第12話 愛の訪れ
北山は、人が住まう場所ではない。
春から秋にかけてはくろいごつごつとした岩が連なり、植物は生えない。冬はその黒を一切合切覆う雪が降る。
しかもこの土地には柔らかいところと硬いところがあり、柔らかいところを雪と一緒に思わず踏み抜きでもすれば、下に広がる岩の串刺しだ。
黒い岩石は固く、壊れることはないが、地盤のせいか、中が空洞になっていることろはしばしばある。
先の大戦で追われる身であることが多かった俺達は、しばしばその自然の洞窟を利用させてもらった。
そのたび持ち込んだものも増えて、ある程度生活できるような状態になっているはずだ。と言っても、何十年も前の話だ。今はもうないかもしれない。
二手に分かれて早一ヶ月、すでにひゅうひゅうと冷たい北風が吹きつけ、うっすら雪も舞っている。
商人風の格好をして大荷物を背負う。これなら怪しまれることはないだろう。
魔導士というのは寒さに強いのだろうか、二人は特に何も気にしていないようだ。
実は俺はカシャやガユ同様、あまり寒さには強くない。
寒さもさることながら、降る雪は視界を奪うし、湿気の多い雪によって体重の増減にエネルギーを取られ、寒い中の飛行は体温を容易に奪う。
冬眠の本能を持つ動物よりは、いいのかもしないが。
先を行っていたリンが不意に振り返る。
「忘れていた。」
そういって俺の耳にそっと触れる。そこからどんどん温かみが広がっていった。
「おお!すごいな、魔法って。ありがとう、リン。」
姫も会話に加わる。
「リンはすごいのね。詠唱破棄に加えて炎の高難度魔法を対人に加工しているのでしょう?」
「そうだ。大事なのは、火の強さを想像することだ。全てを燃やし尽くすドラゴンの火では人間は消し炭になってしまう。俺は暖炉の前で温まることを想像する。魔力の調整とは、そういうことだ。」
リンは相変わらず不愛想だが、姫は最近リンに良く話しかけるようになった。
リンも嫌がっているわけではなさそうだ。
「ここは魔気が薄い。あまりあてにしないでくれ。」
魔気とは、大気中に存在する魔力の事である。
通常、こういう生き物がいないような場所では魔気は薄まり、空気がきれいで、豊かな、自然と生き物が共存している場所で魔気は最も濃くなる。
魔導士には自身のうちに持つ魔気の器がある。対して、魔法を与える側にも。それぞれに見合った量の魔気を器に満たすことで、初めて魔法は成立する。魔気が薄いところでは魔力は集めるのに時間がかかるのだそうだ。
「魔法は、生きるものと共存する。それは、魔道に生きるものが生き物を好むからだ。命なきところに、魔法は生まれない。」
リンはそういった。
そろそろ、第一の地点に付くころだ。他の4人も、無事に南の山を走っているだろうか。
洞窟は、残っていた。が、中はひどいことになっていた。ほこりと蜘蛛の巣まみれだ。
とりあえず掃除から始めると、中にあるものは大体使えた。
荷解きをし、一応の落ち着きをみせる。
「案外居心地がいいわね、ここ。」
「秘密基地のようだと思いませんか?」
「ふふっラーナは時々子供のようなことを言うわね。言いえて妙というか、この雰囲気、好きだわ。」
俺達は、本格的な冬が始まるまでの不安定な天気の間を第一の洞窟で過ごした。リンはよく姫に魔道を教えた。姫は今まで自分の力でのみ魔道を使っていたから、これは大きな収穫だった。俺は国政や史実にない整合性を持った歴史、戦術を教えた。
姫はいろいろなことに傷付き、失望し、涙を流した。でもそのたびに冷たい雪を顔にかけて、解けた水と涙を拭いて、強く、強くなった。
その何度でも立ち上がるような姿はエルにそっくりだった。
多分遠い目になっていたのだろう。何回か、リンに声をかけられた。
「おい」
「ああ、大丈夫。何でもないよ。」
冬はいよいよ本番を迎え、外に出るとこはできなくなった。
魔気も遮断され、俺も能力が落ちる。原始的な、それでいて人間的な営み。
ああ、この生活に慣れてはいけない。この、安寧に。
そう火の傍でうとうととしていた。
「ラーナは時々迷子のような顔をする。」
大雪が降った夜、小休止した間に外に出て雪兎を見つけた。食い物には備蓄があるが、獲れる時にはその場でとれたものを頂くほうが冬山では安全だ。冬山で命をつなぐのは難しい。それは人間であっても、動物であっても。
滑落したらしい斜面に横たわる死にかけの兎にとどめを刺してやる。天寿を全うする、という言葉が最も似合わない場所で、動物たちはしばしば凍らされ、飢えに飢えたまま、また飢えた獣に生きたまま目玉をくりぬかれ内臓を引き裂かれ生き血を啜われた。
野生に生きるという事は、こうも厳しいことなのだ。冬はそれを教えてくれる。
「迷子?」
姫が聞く。珍しくリンが口火を切ったのだ。
「姫さんを見ているときに、たまに。」
「そうかい?俺に帰る場所はないから、正解ともいえるぞ。」
「茶化すな。永遠の迷い子は、神に石を投げたその人ただ一人だ。お前にも帰る場所はある。」
「ラーナ…。今まで聞かなかったのだけれど、ご両親はその後…?」
「父は金がらみの汚職で首をはねられて、母は気が狂って死にました。」
「英雄の両親が、か?」
そういえばリンに俺の話をしたことがなかったと気付き、姫の了承を得て、俺は話しだす。エアーチェと会った時と同じ話を。
リンもさすがに衝撃を受けたようであった。
「出会ったのがもう何年も前のような気がするわね、ラーナ。」
「ええ、全く。
でも、俺があと何千年か生きたら、きっと今は一瞬になるのでしょうね。」
そこで言葉は途切れる。
「ラーナは、それでよかったのか…?」
震える声でリンが口を開いた。
「ああ。」
それ以外の言葉はない。
「でも、」
言うな。言ってはいけない。安寧がささやく。
これが至上でなければ、どんな悲劇だというのだ。
「他の奴らは、どうだろうな。
俺は、あいつらを巻き込んだのだから、恨まれて憎まれても仕方ないよ。」
本音が、雪に吸い込まれるように出てしまった。
「いいえ。」
それを強く否定したのはエアーチェ。
「少なくとも、私が出会ってきた仲間はそんなことはありません。
それが正しい選択であったかどうかを、あなたの主観で決めることはないわ。それぞれ、自分の決断で何かを決め、何かを捨て、何かを得たのだから。
その選択が今を作ったのなら、私もあなたを間違えた人とは思わない。」
俺はその言葉に苛まれた。その言葉が、つらかったのだ。だから、言わなかったのだ。
俺はとっさに作り笑いが出た。こういう時、人はなんとしても自分の心を護ろうとするらしい。
「俺は、…すみません、少し外の空気を吸ってきても?」
俺は、逃げた。
この静かな時間は、俺を正直にも、卑屈にもする。
真っ白な夜の、凍てつく空気を体に浴びる。
「ラーナほどの人でも作り笑い、するんだな。」
うしろにリンが立ったらしい。
「エアルリエ姫のもとへ。」
「今のラーナの命令は聞かない。それにお姫さんにも言われたからここにいる。」
「…そうか。」
珍しく、気でも立っているのだろうか。どうしてもリンにはこんな弱弱しい俺を見てほしくなかった。
「だ、大丈夫だ。」
突然リンが言う。背けていた顔をリンに向ける。リンは耳どころか首まで赤くして、俺を真っすぐに見ていた。
「え…?」
「大丈夫だ。ラーナがいつも言う言葉だろ。」
「ああ…ありがとう。」
「…そうやって無理して笑うな。時には俺のようになればいい。
俺相手になら、別にぶすっとしていたっていいんだ。俺だってそうだしな。」
「今日はやけによくしゃべるな、どうしたんだ?」
リンは無言で俺の横に立つ。
「よ、避けろと言われても避けない。ラーナはいつも、俺がいてほしくない時ばかり俺の横にいて大丈夫だって、言うんだ。」
少し気が抜けた。
「ああ。そうだな。」
リンはお気に召さなかったらしい。
「ラーナはいつ力を抜いている?
いつまで俺の前で聖人面しているつもりだ?」
聖人面とは、初めていわれた。
「ひどいな。俺は元からこういう顔だよ。」
「違う。そういう事じゃない。ラーナはいつも俺の孤独を見計らったかのように現れて、嘘みたいなことばっかり言って、俺に優しくする。
俺はと言えばいつも不愛想で、言葉はいつも足りない。だから少しくらい、格好の悪いところを見せろよ。じゃないと、不安になるぞ。」
俺はと言えば、リンの剣幕に押されるばかりだ。
リンは、不意にしゃがみこんだ。
「…俺はな、俺は…俺は、悪魔だ。」
いきなりの発言に驚く。
「リン?何を…。」
リンは手でそれを制し、座るよう目で合図する。
「俺の母親は、ピアユ様の、13番目の子どもだった。
13って数字はさ、俺達の世界ではとても不吉なものだ。魔道に生きるものの全てを統べる者が、嫌うんだ。世界を滅ぼす抜け穴の数字だから。
末娘だった母を、ピアユ様は大層可愛がったが、姉兄達は違った。
なんせ、俺の母は魔力をまったく持たなかったからだ。
他の姉兄達は皆ピアユ様の御子であることがわかる大きな魔力を有していたのに、何も持たない母が優遇される…。
母自身、可愛がられるという事をどこか哀れみに感じていたのだろう。
いたたまれなく暮らしていた母は、次第に家を離れた。そこでろくでもない愛をささやく男にだまされ、俺が出来た。
家を出てぼろ小屋で暮らしていた母は、父に逃げられ一人で産み育てることを決めた。母は、孤独な生涯にやっと仲間が出来ると思ったのだろう。一般人である父と、魔力を持たない自分の間の子であるのなら。
嵐の日、並外れた難産、苦痛の末生まれたのが、俺だった。
生まれながらにピアユ様をも圧倒的に凌駕する魔力を持った……悪魔。」
そこまで言うと、隠れていた前髪を上げる。左目の色は、この世の物とは思えない美しい金色。
さらに腕の黒装束をめくると、そこにあったのは左腕いっぱいの紋様。
「これは、悪魔の証だ。母親は生まれてしまった醜い我が子を憎んだ。
一方、ピアユ様は、母が出ていったとはいえ、居場所は知っていた。まあ、魔導士だから当たり前ではあるが。
そしていつも母を見守っていた。人生に干渉せず、ただ危険から彼女を人知れず護りながら。
だから、俺は見つからなかった。」
そう区切られて俺は気付く。
「まさか16年前の“悪魔の子“は…」
「俺だ。ピアユ様は、すぐにそのことに気が付いた。そして、他の子どもを救おうとしたが、手遅れだった。」
「何と…。」
「ピアユ様はそれでも、俺と母には干渉せず、ただひたすら存在を隠し通した。母は、俺を嫌った。それはとてもつらく長い時間だった。」
俺は何も言わず、頷いた。
「10になった年、俺はピアユ様に保護された。…俺が、
俺が、この手で母親を殺したからだ。」
寒風が吹きすさび、両手で体をかき抱くリン
「リン、これ以上は」
「いい。あの日は、俺はピアユ様の使者と接触したんだ。そこで自分の正体を知った。そのころにはもう、あふれ出る魔力が<魔道に生きるもの>を引き寄せ、常に溢れ、生活に支障をきたすレベルだった。ピアユ様は俺を手元に置きたいとおっしゃったのだ。そうすれば、魔力を制御する術を学べる、とね。
俺は、やっと母親を開放してやれる、そう思った。
だから俺はすぐに家に帰って、母に家を出ると報告した。その時、最初で最後、母に俺は抱きしめられた。どれだけ虐げられた毎日でも、俺は嬉しかった。
でも母親の言葉は、心は、違った。
とうの昔に、彼女の心は壊れてしまっていたんだ。
「いかせない」
そういった。
「お前を世に解き放てば、罪を負わない大勢の人が悲しみに暮れてしまう。お前によって齎される厄災を、なぜ生まれてきたのだと憎むだろう。
ああ、恐ろしい悪魔の子…!
お前をここに縛りつけておくことだけが、お前を生んでしまった私の唯一の罪滅ぼしだ…。」
俺は、心臓が止まりそうだったよ。あんなに力が強い人だとは思わなかった。無理矢理に抜け出した腕にはナイフを持っていた。
母は人形のような顔で俺に迫った。雷に晒されたその顔こそ、悪魔だと思った。
死にたくない。ただそう思った。この状況で、俺が生き残るためにはどうすればいい?そう考えた。
その瞬間俺は、“死を与える魔法”を取得してしまった…。
俺達魔導士は、“死を与える魔法”を持たない。<魔道に生きるもの>はしばしば人の命を奪うが、それは時に怒りであり、愛する方法でもある。彼らは俺達とは違う存在だから、何かしらの表現はいつも俺達と彼らでは違うのが常だ。でも、魔導士は人間だ。魔導士の中で死を与える魔法を取得することは、大罪なんだ。我らは奪う者に在らず。ただ、与えるものであるから。
でも俺は、何も知らない子供だった。生きたい、そう願った。俺の死を願うものを、拒絶した。
突き出した両手が焦げる衝撃の後、原形をとどめない母だったものが崩れ落ちた。
その後の記憶はあまりない…。
ピアユ様と会った時のことはよく覚えている。
「この魔法は忘れてしまおうね」
そういって両手を綺麗にして、その魔法についての記憶を消してくださった。今も、俺は死を与える魔法を持たない。
それからの俺は、生きながら死んでいた。ピアユ様の魔術院に入り、魔術を修める術を知った。<魔道に生きるもの>と俺は共存することができた。彼らは何をも知っていて、俺の常の味方であった。俺は魔法の世界にどっぷりと漬かっている。でも、生きている俺本体の人間は、何を見ても、何を学んでも、何も感じなかった。
何も、愛せなかった。
…怖いんだ。俺が拒絶を願えば、<魔道に生きるもの>はまた“死を与える魔法”の方法を、力を、貸してくれるだろう。でも俺はもう大事な人を殺してしまうのは嫌なんだ。だから何もかもに無関心に生きることで、自分を守ってきた。
魔導士とは、自分自身を愛する者。<魔道に生きるもの>を愛する者。<魔道に生きるもの>に愛を受ける者。魔法という奇跡の僥倖の温もりを力とし<魔道に生きるもの>の味方であるもの。そうあってさえ、俺には、愛することも、愛されることもないらしい。」
俺がリルトアの話を聞いたときに不安になったのは、このことだった。
「リンを愛した人は、本当に一人もいなかった?」
「俺が“悪魔の子”と分かれば皆離れていく。そりゃあそうさ、歩く厄災だからな。」
「リンが愛した人は?」
「俺、俺は…愛ってなんだか分からない。
そんな俺にピアユ様は出来る限りのことをしてくれた。
俺も変わろうって、思ったよ。でもそのたび、俺は母という十字架に磔になる。
ああ、話を戻そうか。
俺は、俺はこういう人間だ。だから、ラーナが弱っていても、舌打ちをしても、泣いても、罵詈雑言を吐こうとも、俺は違うことを考え思っている。ラーナのどんな側面を見ても、俺はラーナをどうこう思わない。迷子っていうのは帰る場所があるから迷えるんだ。なら、俺がラーナの帰る場所になろう。」
この子は、どうしてこうにも優しいのだろう。
どうして、こうにも優しい子が咎を背負って生きていくのだろう。
俺はふへえっという変な笑いが出た。
「リン。
俺は君の傍で生きたい。大切だよ。一緒にいたい。君の為に、死にたくない。
この世界は俺から見て、どこか遠くて、誰かと並んで歩きたいなんて思ったこともなかった。仲間たちは、大切で大事だけれど、君に思うことはそれとはまた違うんだ。
君と綺麗な夕陽が視たい。君が見せる魔法はいつも夕暮れ色で美しい。
俺はこの感情に名前をどうしても付けたいんだ。
俺は、君をどうにも愛しているらしい。」
そのあとに、涙が出た。
リンを視ると、リンも、嗚咽を漏らしていた。
冷たい灰色の眼は、雨に降られたように濡れていた。
リンは自分から突然落ちた雫に大層驚いているらしい。
俺達は身を寄せ合って、冷たい雪の中世界一温かい場所にいた。
「リンは、強いなあ…。」
「強くない。俺は強くないよ。ラーナが俺を強くしたんだ。」
「ねえ、リン。ありがとうな。今から俺の帰る場所は、君だ。」
リンは大きく頷いた。
「それで、リンの帰る場所は、俺だ。」
首が動く。
そして俺達は、しっかり手を結んで、洞窟に帰った。
エアーチェは、戻った俺達を見て嬉しいような顔でため息を吐いた。
「愛しい、不器用な人たち。」
三人で顔を見合わせ、少し笑った。
冬の間、4つの地点を拠点とし、雪が小休止した時間を使って俺達は進んだ。
何も変わらないようにも見えるが、少しずつ変化を遂げながら、俺達は選んだ。追手は、一度も影も見せなかった。
「逆に、不気味ね。」
エアーチェは、こう言っては失礼かもしれないが、だいぶ庶民らしくなった。
特に最初に気なっていた言葉遣いも、もうすっかりなじんだ。
3つ目の洞窟に居を構えた時、冬はいよいよ終わりを始めていた。
「はい。まさか追手がかからないとは思いもしませんでした。」
「私はそれほどの価値もないのかしら。」
「いいえ、そんなことは。可能性としては、よほどの阿保だったので、追手を全部南に向けた、という事ですかね。」
「ありえなくないわ。思い込みの激しいお方だから。ねえ、冬を抜けて、仲間を無事全員揃えることが出来たなら、あなたはどうするつもり?」
「まず、冬を抜けた後には最速で仲間をそろえなくてはいけません。春の訪れとともに戦争状態になることはままあります。
そのあとですが、まずは姫をあるべき姿に収めたいと思っています。」
「あるべき姿…?」
リンが干し魚をちぎりながら言う。
「エアルリエ姫、あなたは今、本来玉座に座るお方だ。正当王位継承者なのだから。」
「つまり、隣国との諍いの前に、王城を落とす…と?」
「ええ。この国は囲まれている国。どこをみても背後が出来る。それであるなら、私達は塔にならなければなりません。どの国よりも高い、摩天楼にです。
王城に向かい、マーガリア女王を玉座から引きずり下ろす。そうして、隣国との争いを平和的に諫めるのです。もしそれが叶わなかったのなら、全指揮をエアルリエ姫が取り、この国を護るのです。そして、荒んだこの国に、お恵みを。」
「そうね。そうよね。敵は一つでも少ないほうがいいわ。王城までの抜け道は私が知っているから、任せて。」
「俺も王都にはピアユ様の魔術院があるので協力できることは多いかと。」
「ああ、助かります、二人とも。」
「こうしてはいられません、次の小休止で一気に第四地点まで進みましょう。」
「ええ、仰せのままに、我らの女王。」
だがしかし、そうやすやすとは行かなかった。通る予定の道で、大規模な雪崩が起きたのだ。
「これでは…進めない。」
「ああ…。」
俺とリンで、何とか突破の道を探すが、如何せん全てをなぎ倒されてしまった道は、二次崩落の可能性もあり、最大の慎重さが求められた。
「リン、厳しいとは思うが転移魔法は使えないだろうか。」
「それは無理だ。俺はこの道のあるべき終着点を知らない。転移魔法は今ある地点と終着点の現実のビジョンが見えていることが大前提。使うことはできてるがどこに着くか…魔道に生きるものの描く終着点に流れ着くのがおちだ。そしてそこは人間の立ち入る場所ではない。」
「そうか…。ここは少し時間を無駄にはするが大きく迂回して進むしかないな。」
「ああ、じれったいな。少し待てるか。」
リンは何やら倒れた針葉樹の葉を手に取ると、自分の荷物の中から赤い紐を取り出し、ぶつぶつと呟き始めた。
「とまれ とまれ この状況をどう説明しよう?
もしかして私を知っている?
私はこの問題に立ち向かわなければいけない
秘密を守る 息をこらす
君と私は向かい合った
なんで友情は続くんだろう
昨日昔の友達に会ったんだ
君と話がしたい
急ぐ道筋にたしかに足跡を」
葉は一瞬でぽうっと燃え尽きるのが視えただけだった。
エアーチェははっと息をのんだ。
リンは言う。
「案内係が来た。安全にこの道を進める。」
俺は何が起こっているのか分からず首をかしげると、リンが俺を小突いた。
「俺の視界を少しだけ貸してやろう。」
俺はリンと目を合わせ、そして、
一つ目の長い何かを見た。
俺はすぐに視界を返す。
何だ、あれは?
あれは、俺のようなものが長く見てはいけない気がした。
「そう怯えずともラーナを取り込んだりしない。むしろこいつはラーナと相性の良い部類だろう。こいつは森の葉の眷属。かつてありし道を憶える者と呼んでくれ。」
「…異能者…」
奥深くから聞こえるようなさざめき声が聞こえる。
「今、俺は魔力のベールでラーナを包んでいる。この中に居る間は彼らと話すことがきるだろう。くれぐれも、案内人にはいきたいところを明確に思い伝えることだ。さもなくば明日は知らない国の土地で転がることになりかねん。いや、よその国であればまだよいが、そもそも帰る導のない次元の違う世界に飛ばされることだってある。」
「我は導きしもの…。迷える母の眼、異能者よ…。汝はどこへ何を望む…?」
俺は答えた。
「森の葉の眷属よ、俺は、生きたままこの雪深く埋まるかつてありし道のりを望む。」
「そうか…そうか…この道を、辿るのか…。最後に通りしは色黒の男…。我は案内せしめん、御子の呼びかけに応じたのだから。」
大きな一つ目は姿を変え、視界一面を木の葉が舞った。
次の瞬間そこには雪はなく、ただ道が続いていた。
俺が唖然として立ち尽くすと、肩に木の葉ほどの重みを感じた。
「母の眼…異能者よ…道は開けた…かつてありし道…辿れ…辿れ…ふふ…どうか…迷わんことを…ふふ…ふふふ…」
そう声が聞こえたかと思うと、声は次第に霞がかって消えた。
リンが言った。
「じゃあ、行くぞ。」
俺はただただ驚き、思わず座り込んだ。
「これが、魔法か…。」
ふふっとエアーチェは笑う。
「初めて目にすると驚くわよね。」
俺は立ち上がると、歩き始めた。ちゃんと地面の感触がある。
俺達は歩きながら話し始める。
「これは現実の道か?」
「いいや。これはかつてありし道を憶える者が憶えている道だ。俺達は今確かに雪の上を歩いているぞ。」
「確かな大地にしか見えない…。あなた方は普段からあんな世界を見ているのですか…。」
「私とリンでもまた違うけれどね。私はこんなにはっきりと、世界が混在しているさまを見ることはできないわ。そもそも魔導士としての器の質が違うのです。リンは、限りなくあちら側に近いこちら側の住人と言えるでしょう。これはとても稀有なことよ。それが幸運なこととは、言い切れないけれど。」
「そうだな。俺は常に世界をまたぎながら生きている。だから隣の家の人にソイソースを借りるように、俺は彼らの力を借りることが出来る。ほとんど無意識的にな。俺は魔法を使う、という感覚すら言語化できるレベルでは持たないんだ。俺は先程、森の葉の眷属の力を借りるのに所謂呪文というものを唱えたわけだが、あれは俺と森の葉の眷属との会話だ。呪文に決まりはない。彼らにとって最適な言葉で語る言葉が、呪文となったんだ。
お姫さんはどちらかというと魔力を術に変える術にたけているタイプの魔導士だ。魔力の源である魔気、<魔道に生きるもの>をあてにするというよりも、今ある自分の魔力に注目し、それをどういう風に言葉や文字、発現する方法にするかを科学的に考えて論理的に組み立てる。力を持つ者の正しい結果だな。」
「そうね。私の持てる魔力は限られている。だからその力の出力を決めるために魔法陣や呪文、媒体となる道具がいるわ。持てる魔力を超えて力を放つというのはとても危険なことなの。」
「魔法というのは、自由な世界ですね。何百年と生きても、捕らわれているのは、いつも人間ばかりという事ですか。」
「そうね。肉の体にすべてを押し込められた私達人間には、とても追いつけやしない世界だわ。でも、人間の世界はとても美しいものよ。たくさんの生き物が心をもって、たくさんの感情を絡ませながら簡単なことを遠く回り道をして、いずれ死ぬからこそ必死に毎日を生きる。<魔道に生きるもの>達も、それに惹かれてやまないからこそ、隣にいようとする。彼らなりの方法で愛し、憎み、共存するの。これはリンの受け売りだけどね。」
「本人を横にしてよく受け売れるな、お姫さん。」
「あら、物覚えが良いと言ってちょうだい。」
「たくましくなられましたな、エアルリエ姫。」
「そうね。そうじゃなくちゃ、生きていけないわよ、この世界では。」
しばらく歩いていくと、不意に視界が急転し、俺はまた雪の上にいた。
「ここが彼の視界と記憶の終着点だ。」
「なんだか目が回る…それにとても体が疲れた気がする。」
「魔法の中に初めていたんだ、脳が混乱するんだろう。魔法を使うというのは、実は案外体力を使うもんだぞ。体の中の魔力という名のエネルギーを削るからな。」
「そうか…。ああでも、面白い体験だった。長生きはしてみるもんだな。」
「それは良かった。あなたは怖がらない人で。怯えは、自分を取り込み邪心にするものよ。それじゃあ、進みましょうか。西へ。」
俺達が北山を抜ける頃、南の山を駆けるガユ、ライ、ファカティー、リルトアもまた無事に西側へたどり着いていた。そして、ついに再会の日は訪れた。
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