第10話これは便利だ
天窓から薄く朝の光が入り、空には薄い蒼が広がっていた。そんな陽気な天気に反して私の機嫌はすこぶる悪かった。
寝心地を確かめようとしたベッドの上からうさぎが私を起こそうと延々としゃべり続けたからだ。最初は無視を続けたがあまりにもしつこかったので結局は私が根負けしてしまいベッドの上でうさぎの正面になるように胡坐をかきながら座っている。
「とりあえず、この子のことを教えて」
私はかなりイライラしながらうさぎに聞いた。ベッドに入る前、うさぎが掻い摘みながら教えてくれた。
うさぎはストーリーに影響が出ない程度にこの世界の単語、設定、知識を要所要所で教えサポートしてくれることを説明していた。私が現在、意識を乗っ取る形になってしまっている「ヒロイン」についてのプロフィールも簡単だが知っているようだ。
まず、この子のことを知らなければいけない。
「えっとね」
うさぎは私を起こすために躍起になっていたのでかなりぐったりしているようだ。うさぎは一呼吸おいた後、薄い本を取り出し説明を始めた。
「まずはこの子の両親はすでに他界していて、一人暮らしをしている」
それはだいたい想定していた。この家のライフスタイルから一人暮らしだと窺える。
「だから基本は自給自足の生活。畑で栽培している野菜を売ったりしている。特にかぼちゃは評判が良くて一人暮らしには余裕があるらしい」
「この子の元の性格とかもくわしく教えて」
私は今日からこの子の体で生活しなくてはいけない。おしゃべりな人間がいきなり無口になったりしたらかなり不自然に見える。それに合わせながら生活しなければいけないが元々私はものぐさで決しておしゃべりではない。他人とはあまり話さないし話したくないと思っている。
この子が明るくて前向きで人と話すのが大好きという乙女ゲームの王道中の王道な性格でないことを本気で祈る。
「おとなしい性格みたい」
「それで?」
「以上」
「は?」
それだけ?おとなしいだけではわからない。人見知りが激しくてしゃべれないのか、自己主張があまりないだけで人と関わること自体は好きなのかわからない。
「もっと何かあるだろ?」
「これぐらいしかないよ。言ったよね。この世界はまだ世に出ていないゲームの世界だから。はっきりわかったらネタバレになっちゃう」
「もっとそこは神様とかの力でなんとかできないの?」
ていうかなんとかしろ。
「制約がかかっているから教えられないんだよ。それに前情報ですべてわかっちゃったら行動がほとんど制限されるからね。だからキャラクターの詳しい詳細はほとんど情報がないんだ」
つまりあれと同じか。ゲームの攻略本を見ながらストーリーを進めても面白さや驚きが軽減されるみたいなことか。
めんどくさい。ネタバレしてもいいからさっさと教えてほしい。
「お腹すいた」
とりあえず何か食べよう。私は立ち上がり、ふと思い立った。
「あ、そっか。一人暮らしだからご飯も全部やるのか」
いつも母親がご飯を作っているが、一人暮らしということはこれからは自分で作らなければいけない。それ以前に私にとってはこの家は初めての場所なので何がどこにあるかまず把握しなければいけない。
なんてめんどくさいんだ。
私は部屋の中央にあるテーブルの上に用意した朝食をとった。ハムとチーズとトマトとレタスを適当に切りパンに挟んだ簡単な一品とカップに入った冷茶だ。私はむしゃむちゃと無言で食べた。美味くもなく不味くもない普通のサンドイッチだ。
「寝起きより不機嫌じゃない?」
となりでりんごを齧っているうさぎがちらっと横目で私を見た。
うさぎの言うとおり私の機嫌はすこぶる悪くなっていた。さきほどよりも。何回も舌打ちしたい気持ちをサンドイッチを何回も租借することで少しずつ発散している。
「私はある重要なことに気づいてしまった」
「重要なこと?」
「この家には家電製品がない」
この家にはテレビ、電子レンジ、掃除機というものがまったくなかった。
「食事や掃除はまだいいよ。いざとなったらパンとか生野菜とか果物をそのまま齧ればいいし、掃除だって一人暮らしだからそれほどゴミは出ないと思うし、でも」
「でも?」
「洗濯だけはどうしようもない」
この家には洗濯機がない。そのかわりテラスに洗濯板があった。つまり私はしばらくの間冷たい水でごしごしと汚れた洗濯物を板で洗うということだ。もちろん私は洗濯板なんて触ったことがない。
「なんで文明の利器が発達した平成生まれの私がそんな昭和人みたいなことをしなければいけないんだ」
素手でそんなことをしたら絶対アカギレだらけの手になる。そんな地味に痛い目に合うのはごめんだ。でも、一人暮らしをするということは最終的にだれがやるのかは答えが出ている。
「今のところ悪いことばっかだ」
私はテーブルの上に突っ伏した。期限付きの知らない場所だから思う存分ニート生活を満喫できると思ったのに、旧世代の自給自足生活を送らなければいけないなんて気が滅入る。
「ねえ、うさぎ」
私はテーブルに突っ伏したままうさぎに話しかけた。
「そのうさぎっていうのそろそろやめてほしんだけど。ルルンって名前で呼んで―――」
「やだね。それよりも洗濯うさぎがやってよ。突然こんな所連れてきて悪いって思ってんでしょ?」
「……手伝ってあげたいげど、制約があってあんまり干渉しちゃだめなんだ」
また、制約か。
「ていうか、あんた私のサポートするんじゃないの?干渉しちゃだめなら一体何ができるんだよ」
「この世界の用語の訳とか、君が困ったときの耳打ちとか」
「あとは?」
「君の応援?」
「………役立たずの無能うさぎ」
「聞こえてるよ」
地獄耳め。
「でも、アカギレはないんじゃないかな?この世界にいる間は?」
「?」
「むしろ、楽しめるんじゃない?」
「は?」
「それも含めてめったにない経験だし」
「じゃあ、うさぎがやってみろ」
かなりイラっとした。こっちは憂鬱な気分なのにいきなり「楽しめ」なんて完全に他人事のような話し方をされて不愉快だ。私はがばっと顔をあげた。
その拍子に右腕のすぐ横にあったカップが勢いよく肘に当たってしまった。
「!」
カップはテーブルから離れ空中に放り出された。私は反射的に右手でカップに向かって手を伸ばす。
その瞬間。
「え?」
ありえない光景だった。紅茶は床に零れ落ちたのにカップは床に落ちなかった。
正確には空中で止まっている。伸ばした右手は引いた。それと同時にカップ動いた。私は右手を右に左に斜めに動かした。まるで私に合わせるかのようにカップは動いた。徐々に動かす範囲を広げ天井で輪を描くように動かした。それはまぎれもなく私が動かしていた。私はゆっくりと元のテーブルにカップを置いた。
私は立ち上がり右手を凝視する。何の変哲もない右手だ。でも普通ではない。
「これはなんだ?」
私は淡々と尋ねた。尋ねた相手はもちろんじっとその様子を見ていたうさぎだ。
「あんまり驚かないんだね」
「驚いてないと思う?」
あまりにも非現実的すぎたのでどう反応すべきか思考も体も戸惑っていた。私がこの世界にいること自体非現実的だがこの出来事は完全に私の予想斜め上だった。
「これって超能力?」
「それはこの世界では“ノア”って言うらしい」
うさぎは薄い本を取り出し説明を始めた。
「ノア?」
どこかで聞いたような気がする。
「このゲームのタイトル、覚えてる?」
そういえば、この乙女ゲームのタイトルにそんな言葉があったような。
てっきりノアって誰かの名前かと思ってた。
「この世界ではみんなが生まれ持っているチカラの総称らしいよ。いろんな種類があるらしくて大衆的に見て役に立つものや役に立たないものなど様々。基本は皆ふたつのチカラがあるらしい」
「ふたつ?」
「つまり、右手で操るチカラと左手で操るチカラ。さっき君は右手でコップが落ちるのを止めようとしたよね。でも左手ではそれができないんだよ」
わたしは試しに左手でさっきと同じようにカップを動かそうとする。でも、うさぎの言うとおりカップはまったく動かなかった。
「二つのチカラがあると言ってもみんながみんなじゃないらしい。先天的に二つあったままだったり、一つだったりすることがあるらしい。そして後天的にもう一つの力が発動することがあるらしい」
「へー」
私はもう一度右手をカップに掲げて「動け」と念じた。カップは私が念じた通りに横に振動するかのように動いた。私の右手のチカラは私の世界でいうと『念動力』だろう。
面白い。単純な感想だ。
こうも簡単に超能力のようなものが身に付くなんて面白い。私のいた世界では超能力ははっきりと実証されていない。私自身もそういったものはあまり信じていなかった。
でも、目の当たりにすると半信半疑だった自分も好奇心がそそられる。
これは便利だ。日常生活でもかなり役に立つ。
私は床に目をやる。さきほどこぼしたばかりなので軽く水たまりのようなものができている。私はさっきと同じように右手を掲げて「動け」と念じた。私はそのこぼした紅茶をすべてかき集めそのままカップの中に入れるつもりでいた。
でも、いくら念じても私が思うとおりに動かない。ただ紅茶の水滴がぷつぷつと浮かぶだけだった。念じ続けていても一滴、二滴増えるだけでこぼした紅茶すべてを操れなかった。
「動かない」
「どうやら今の君のチカラでは液体はうまく動かせないみたいだね。チカラは訓練次第でレベルアップできるみたい」
努力次第でチカラが身に付くなんてまるでバトル漫画の王道設定みたいだ。何にしても、このチカラをもっと知らないと始まらない。私がより快適に、より楽にこの世界で生活するために。使いようによっては物を自由に動かせる念動力のチカラは実用性のあるものだ。この子の右手のチカラはどのくらいの範囲、強さ、時間などを知る必要がある。
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