第11話せいぜい利用するか

「そういえば、一番大切なことを忘れてた」


私はここで生活する上で絶対に知らなければいけないことを思い出す。


「何?」


「この子の名前ってなんていうの?」


乙女ゲームの名前は基本自由に入力できるようになっているが、それでもデフォルト名という初期状態で与えられる名前がある。おそらくこの子はその名前だろう。今後はその自分の名前ではない名前に慣れなくてはいけない。


「言ってなかった?」


「言ってない」


「この子の名前は―――」


コンコンコンコン。


「?」


何かの音が聞こえる。ドアをたたく音だ。

誰かが尋ねてきていた。この子に用があるかもしれないがもちろん私にはこの世界に知り合いなんて一人もいない。もし、この子にとって親交の深い人物だったらごまかしができない。なにせこの子について私でさえいまだによくわかっていない。


「誰だかわかる?」


「さぁ」


「だろうな」


ドアをノックする音がまだ続いている。


「これって軽くピンチじゃない?」


「かもね」


「居留守でも使うか」


「こんな朝から留守はちょっと無理があるんじゃない?」


「じゃあ、出るの?無理」


「でも、ずっとノックし続けているから、居るってわかってると思うよ。とりあえず出てみたら?」


「この子の知り合いだったらどうするんだよ。何か聞かれても何も答えられないけど」


「もしものときは寝不足でボーとしてたとか風邪で声がでないとかあるって」


他人事だと思って。たしかにいまだにノックを続けているということは私が家にいると確信しているようだ。とりあえず出ることに決めた。何か聞かれても、ど忘れしたと言えばいいか。


私はドアノブに手をかけた。

ふと動きを止めた。宙に浮いているうさぎに目をやった。うさぎは私が何を言いたいか察したようだ。


「僕の姿はこの世界では君にしか見えないから」


そんなことだと思った。

私はドアを開けた。


「あら、やっと出たわね」


そこにいたのは50代くらいのぽっちゃりとした女性だった。女性は人の良さなそうな笑顔で話しかけてきた。


「起きたばかりかしら?寝癖がついてるわよ。いくら一人暮らしでもずっと寝てばかりじゃ身体に良くないわ。まだ若いんだからあんまり不規則な生活してるとこんなおばさんみたいな体型になっちゃうわよ。かわいいのにもったいないじゃない。おばさんだって若い頃は――」


捲くし立ててしゃべり続けられ圧倒される。


「……あの…」


何しにきたんだろう。


「あら、そうだったわ。最近そろそろ肌寒くなる頃だから予備の薪持ってきたわ。それにミルクもね」


そういえば、部屋に暖炉があった。おそらくそれ用だろう。女性は足元に置かれていた袋一杯に詰め込んである薪を両手で抱え、私に渡した。


重い。私は渡された袋を暖炉のすぐ横に置いた。踵を返すと女性は少し大きめな瓶詰めのミルクを抱えていた。私はそれを受け取り今度はテーブルに置いた。


「あ、そうだレイちゃん」


「はい?」


あれ?思わず返事をしてしまったけどレイって私のことだよね。私はちらっとうさぎを見た。


「君が考えている通り、この世界での君の名前はレイ。レイ・ミラーって言うらしいよ」


「レイ?」


苗字も微妙に似ている。偶然とは恐ろしいものだ。でも、今は物思いにふけっている場合ではなかった。

私は女性の元に戻った。


「今日は来れるかしら?」


「……はい?」


来れる?どこに?


「午後からでいいから手伝いに来てくれる?」


だからどこに?手伝いっておばさんの?そもそも私とおばさんの関係って何?

親戚?近所?友達?仕事仲間?


いっそのこと全部聞きたい。


「それでどう?」


「は、はあ」


ぐるぐる考え込んでいたので、思わず流されるように生返事してしまった。


「えっ?」


女性は私の返事が意外だったのか呆気にとらわれている。


「?」


「てっきりいつも通りに断られると思ってたのに」


自分から聞いておいて何を言ってるんだ。


「そっか」


「?」


女性はうれしそうに私の手を握った。


「それじゃあ、午後1時に牧場で」


そう言い残し帰ってしまった。


「……あ」


まだまだ、聞きたいこともあったのに無理に引き止めるのも不自然だし、引き止めたとしてこれ以上会話を続けるのも厳しい。

牧場ってどこだよ。私はイスに座りテーブルに置いたミルクが入った瓶をじっと見つめる。当たり前だが見つめても瓶には何も書かれていない。おそらくこのミルクは女性がいる牧場でつくられたものだろう。

それに女性は徒歩で来たらしいのでそれほど離れた場所ではないはずだ。


それでも私にはさっぱりわからない。そもそも私は自分がいる場所がわからない。


「わかる?」


聞いても無駄だと思うが一応うさぎに聞いてみる。


「僕はわからないけど君なら知ってると思うよ」


「は?」


「わかりやすく言うと、さっきサンドイッチ作るとき野菜の場所とかあまり悩んでなかったよね」


「まぁ」


初めての場所なのに床下収納にあった野菜を一発で探し当てることができた。


「なんで当てられたの?」


「なんでって……ただの勘になんでもなにもないって」


「勘じゃないよ。レイ・ミラーという人間が生きてきた日常習慣の癖は記憶がなくても身体に無意識に染み込んでいるってこと」


「つまり、身体が覚えてるってこと?」


「そう。今はこの世界に来たばかりだからまだ馴染んでないと思うけど、レイにとって牧場への道筋が当たり前に知っているとしたらきっと自然と足がむくと思うよ」


なんてご都合主義的な話なんだ。私にとってはありがたい話だけど。


「とりあえず、着替えるか」


状況に流されるように答えてしまったけど午後に行くと答えてしまったからにはしかたがない。寝間着に手をかけようとしたときふと思った。


私はぐるりとうさぎがいるほうへ回った。


「どうしたの?」


うさぎはきょとんとしている。私はうさぎを掴み、窓を開け投げた

「うさぎが私の着替えを見るなんて10年早い。10年経っても見せるつもりはないけど」


私は窓を閉めた。




白いブラウスにショート丈のキャラメル色のジャケット、そして白いスカートを穿いた。そして頭にはベージュのキャスケット帽を深く被った。


たしか午後1時だったはずだ。時間を確認したいのに時計がなかった。


「まだ午前中だと思うけど、スマホ……はないんだ」


こういう時便利な携帯機器がなつかしい。ふとベッド脇のサイドテーブルにあるものを発見した。

懐中時計だ。チェーンと上蓋が取り付けられていて大きさは手のひらサイズの金色の懐中時計だ。

私はそれを手に取った。竜頭の部分を押したら上蓋が開き、ローマ数字の表記に針がカチカチっと規則正しく動いている。針は9時を指していた。

懐中時計なんて初めて触った。映画などで見たことはあっても直接手に取る機会なんてなかった。


「ないよりましか」


この家には時計といったらこれしかないらしい。これを携帯することにした。


コンコンコン。


窓を軽く叩く音がした。窓の外からひょいとうさぎは顔をのぞかせていた。窓を開け、うさぎを部屋に入れた。


「着替えた?」


「一応」


正直二度寝したい気分だが、目覚まし時計がないので一度寝たら夕方まで起きない自信がある。

とりあえず、約束の時間までまだある。


外の様子でも見に行くか。


「ねえ、私外に行くんだけど」


「うん」


「ちゃんとサポートしてよね」


「まかせて」


しばらくはここでの生活に慣れるためこのうさぎを頼ることになるだろう。

せいぜい利用するか。

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