第10話 聖戦の英雄と日陰の魔導士
早朝。
俺は何かがこすれる音で目を覚ます。
辺りを見渡すとライとガユが体を寄り添わせて寝ていて、女性陣二人がいなかった。
火を少し大きくすると、音を立てずに音源に近づく。
二人は、矢を射る練習をしていた。腕を振るわせながら弓を持つエアーチェにファカティーが横から何かを言っている。
音を立てて二人に近づくと、挨拶をした。
「おはようございます、姫、ファカティー。」
エアーチェは弓を落ろし、ファカティーがこちらを見た。
「「おはよう、ラーナ。」」
二人の声が揃い、顔を見合わせて笑っている姿に、いつの間にこんなに仲良くなったものかと首を傾げつつ、聞いた。
「ところで姫、その弓は?」
するとファカティーが答えた。
「アタシが随分前にゼリで買ったのよ。見た目がきれいでね。」
成程確かに綺麗な弓だった。朱塗りの竹らしき本体に真っ黒な弦。
エアーチェは不思議な顔で質問した。
「ファカティーから聞いたのだけれど、何故皆さんはパルティ以外弓を使わないの?」
俺達は顔を見合わせ、答えた。
「それが…。」
「わからないのよ。」
「分からない?」
「説明が難しいのですが、我々は弓を触ると生理的悪寒と拒否反応が大きく、持つことはできても狙いを定めて射るなんてことはできないのです。」
「何故パルティだけが扱うことができるかも謎ね。」
三人して首を捻るが、こればかりは俺達にも分からない。
「森の力には、分からないことも多いわ。でも、アタシ達はそれを詮索してはいけない。」
「詮索できない、というほうが正しいかもしれないな。俺達の理から外れたことを理解することを、森は望まない。それで、姫はいかがですか?弓の腕は。」
「難しいけれど、多分私にはなんとなく弓がなじむ気がするわ。」
「ま、フォームは悪くないわね。」
「ファカティーは教師には向かないわね。」
「悪かったわね。」
「ふふっ。」
「あははっ。」
エアーチェの心の開き方も、ファカティーの楽しそうな笑顔も、珍しさを感じた。
「あなた方、いつからそんなに仲良くなられたんです?」
「あら、ラーナったらレディの仲に興味津々なの?」
「まあラーナったら。」
何故か双方向の攻撃を受け俺は両手をあげて首を振る。
「分かった分かった。聞かないでおくよ。」
踵を返し火の元へ戻ると、ライが起き上がっていた。
「ライ?どうかしたか?」
「ラーナ!足音がする。」
「数は?」
「40…47だね。」
「47?随分半端だな。」
「そうだね。」
「俺達を狙っているかもしれない。姫とファカティーをこちらに呼んでくれ。すぐに発つ準備を。」
「分かった。」
すぐに駆け出すライ。俺は手早く火を消し、荷物をまとめながらガユを起こした。
「おい、獲物だ。」
ぴくりとガユが動き、起き上がった目はすでに戦闘状態にあった。
「いくつだ?」
「47だ。」
「俺はどうすればいい?」
腹をすかせた狼の眼。
「偵察を頼むよ。」
「了解。」
するりと、音もなくガユの体が消える。
森の狼は、影の子。常闇の茨に愛され、影と同化する。
ガユが消えた何分かの後、三人が戻ってきた。
エアーチェがいつになく鋭い目で言う。
「魔導士がいるようです。上手く気配を隠しているので正確ではありませんが、おそらく3から4名。」
「なるほど、それで大体50名規模ですか。」
「どうするつもりかしら?」
ファカティーの戦闘準備も万端の様だ。
「姫、魔導士は、強いですか?」
「ええ。恐らく。これは公にはなっていませんが、この国には秘密裏に、戦闘に特化した魔導士を育成する完全独立組織があるとか。もしマーガリア女王とつながりがあれば、厄介ですわ。」
俺は3秒考えた。
「地理的に、こちらが不利です。ファカティー、魔導士ではないほうを東へ誘導してガユと共に痛めつけてきてくれ。」
「分かった。行くわ。」
パッとファカティーが茂みに消えていく。その唇からかすかに音を零しながら。
「ライ、あちら側の戦況を常に聞いておいてくれ。
姫、申し訳ありませんがおとりになっていただきます。」
「ええ。」「わかった!」
「では、集中して魔力を探知するようにしていてください。それだけで結構です。ご自分の身を最優先にすることだけ、考えてください。」
「分かっているわ。」
「では、」
と、俺の背後からほんのわずかな視線にこめられた殺気を視る。
振り返り剣で受けると、この前の戦闘では感じなかった重さが手にかかる。
「…プロか。」
そのつぶやきはほぼ同時だっただろう。
俺は主に相手取り、ライは姫を護ることに徹している。ぱっと剣が離れた瞬間に気配が消える。
その時、エアーチェが叫んだ。
「東45度、ライの隣に1.2m
北西30度に二人、2.0mに魔力反応!“光の矢”だわ!」
この一瞬で高度魔法である光属性魔術を発動させるものとは、やはりできる魔導士連中らしい。
「ライ、やれるな?」
「うん!」
姫に示された地点をピンポイントで視点を確保し、軌道を計算する。
剣でその軌道を重く、重く切り裂いておき、投擲する俺だけの爪を別の軌道にのせる。
すぐに体重を消すと近くの木に飛び、風を捕まえて飛ぶように移動する。
三人の魔導士は、すでに発射されていた“光の矢”が途中でかき消えたことにうろたえたのもつかの間、腕や肘、膝に爪が刺さる。
突如現れた攻撃に剣を抜いたその時、爪の先端から伸びる、細い細い針金をまとめてライに渡し、ライが放電した。
流れた電流が3人を貫き、気を失う。
俺は手早く縛り上げ、ライとエアーチェの元へ戻った。
「お疲れ様でした、ラーナ。」
「もったいないお言葉。ライ、ナイスアシストだったよ。」
「やったね!」
ちょうどそのタイミングで、ガユとファカティーも戻ってきた。
「おかえり。首尾はどうだ?」
「数は47で間違いなかったわ。女王直属部隊の小鼠共ね。」
「なんでも、作戦の内容すら知らされずに出動させられたらしい。命令は一つ、このあたりにいる薄いブロンドの少女を殺せ、だとよ。」
「ふむ…そうか。」
「なーんか懐かしいな!ラーナの引き締まったこの感じ好きだなあ。」
俺は一気に解けた空気に苦笑する。
「それで?この3人は何者なんだ?」
「魔導士らしい。」
「ほー…。それでライの網から外れたのか。」
「おそらく。おい、起きろ。」
何度か体を揺らすと3人はうなりながら起き上がった。
ガユは背後から、ファカティーは真正面から、ライは横から各々剣を首にはわせる。
俺は地面に剣を刺すと、その上に手を置き、鳥目で睨む。
「その方ら、この方がどなたであるか、知っているな?」
黙している3人。うち一人は灰色の眼を持つ男だった。
「…何故攻撃をわざと外した?」
そう。先程の“光の矢”の軌道は、ぴたりと0.5㎝、俺からずれていた。
その技術力に思わず背が凍った。
灰色の眼はそこで初めて揺らぐ。
「かの英雄はそこまでお見通しなのか。」
男にしては少し高いが、落ち着いた声だった。
それより、俺達のことを知っている?まさかもう女王まで知られているのか?
俺は湧いた疑問を顔に出さずに、質問した。
「その方ら、何者だ?」
「ピアユ・トキの一味と言えばわかるか。」
その言葉に俺ら4人は固まる。
おもわず目を合わせると、無言で頷きあいそれぞれの縄を解いた。
「ラーナ?何者です?」
エアーチェが不思議そうに首をかしげる。
「話せば長くなりますが、敵ではないかと。」
俺は少し苦々しく、ファカティーなどはおもいきりにやついている。
3人は音を立てずに俺の前に手を取った。
「「「ラーナ・ゼンラス閣下。おかえりなさいませ。」」」
後ろではエアーチェが良きを飲む音が聞こえた。
俺は大きなため息を吐いた。
「大仰な挨拶はよい。私より先に我が君主に非礼を詫びご挨拶を申し上げよ。」
「ラーナ、昔に戻ってるー!」
ライは何故か嬉しそうだ。
3人はエアーチェの前に頭を垂れた。
「姫君、ご無礼申し上げる。」
そしてすぐ俺の足元に戻ると6つの眼で俺を見つめた。
「我らはゼンラス閣下にお仕えします。何なりとお申し付けくださいませ。」
エアーチェに対する反応が薄く、俺はまたため息を吐いた。
「姫、申し訳ございません。」
エアーチェは軽く笑った。
「良いのですよ。」
「それで?お前たちは何をしに参ったのだ?」
「俺がゼンラス閣下をこれからお支えするため、送りこまれることとなりました。ピアユ様から言伝も預かっています。」
「あいつ、まだ生きてるのか!?」
ガユが目を剥く。
「ええ。」
灰色の眼は随分不愛想だ。
「今ピアユは何歳だ?」
「今年で御年129歳になられます。」
「…化け物だな。」
「まあ、アタシはあの子長生きすると思っていたわよ?」
「それもそうだな。それで、あいつはなんと?」
「ゼンラス閣下の味方である、と。今日は女王直属の部隊を連れ、我々は忠誠を誓うふりをしました。そしてこれから俺の他二人を部隊を返し、やはり王女は死んでいた、という報告をします。我らは二重スパイというわけです。」
「分かった。あいつに感謝を伝えるように。ご苦労。」
それが合図化のように、灰色の眼以外の二人は深く一礼すると消えた。
「灰色の眼、名は?」
「リンと申します。」
「そうか。リン、よろしく。」
リンは頷くと黒装束を脱ぐ。出てきた顔はまだ幼く、おそらく16,7。
肩を叩かれ振り返ると、瞳を輝かせているエアーチェがいた。顔に面白そうと書いてある。
「ラーナ、話を聞かせて頂戴?」
「…はああ…」
「ピアユ・トキは俺の昔の部下ですよ。」
昼飯を食べながらみんなで円になる。俺は相当なしかめ面をしていることだろう。
「あれ、リンは?」
と、ファカティーが言う。
いつのまにかリンの姿が見えなくなっていた。
「リン!」
俺が呼ぶとすぐ後ろに控えるリン。
「何か。」
「お前も輪に入れ。」
「俺は従者です。主人の横には並びません。」
「俺はもう英雄ではないよ。頼むから、お前には仲間になってほしいんだ。」
少し目を開くリン。リンは寂しそうな眼をしている。
何十年も前の俺達のような。
黙って俺の横に座るリン。
「それで?」
とエアーチェが身をのりだしてきた。
「それだけです。」
俺が眉間にしわを寄せて言うと、ファカティーが楽しそうに言った。
「ラーナの初キスの相手よ。」
「ファカティー…!」
「しかもラーナが奪われたほうなの!」
「ライまで…!」
「ふうん…すべて聞かせてもらいますわ。ねっ。」
―何十年も前。
北のチャサ国国境。大戦は終わりを見せず、幾度も争いが繰り返されていた。俺達が戦士となってはや10年近く経っていただろうか。
季節は、冬。
「寒いねー。ガユ、冬眠しなくて大丈夫?」
「うるせえドチビ。」
「ねえ、早く歩いてくれない?遅いわよ。」
「な、なんかファカティーちゃん怒ってる?」
「睫毛が凍るからだろ。」
「なんか言った、ガユ。」
俺は後ろの会話に苦笑する。前を行く双子も笑っている様だ。
「なあ、サシャ、カシャ、今日は何をしに行くんだ?」
双子に並び、聞く。
この二人が事前に行動とその意図を話さないのは珍しいことだった。
「今日は、このあたりの盗賊を殲滅する。」
「そして、そいつらを仲間に引き込む。」
「「北国に住む盗賊共は強いらしいから。」」
俺はあんぐり口を開ける。
「そんなに大事なことは先に言えよ!作戦とか考えてくるのに…。」
「いや、仲間と言ってもね」
「国境警備を任せたいだけなんだ。」
「そ、そうなのか…。」
今更だと割り切り、後ろの奴らにも説明をしておく。
「「この辺かな。」」
双子の声に全員が集まる。
地形を視る限り、成程確かに人がひそめそうなところはたくさんあった。
「さて、どうしてものかな。」
「ラーナ、地形はどうだい。」
素早く地形の特徴と特に怪しげな地点をポイントし、伝える。
「北東に5m、北北東に13m、北に23m、西北に8.7mの4ポイントが特に怪しいな。この辺りは山肌に隠れた洞窟が多い。人食い蝙蝠なんてのも出るだろうな。
サシャはこの辺の動物について、どう思う?」
「蝙蝠は…飼われているね。他の危険な動物はほとんど寝ているよ。」
「操れそう?」
「問題ないわ。」
「ラーナとファカティーは北」
「パルティとトーノは北東」
「ライとガユは北北東」
「「私達は西北へ。とりあえず倒してしまって構わない。」」
「「「了解」」」
ファカティーと俺は走り出した。
「何でアタシ達が一番遠いところまでなのよ。」
「まあまあ、文句言わないの。多分そこに頭がいるよ。」
「そうなの?」
「たぶんね。体が温まれば凍った睫毛も解けるだろう?」
「なんか言った、ラーナ。」
「悪い悪い。」
むくれながらもファカティーはちゃんとついてきた。
「罠はあるか?」
走りながら雪の音に似た歌を歌いだしたファカティーはしばらくして目を開けた。
「たくさんあるわね。さすが狩猟民族がすみそうな場所だわ。」
「そうか。」
「でも大したものはないわね。それよりも蝙蝠も人の数も多いみたいだから、めんどくさいわ。」
「その他大勢と、頭、どちらがいい?」
「その他大勢で。アタシにはそのほうが向いてるわ。」
「そうだな。頼むよ。」
さらに加速し、目や指で合図をしながらわざと罠をかすめたり壊したりしながら進んだ。
その洞穴の前は気味が悪いくらいに静まり返っていた。
「まるで猛獣の巣ね。」
ぽつりとファカティーがいい、足を踏み込む。
一斉に蝙蝠がとびだし、俺らを襲った。が、実際は周りを飛んでいるだけ。
サシャは森の動物の脳だ。
ファカティーの後ろ姿が消え、しばらく待っていると大勢の人が出てきた。
「全部か?」
「いいえ。私は奥へ行くわ。」
真っ白い肌に何かの実で顔に紋様を付けたひげ面の大男達。仮面や色塗りで性別や年齢が分かりづらかった。
「ああ、こんにちは。俺はラーナだ。長の方と話がしたい。」
俺が言うと屈強そうな若者が口を開いた。
「小綺麗なねーちゃんにーちゃんが迂闊に来ていい場所じゃねえよ。俺らはもう50年以上ここをすみかにして生きてる。地理的にも、人数的にも、強さでも、お前が勝てる要素はねえ。
さっさと街へ帰れ。」
「うん?話し合いはむずかしいのか?」
「てめえ馬鹿にしてんのか、おつむがいかれてんのか、どっちだ?俺らに話し合う理由はねえよ。」
「そうだよなあ。そこをなんとか!」
俺は態度を変えずに言うとまた別の男が口を開いた。
「こいつ、頭いかれてやがりますぜ…。」
「いやあ、そうじゃないよ。無駄な争いをしたくないだけさ。」
俺が反応すると皆色めき立った。
「そうかよ。…おい!やっちまえ!!身ぐるみはがして女は楽しめ!!」
うおおっという叫び声と共に人が押し寄せてきた。
軽くいなしてなぎ倒していく。なるほど雪に耐えるための屈強な体は頑丈で力が強い。それでいて動きは繊細だ。
俺は男たちの動きや視線を視て頭とその周りと思しき何人かを捕らえ、あとはのした。
ファカティーは数分前から入り口の横に立って見物していた。
「待たせてごめん、ファカティー。」
「遅い。また睫毛凍ったじゃない。」
「はは、じゃあ帰ったら暖かい飲み物を作るよ。」
「当り前よ。さあ行きましょう。」
数人を抱えて戻ると、全員がすでにもう戻っていた。
「悪い。みんな待たせたな。」
「大丈夫 今 戻ってきたから」
「ぼ、僕ころんじゃって…。」
「みんなお疲れ様。サシャ、カシャ、連れてきたぞ。」
「5名か…。」
「選択肢はまあまあ多いな。」
そこから双子と族の頭との交渉が始まった。
「さて」
「私達は君たちと争いに来たのではない。」
「「君に提案をしよう。」」
「このあたりの国境防衛をお願いしたいのだがね。」
「それ以外は何も望みはないよ。」
「それさえ飲んでくれるのなら」
「未来永劫ここをあなた達の土地と認めよう」
「「どうだろう?」」
初老の頭は言った。
「その条件をのめない、と言ったら?」
「「敵も寄りつけないほどの不毛と破壊の土地にしよう」」
「…そうか。あんたらが何者か知らないが、冗談で言っているわけじゃなさそうだ。
俺達が勝てる相手じゃねえってこともな。分かった、条件を飲もう。要は他の国の奴らが入ってきたらぶちのめせばいいんだよな?」
「「そうだ。的確な判断に感謝しよう」」
「ああ、でも」
「人質を貰っていこうか」
「なっ…!?」
「もちろん」
「わるいようにはしない」
「「生かすさ、じゃなければ人質の意味がない。」」
頭は苦渋の顔をしていた。その視線を良く視ていると、捕縛した子供を幾度か見ていた。
息子だろうか。
「ラーナ」
「誰だ?」
俺は黙ってその息子の手を取る。
瞬間、子猿のような身軽さで短剣を手に襲い掛かってきた。いつの間にか縄を外していたらしい。しなやかで軽い動きに合わせて捕まえると今度は手加減なく縛った。
「こいつだな。」
「はなせ!ちくしょう!!」
「おい!待ってくれそいつだけは…!」
わめく頭や子猿を無視して双子は踵を返した。
「では」
「帰ろうか」
俺は唇をかみしめ涙を流す頭に言った。
「この辺のことは頼みました。ああ、この子は大切にしますので、大丈夫ですよ。戦が終われば、すぐにお返しします。」
頭は俺を睨んだ。
「戦が、終わると?いつ?」
俺は確かな絶望をその顔に視た。
俺は何も言わなかった。
踵を返すと、順に山を下りていく。
「サシャ、カシャ。」
「「何だい」」
「お疲れ様。つらかっただろう、こんな役目は。」
双子は答えない。どんなに嫌われ仕事でも死にかけた国を救うため万全を期す必要に迫られる俺らのリーダーの首が少しだけ、動いたようにも見えた。
「おい、子猿。名前は?」
「…。」
俺達が今留まっているのは北のチャサ国と西カコウ国、俺達の国のはざまだ。
「はあ…黙っていては何もできないだろう。
別にお前を取って食おうなんて思っていないよ。この戦いさえ早く終われば、お前もすぐに家に帰ることができる。」
するとじろりと見上げてくる子猿。
「…終わるもんか。他は知らないけどな、少なくとも北は強いんだ。お前達みたいにひょろひょろとした奴らが適うもんか。」
「終わらせる。必ず。其れだけは確かだ。」
俺の強い言葉に驚いたのか子猿は顔を上げた。俺は表情を緩めて言う。
「俺はラーナ。よろしく、子猿。」
「…子猿じゃない。ピアユ。ピアユ・トキだ。」
それが、ピアユとの出会いだった。
初めて見た時にも感じが、こいつは高い魔力を秘めているようだった。
ピアユを預かった次の日。俺はサシャとカシャの天幕にいた。
「俺が?」
「そう」
「君が」
「「ピアユの養育係だ」」
「おいおい、俺は…。」
「他に」
「出来るやつが」
「「いると思うかい?」」
「見たところ」
「なかなか小賢しいようだし」
「「ねえ?」」
二つの首が向いた先にはテントしか見えない。が、その布地に目が出来ているのが視えた。
ため息を吐きながら爪を斜めに投げる。引っかかった布はぺらりとめくれ、得意な顔で舌を出したピアユがいた。
「はあ…そこで何をしているんだ?」
「ラーナがここに行くのを尾けたんだ!」
「では」
「たのんだよ」
「ちょっと待て。」
「いいよ!ラーナのいう事なら聞いてやらなくもない!」
「お前も!」
かくしてピアユの養育は俺がすることになった。
季節が三つめぐり、また冬が来た。
冬の戦は厳しい。陣形が整い、見慣れた気荒い黒の馬面が走ってきた。
「準備が整ったよ、ラーナ。」
この三年ですっかりと成長したピアユの姿。
背も大きく伸びた。
当初、俺は絶対にピアユを戦場に出すつもりはなかった。眠っている魔力に気付き、伸ばす手伝いをして、常に誰かしらに恨まれ、戦う俺達と共に生きられるだけの訓練を行った。
ピアユには手を焼かされまくり、驚かされっぱなしだった。
すぐに脱走したとおもったら突進してきたり、泣いたと思ったら忙しく笑っていたり。
嫌いだと泣く食材を食べられるように工夫してやり、服に穴をしょっちゅうあけてはだめにするので俺が縫ってやったり。熱が出たといえば付きっきりで看病した。魔力を爆発させては怪我をして、それでも生きるのが楽しいと笑う子供だった。
その中でも驚いたのは、ピアユが女性だったことだ。
なんとつい一か月前に発覚。そして気付いていないのは俺だけだった。
そしてついに、戦いに出たいと言い出した。
「だめだ。これは人の殺し合いなんだよ。遊びではない。」
この三年教えてきたことはエルの請け合いだ。
「分かってるよ。」
だいぶ澄んだ声になった。
「分かってない。俺はお前を人殺しにするつもりで育てたんじゃない。」
「ラーナ達にだけ罪を背負わせ続けるのなんて、もう嫌だ!
私は、知ってる。
私の故郷を特別自治区として守ってくれていることを。この戦いも、皆のきずなも、普通じゃないことも。
…三年が経っても、ラーナの時間は進んでいないこと。
どんな理由か知らないけど、みんなは何かを祈りながら、求めながら苦しんで、苦しみぬいて、苦しんで。
私なんかが背負えるもんじゃないんだろうけど、もしかしたらそれすら傲慢なのかもしれないけど、私はラーナと一緒に戦う。
未来の子供達のために私だって何かをなしたい。
いや、したいじゃない。何言われたって絶対する。」
思いは痛いくらいに伝わってきた。
それでも。
いや、だからこそ。
彼女には普通に生きてほしかったのだ。
この時代に普通なんて、一番の贅沢だと分かっているけれど、俺が出来なかった、人としての幸せをつかんでほしかったんだ。
俺とピアユは大げんかをした。
俺はピアユを王都に送ろうと躍起になった。ピアユの意志は固く、能力も申し分ない。王都でなら仕事もあるだろう。
他の奴らは、最初は難色を示したが、戦局も時代も流れ、いつしかすでに各々部隊を国から預かる身。その決意を認め、側近として使うことを進言してきた。
でも、年を追うごとに土を盛る数はふえていくばかり。
何人も、何人も俺達に未来を託しながら死んでいった。
この手がたった、たった何mm届かなくて、命に刃が突き刺さる。
火の中、弓の中で死への恐怖の顔と本望の顔で、俺達と、俺達の背にある不安定でまだ見ぬものの盾になって、倒れていく。
怖かったのだ。
毎日触れていたぬくもりを失うことが。
等しく命の重みは変わらないのに、ただ近くにあった命を失うのが怖いだなんて俺はエゴの塊だ。
悩み苦しみ、自分に嫌悪すらした。
それでも時は一秒だって待ってくれなくて、黒い馬に跨った小さな背中は、戦士になった。
高い魔力と身のこなしで傷を負いながらもただひたすらに俺を支え、一番で唯一の側近として毅然と隣に在った。
俺はと言えば、今となっては指示まで飛ばす自分に、ほとほと呆れていた。
「ああ、ご苦労。」
こんなことを15年余りも、続けた。
限界まで戦いに戦った。
俺には、もう血の色しか見られないのではと思う日もあった。
何もかもを失い追い詰め得られて、心の傷は開いていくばかり。俺はなんのために戦い、今日を生きたのか分からない。
冷静に作戦を分配する自分がだんだん客観的に見えていた。
エルを失った悲しみも、いや、存在すら薄れていた。
この手はいつも、血まみれだった。
そんな時、唐突にその日々は終わった。
後の小競り合いや和約まで含めれば30数年にも及び、国民の3分の2を失った。国土の3分の1は焼け野原になった。他四か国も、300万人を超える死者がでた。
それはあまりに犠牲が多すぎた戦争。
数えきれないほどの、流れてはいけない血と、失われてはいけなかった命が、ただ眼前に在った。
終わることを望んでいた。
でもいざ終わって我に返れば、そこにあったのは、
ただ痛みだけだった。
残っていたのは焦土と骸と、確かな絶望。
俺達は国にとって有利な形で戦争を終わらせた。
でも
勝ったのか?
これで、良かったのか?
これが、
失われた命の上に立つことが、幸せ、なのだろうか?
全てを失う事。
これが、戦争だった。
無に返ってしまったのだ、全て。
みんな少なからず、戦場に出ていたものは座り込んでしまった。
それでも立ち上がって、待っていた家族の元や新しい居場所へ帰っていった。
俺達8人は、英雄となった。
失われたものの全てを前に、これが至上だと、言わなければならなかった。
一歩たりとも戦争の土を踏まずに城にこもっていた長達と国王の前で、美化された武勇伝を披露される毎日は、消え入りたいほど、痛かった。
永遠に続くかと錯覚されるような地獄の日々だった。
それでも、双子も、みんなも、何とか前を向いて、生きて、立ち上がった。
俺には、それが出来なかった。
その弱さすら憎くてたまらなくて、みんながつなげてくれた命が重たすぎた。
俺は中に閉じこもり、誰とも喋らなくなった。
みんなが心配してくれた中差し出された手にも首を振った俺を最後までしかってくれたのはピアユだった。
人形のように服を着せられる俺を張り飛ばして、年頃の娘だというのに化粧もせず男も作らず、ただ傍で生命力豊かに生きてくれた。
戦後の混乱の中、1年半も、俺は逃げた。
でもピアユのおかげで、また立ち上がることができた。
復興に、政務や軍備、外交に交通、教育に至るまで、やることは山のようにあった。
こんなにも弱い俺をみんなはまだ必要としてくれていた。
そして、決別の日は、やってきた。
短く切っていた髪はすっかり気付かなかったが戦後の一年半で長く伸びた。
やんちゃで、きかん気で、へへへっと笑うピアユはもういなかった。
気は相変わらず強いが、化粧をし、足をそろえてスカートをはき、口を閉じて笑っていた。
完全に国家から独立した魔術院を作るらしい。
力を持つ子を、正しく導き世に送り出す。楽しそうにピアユは夢を語った。
だがそれは、日に当たらない道だった。
もう二度とは、会えない道だった。
ピアユは何とも形容しがたい存在だった。娘のような、妹のような、時に恋人であったかもしれないし、時に戦友であった。そのピアユに何よりずっと支えられてきたのは、ほかならぬ俺だった。
8人並んで、見送った。
言葉にも、涙にも、笑顔にも成れず空回る気持ちがあふれたまま手を振った。
しとやかに反対に歩いて行った足がぴたりととまった。
長い髪がくるりと周り、昔のようににかっと大口で笑ったやいなや、子猿のような素早さで猛然と走ってきて、俺に飛び込んできた。
慌てて受け止めたと思ったら、歯がぶつかる勢いと粗暴さで口づけてきた。
その場にいる誰もが面食らう中、唇を離したピアユは、笑っていた。
「ラーナ、」
耳元でささやかれた言葉は今も忘れない。
次の瞬間、ピアユは消えていた。
腕の中に確かな温かみを残して。
そこに、しずくが落ちた。
1粒。2粒、3粒…。
みんなで肩を抱き合って、大声をあげて泣いた。
笑いながら。
思いがけず長く、暗い話も多くなってしまった。
その空気を壊して、ライが言う。
「ね?ラーナってば目を白黒させてんの!」
「全く、イケメンが形無しよねえ。」
姫は必死に痛みを押し殺した変な笑顔を浮かべていた。
「笑顔、変だぞ。」
悲しい空気をぶち壊して冷ややかな硬い灰色の眼が言う。
「テメエは空気を読むってことをしらんのか?」
ガユが呆れたように苦く笑った。だが、みんな内心この重たい空気を壊してくれたことに感謝しているはずだ。
リンは本当に分からない、という顔をして
「これは、失礼した。」
と言い残し、かき消えた。
「ああ、お腹が空いたな。」
俺はぽつりと言った。みんなが頷く。
「みんなは先に飯にしてくれ。」
俺は伏せていた顔を上げ、立ち上がる。
「どこへいくのですか?」
「ああ、ちょっと散歩に行くだけです。」
野営場所から少し離れたところには、滝と小川があった。
あの重たい空気の主役になってしまったのは俺であったので、少し場を離れることにして正解だったようだ。
それから、確証はなかったが、探し人はここにいる気がした。
ピアユは俺に怒られたり、落ち込んだりしたときにはいつも水辺で顔を洗う…のではなく直接水の中に顔を突っ込んでいた。
きょろきょろと辺りを見渡すと、顔をびしょびしょに濡らしたリンが座っていた。
俺は持っていた手ぬぐいを投げる。
「使え。」
リンはしばらく手ぬぐいを見つめていたがやがて顔を拭き始める。
「俺に用ですか。」
「リン、さっきはありがとうな。」
リンはまた分からない、という顔をしている。
「あのつんつんした頭の人は怒っていました。」
「いや、ガユはあれが普通なんだ。むしろあの重たい空気を壊してくれて俺は助かったんだよ。」
「そうなのですか。…過去に起こったことは、すでに起こってしまった事実です。それを悲しんだり、落ち込んだりするのは俺は合理的では無いと思います。」
「うん。」
過去を起こった事実を事実としてのみとらえた彼のものぐさは、ぶっきらぼうかもしれないが、俺にはひどく心地よかった。
「あの連中は優しすぎる。戦争など、できるものですか。」
「おお、いきなり本音が出たな。」
俺はリンの頭をぽんっと撫でる。リンは一瞬眉根をひそめたが、嫌なわけでは無さそうだ。
「いいのさ、あれで。あれが人間のあるべき姿だ。」
「主人は…何故俺の意見を聞いたのですか?」
「さあ。なんとなくだ。」
「主人は変わっていますね。」
「ラーナだ。俺はただのラーナ。リンがリンであるように、俺は俺だよ。敬語も主人も、要らない。なあリン、お前は変わらずいてくれ。俺はお前を否定しない。」
「……ラーナ。」
「うん?」
「ピアユ様は、先ほどの話の最後、何をおっしゃったんだ?」
「あの時…?…ああ、耳を貸せ。」
少しだけ肩を寄せて言う。
「『生きるのは、楽しいよ。…大好きな人、またいつか。』…あいつはそういったよ。ああ、これ言うの恥ずかしいな。」
「…そうか。ピアユ様は、ラーナに会うのを楽しみに生きているぞ。俺がピアユ様に引き取られてからというもの、幾度も話を聞かされた。」
「なんだ、何を言われていたのか怖いな。ああでも、この戦争が終わって、再び俺達が歴史の闇に消えるまでに一瞬でも会いに行けたらよいのだがね。リンは、ピアユの親族か?」
「俺はピアユ様の孫にあたる。」
「そうか。あいつが幸せでいてくれたのなら、それ以上の喜びはないよ。さあ、戻ろう、リン。」
立ち上がるとリンは、何かを言いたそうに口を開けている。
「あ…。」
待っていると、どうやら感情をどう言い表していいのかわからないらしい。
ピアユよりだいぶ難しいこの男を俺は気に入った。ピアユもまた、何か思惑があって俺のところへ送り込んだのだろう。
「ああ、いいんだ、リン。思いついたときにでも教えてくれよ。」
「え、あ、べ、別にそういうことでは」
「これからよろしく、リン。」
「…。」
あくまでなついてくれたわけではないらしい。
ふっとほほを緩め、歩き出す。気配だけで、リンが付いてきていることは分かった。
野営地に戻り、各々が食事を取ったり、道具を磨いたりしている中、俺は声をかけた。
「それじゃあ、行こうか。」
「はーい!」
「よっしゃ!」
ライとガユは元気よくあいさつし、立ち上がる。
返事を聞きながら身支度をしようとするとリンが俺の剣を差し出していた。
「ん、ありがとう。」
この絵面、100年近く前も見たな。少しそれが心地よかった。
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