリオがあったみたいな良いタイミングで私のお腹が鳴った。
そして思い出すあの夢の内容。
暖かいミルク、パンの上に乗ったとろけたチーズ。
あのお爺さんの笑顔。
食べたい。今、食べたい。無性に食べたい。
じゃがいもやソーセージではなくパンの上にチーズを乗っけて食べたい。
でも外には出たくない。絶対面倒事に遭う。
でも、食べたい。
出たくない食べたい出たくない食べたい出たくない食べたい出たくない食べたい出たくない食べたい食べたい食べたい。
「くっそっ」
「僕、外に出ていようか?」
「はぁ……パン買ったらとっとと帰るから」
私は寝癖のついた髪をがしがし掻いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます