第8話憧れのニート生活

「はっ!」


さきほどまで意識をすぐに失っていたはずなのに思考が覚醒する。

私は周りを見渡す。そこには床もなければ天井もない。私の部屋とはまったく違う場所。明るくもなければ暗くもない明暗入り混じった歪んだ空間。そこにはきらきらふわふわした光が混ざっていた。

まるで夢幻のような世界。でも、これは夢ではない。まぎれもなく現実だった。


「なんだこの浮遊力、気持ち悪い」


私の身体は無重力空間にいるかのように浮遊していた。音もなく、景色も歪んでいる空間に私一人しかいないという事実に私は言いようのない不安と恐怖を感じた。普段はほとんど一人で過ごすことの多い私だがさすがにこの状況には血の気が引く。


「よかった、うまく意識を切り離せたみたいだね」


けろりとした聞いたことのなる声色が聞こえた。


「!?」


私は思わず声のした方向を見た。そこにはさきほどまで私が罵詈雑言を浴びせていたあのうさぎがいた。


「身体、どこも異常はないよね?」


うさぎは心配そうに近寄ってきた。


「気分はどう?」


「………」


「ねえ、僕のことわかる?」


「………」


「自分の名前言える?」


「………」

「ねえってば!も、もしかして失敗したんじゃ……ぐぎゃ!」


私は目に見えないほどの速さでうさぎの耳を掴み、耳が千切れるほどぶんぶんと腕を回した。


「………」


何回も何回も何回も回した。

私がこの状況に陥っている原因は紛れもなくこのぬいぐるみみたいなうさぎだ。意識を失う前は確実に殺して焼いて食ってしまおうかと本気で思っていた。

でも、私はさきほどまで不安と恐怖が湧き上がってきた途端にこのうさぎを見たときほっと安堵もしてしまっていた。そのときの感情は確実に憎悪よりも大きかった。私はそんな情けなく思ってしまった自分が許せず、そんな思いもこめてうさぎを全力で回した。


「……うぐく」


ん?何か言ってる?


「………はく」


はく?今はくって言ったのか?はくって吐くのことか?嘔吐のことか?

このまま吐かれたら間違いなく私にかかる。


「きったない!」


「うぎょ!!」


私は思いっきりうさぎを投げた。遠心力いっぱいに回したためうさぎは勢いよく投げた方向へ飛んだ。この空間には壁がないためゆっくりと空中で止まった。うさぎはしばらくはその止まっている位置にいたがゆっくりと私がいる方向に寄ってきた。

その顔は青くげっそりとしていた。真っ白いうさぎなのに顔が青いとすぐにわかる。


「よくもやってくれたね。リバースするところだったよ」


「きたね」


何回も耳を掴まれているくせに学習能力のないうさぎだ。


「意識を移したばっかりだったからうまくいったか心配になったんだよ」


「なんだそれ?」


「即席でしかも騙し討ちみたいなやり方で連れてきたから記憶が間違って飛ぶ可能性もなくはなかったんだ」


つまり、私はどこかの漫画の主人公みたいに記憶喪失になっていたってことか。勝手に連れてきておいてずいぶん危ない橋を渡らされていたんだな。私は気分がさきほどより良くなっているであろううさぎをまたさっきと同じ状態にしてやろうかと睨む。


けどやめた。このうさぎの発言にいちいち投げていたらおそらく一生話は進まない。本当なら『帰らせろ』とか『ふざけんな』とか言って憤慨するべきだが不思議とそんな気が起きない。

私はたぶん理解してしまっていた。今は帰れないことを嫌というほど。そう思ったらいちいち激昂するのもめんどくさくなってくる。私は自身の肝の据わり方に拍手をしたい。


とりあえずたくさんある疑問一つ一つを解消することにしよう。うさぎに質疑応答を繰り返してこの状況を打破するヒントが見つかるかもしれない。


「というか、ここどこ?体がすっごくふわふわするんだけど」


「ここは次元の狭間。二次元世界と人間界の中間地点かな」


うさぎは私が質問するのを『待ってました』という構えで答えてくれる。


やっぱりドヤ顔腹立つな。


なんだがファンタジーの漫画やゲームでよくありそうな単語が出てきた。

でも、ここをあまり追求はしないでおこう。基本私は今までSFの長ったらしい説明はいちいち理解するのが面倒なので漫画でもゲームでも飛ばし飛ばしで見ていた。


「ねえ、聞きたくないけど私が今から行くのって……」


「未発売の乙女ゲームのヒロインの一人の意識に入ってもらう」


「そういえば、その乙女ゲームってヒロインが二人いたんだっけ?」


二人の違うタイプのヒロインの乙女ゲームがあるがそこまで数は多くない。ヒロインが二人ということは一人につき攻略できるキャラクターが多くても三人ほどしかできないということになる。


「ていうか、そこで具体的には私は何をどうすればいいの?」


ほとんど説明なしでここまで連れてこられた。めんどくさいがここは詳細すべて聞かないといけない。


「君には乙女ゲームの世界に入ってもらって、来るであろうイベントで攻略キャラクターたちと交流してほしいんだ」


「?」


「元々僕が君をゲームの世界に転生させる理由は僕の主である神様がマンネリ化した乙女ゲームに飽きたたから本物の人間の意識を移してよりリアルな恋愛を楽しみたいっていうのは話したよね?」


「ほんっとに迷惑な話だけどな」


「例えば落ち込んでいたり悩んでいたりしている攻略キャラクターに対してのヒロインのセリフが『私が一緒にいてあげる!』『甘ったれないで!』『(………)何も言わず手を握る』だったとする。君には第4の選択肢を作って攻略キャラクターの親愛度ゲージを高くしてほしいんだ。現実の女の子の意識を使うことによってよりドラマティックな展開を神様はご所望なんだ」


「………創作物とのキスとか抱擁とか無理なんだけど」


そもそも私は現実で恋人というものがいたことがない。自分にとって恋愛は過去興味はそれほどなかった。社会に出たら考えは変わるかもしれないが、そんなことにかまう暇があるのなら家で寝ていたいというのが正直な気持ちだ。それをいきなり恋愛を強制されるなんてたまったものではない。


「別に攻略キャラクターとの恋愛ENDを求めているわけじゃないよ」


「は?それが目的で私を連れてきたんだろ?」


「期限付きで決められた相手と恋愛なんてちょっと僕としては難しいかなって思って。だから2年間の間、ある程度攻略キャラクターたちと交流を深めて友情以上の絆を結び好感度を上げた大団円エンドを目指してほしいんだ」


大団円エンド。乙女ゲームでは攻略キャラクター誰とも結ばれることなく友達または友達以上恋人未満な関係で終わるハッピーエンドのこと。ヒロインに対して攻略キャラクター皆がヒロインに親しみを抱いて終わるということ。


「そもそもなんで2年間なんだ?」


「未発売といってもある程度完成された設定やストーリーがあるからね。情報では2年間ということは決定しているらしい。攻略キャラクターも。あ、これを見せればわかるかな?」


うさぎはどこから出したのか一冊の雑誌を出した。その雑誌は見たことがあった。姉が買ってきた今月号の乙女ゲームの雑誌だった。うさぎはぺらぺらとページをめくり私に見せた。


「あ、これって」


「見たことがある?タイトルは仮名だけど『翻弄のノア』というらしいんだ。意味深なタイトルだよね……って聞いている?」


私はそれを見て思わず頭を抱えた。それは夕方、姉が見せてくれたページだった。そこには6人の美青年の姿があった。そしてシルエットだけのヒロインの姿もあった。おそらく私はどちらかのヒロインになるんだろう。


「あ」


私はある1点に注目した。

『きみせか』のヤンデレ生徒会長に似ている金髪男がいたからだ。


「ねえ、どっちが誰と恋愛するかわかんないんだよね」


「うん、未発売だからね」


最悪。このキャラクターを見るとどうしてもヤンデレキャラを思い出し『監禁』『執着』という言葉が浮かび上がってしまう。

私はヤンデレキャラが嫌いだ。直接会うのも嫌だし恋愛なんてとんでもなかった。たとえこのキャラクターがヤンデレキャラじゃなくてもほかのキャラクターだってその可能性がある。ヤンデレキャラは人気なので一人はいる可能性は高い。キャラデザだけではわからない。意外なキャラがヤンデレキャラクターなんてこともよくある。


「はぁ」


私は脱力気味にページを閉じうさぎに渡した。


「話進めて」


「うん」


うさぎはすっと右手を出した。掌の上からぽっと光が現れ、だんだん大きくなりキューブのようものに形成された。


「それは?」


「記録媒介のデータのようなものかな。これを君の記憶の中につけるから攻略キャラクターたちと交流を深めてほしいんだ。記録がいっぱいになったら白いキューブが真っ黒くなる。そのたびに僕はそれを回収して神様のもとに送るようになってるんだ」


白いキューブがゆっくりと動いた。そのキューブが私の頭上に止まり小さく弾けるようにして消えた。あのキューブが自分の頭の中にあると言われてかなり違和感がある。


「君からは何か質問ある?」


「………」


「うわっ!」


私はうさぎを両手で掴み顔にもう少しでくっつきそうな距離まで近づけた。私よりも一回りも小さいうさぎの顔からしたらかなり威圧的に見えるだろうがそんなこと気にしている場合ではない。


「ねえ、本当に帰れないの?」


「えっと、ごめんね。もう契約しちゃったから」


うさぎは両耳を庇うような仕草をする。私がまた耳を掴まないかとひやひやしているようだ。正直掴みたくてしょうがないが今はこっちの話が重要だ。


「2年間ってどうにかなんないの?」


「えっと」


「2年は長い」


「そんなに嫌?」


「………」


私の沈黙を肯定と捉えたのかうさぎはちょっと考えた後ゆっくりと口を開いた。


「まあ、攻略キャラクターたちと信頼を築けなかったり伏線やフラグを一切回収できなかった場合……」


「場合?」


「1年くらいで帰れるかもしれない」


「本当?」


1年でも長いが期限が少しでも短くなることができる。これは思わぬ情報だ。


「かもだよ?契約はなかなか解けないけど、定期的に君の記録のキューブを神様の元に送ることになっていて、神様の機嫌次第で契約の短縮や解除はできるから」


「それなら簡単だ。攻略キャラクターたちと関わらなければいいだけの話だ」


「う~ん、それは難しいんじゃないかな」


「なんで?」


「君なら知っていると思うけど主人公補正があるから。嫌がおうにもヒロインには攻略キャラクターたちと関わらずにはいられない不思議な縁があるからね」


「それなら」


私ははっとした。


『関わらないように外に出なければいい』という発言をしようと思ったときふと気がついた。私は2年間知らない場所で過ごしてその期間が終わった後、巻き戻って元の人間界に止まっている時間に戻る。ということはそこでニートでいても問題はまったくないということになる。期限付きなら絶対できない経験ができる。


「………ふ」


どうしよう。さきほどまで帰りたかった気持ちが少し薄れ『ニート』という言葉に揺らぎ、2年間ならともかく1年間はやってみてもいいと思ってしまっている自分がいた。


「なんだかかなり悪いこと考えてるね」


いつのまにか私の手から脱出したうさぎが若干引き気味に私を見ている。


「あ、もう時間だ!」


うさぎが突然叫んだ


「!?」


同時に周りの景色がぐにゃりと歪んだ。


「な、何?」


「本当はあんまり長い間人間の意識をここに留まらせることはできないんだ。強制的に君の意識を弾こうとしているんだ」


「うわっ!!」


突然何かに引っ張られるように動いた。身体がどんどん前進していく。


そのとき、前方にぽつんと光を見つけた。さきほどまで同じ景色だったので私は思わずその光に見入った。それは私が前進するたびにはっきりしてくる。その光は私が見たものの中で一番眩かった。


恐怖は不思議となかった。

その光は冷たくもなく熱くもなくただ私の身体を意識とともに優しく包み込んでくれた。

私はゆっくりと意識は手放した。

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