第5話 真の歴史

俺達は出会いを経て森を少し進んだところを拠点に構えた。

やはりエアーチェは何をやるにもたどたどしく、夕食を教え終わったころには夕方もたっぷりと暮れていた。

やっと出来た夕食を食しながらぽつりぽつりとお互いに話した。

「ラーナは教師に向いているわね。

とても教えるのが上手だし、人をよく視ているもの。

何故、戦士になったのか、教えてくれないかしら。」

人と話すのも久しぶりで、俺は少し疲れを覚えていた。

こんなに嬉しい疲れがあるものなんだな。

「おほめにあずかり、光栄です。

人を視るのは習慣のようなものですね。

長くなりますが、お聞きになりますか?私のことも、これからの仲間達のことも、全て。」

「夜は長いのです。

存分に貴男の話を聞かせてください。」

俺は一つ息を吐くと、これだけは何十年も変わらない上空の月を見る。

「それでは、まずは僭越ながら私の話から。

私は、上流階級の貴族の出自です。ありがちではありますが、金と出世と欲にまみれた父、年下の不倫相手が絶えない母、外に出ることなく、機嫌が悪いとすぐヒステリーを起こす兄が、家族でした。

家族とは名ばかりで、本当に冷たい日々でした。

もう、顔も覚えていませんがね。

いつも三人の顔色を窺ってびくびく生きていました。

その頃からですね、私が人を良く視るようになったのは。

…私が確か十くらいの頃、夫婦仲はますます悪化し、ある時私は聞いてしまった。

いつも以上に姿を見かけないと思っていた兄は両親に内臓を売られ、殺されていたことと、翌日、私も同じ運命を辿ることを。

何でも、いよいよ離婚、という段階でどちらも子供が邪魔になったのと、その金を山分けすることで条件が合致したようでした。

私は、無力だった。いつだって三人の仲が少しでも良くなるよう、生きてきたのは事実だったのに。

その夜、何も考えられぬ頭のまま、ここに居てはいけないとそれだけの思いで家から逃げました。

それからの日々はつらく、悲しかった。

金を得る方法を知らず、何をやってもすぐに追い出された。

犬と一緒にゴミ箱を漁った日もありました。雇い主に裏切られて無賃労働をした日もあります。とにかく私は世間を知らない子供でした。貴族の身分など、民の暮らしにはなんの役にも立ちません。

ある日、一銭も入らない労働をさせられて、ゴミ箱も同じく飢えた人に取られてしまって。

俺は飢えのあまり露店にある果物を盗もうとして失敗して袋叩きにされました。

このまま死ぬのか、と大人が平気な顔をして子供の私を踏んづけ邪魔だと蹴り飛ばし、見なかったことにする様を見て、他人事のように思っていました。

その時です。

二つの影が私の上に振りました。

後に私達のリーダーになる双子のサシャとカシャです。

パンを二つ持っていました。

そしてこう言ったのです。

「私達は二つで一つだから」

「二つは、要らないね。」

初めに見えたのは二人の足の酷い火傷の跡。

「「だからこれ、あげる。」」

水色の髪に水色の瞳。そっくり同じ顔。

「ねえ、君も大人に苦しめられたんだね。」

「私達も、そう。だからさ」

「「私達は私達で、子供同士で、生きてみないかい?」」


それから私達は、双子が見つけた、街から少し離れた野原に自然にできた洞穴のような所をアジトにして生活し、助け合いました。

“大人が憎い”という共通感情が始まりでしたが、そんな子供たちが八人も集まって四、五年も共に生きたんです。

私達は不完全で不確かで不安定で、何より望んでいた“家族”を形成しました。


私の身の上は大体こんな感じですね。

リーダーの双子、サシャとカシャは捨て子だったそうです。

拾われた施設から売られたのは見世物小屋。劣悪な環境で鞭を打たれながら、その特異な見た目から見世物という“商品”として育ちました。あくる日、見世物小屋が火事になった時、大人は“商品”の子供や動物を置いて一目散に逃げたそうです。二人はまとめて縛られていた足ごと火で焼いて、逃げ延びた。それ以外のものは、全て死んでしまったそうです。

それから彼らは貧しい人が多い街に出て、二人で協力して生きていました。

そこで私と双子は出会いました。

…そして次に出会ったのは、パルティという女性です。

彼女は容姿も特異でしたが、性格も人と迎合しやすいわけではなく、彼女の生まれた信仰深い街ではたったそれだけの理由で心が壊れてしまうほどの仕打ちを周りの大人から受け、暴力は広まり、加速し、生みの親に殺されそうになって、逃げたそうです。

逃げる内に、俺とたまたまぶつかって、ひどく混乱していた彼女を保護して仲間になりました。

パルティの次に出会ったのはライという女性。

彼女は…とてもかわいらしく、美しく、魅力にあふれる子でした。でも、そのせいで親や周囲の大人から性的な虐待を加えられて育った。彼女の心は進むのを止めてしまいました。それでも目を盗んで逃げてきた先で双子と出会い、保護したのです。

次はガユという男。

悪ガキですが、憎めないやつ。ガユが大事にしていたのは妹さんでした。親が早くに亡くなり、二人だけの家族でした。ガユの家は貧しく、借金があったのですが、ある日借金とりが押し入って妹さんを売ってお金にしようとしたそうです。それを助けようとしたガユと乱闘になり、しびれを切らした借金取りがガユを撃った時、妹さんがガユを護って亡くなりました。それからどうやって逃げたのかは覚えていないようですが、見つからないように街を流離っていたガユを見かけ、声を掛けました。

その次が、ファカティーという女性。

私と二つしか歳は離れていないのですが、だいぶ大人びた女性です。彼女は幼い時に色街に売られて遊女になったそうですが、そこで恋仲になった大人と駆け落ち。しかし彼は、彼女を裏切って蒸発した。行く当てがなくなった彼女は自殺しようとさまよっていた時に、私と出会いました。そこから何度かでは入りするようになって、自然に溶け込んだという感じですね。

最後はトーノという男性。

トーノは命あるものを愛し、慈しむ優しい子です。希少でとても高く売れる動物を保護し森でこっそりと育てていました。その森は私達のアジトと程近く、私達は仲間になる前からトーノと親交がありました。

ある日、トーノが保護した動物たちは見つかってしまいました。必死で護ろうとした命を、目の前で殺されてしまった。森で羽が散乱し、血が飛んだ大地に座り込んだ彼をガユが見つけて、私達の仲間になりました。

…これが私達全員、のちに英雄と讃えられた少年少女八人の、昔々のお話です。」


夜の静寂がこの広い森に立った二人を包む。

エアーチェは微動だにしなかったが、ようやく口を開く。

「この国は…。」

そのあとは続かなかった。深いため息がひとつ聞こえる。

「では、何故少年少女が戦士になったかを聞かせて。」

「それは構いませんが、お疲れでは?また明日にでもよろしいのですよ。」

「良いのです。私ももはやこの国を護る戦士になったのですから。全てを聞いておきたい。」

俺は少し笑うと

「仰せのままに。」と言った。

そして月が煌々と煌めき始める中、俺は話した。

エアーチェと初めて出会ったあの時の長い回想通りに。

エルという女性の事。

受動した愛の喜び。

突然の国の崩壊と、平和の終わり。

戦争と不安。

笑顔の為に立ち上がり、笑顔を失ってしまったこと。

俺達の人としての全てをエルと共に手放し、決意し、本当に何もかもを失ってしまったこと。

ウタと森の力、不老ということ。

「…そして私達は手に入れた力で王城まで行き、忠誠を誓いました。

戦場を駆け、命を散らしながら戦いました。

私達はそれぞれのモチーフになった動物の力を特に強く濃く受けました。

私は鷲。

どこまでも広がる戦場を多角的に眺め、近くにいる人間を視て策略を立て、的確に双子をサポートします。

視る能力とでもいえば良いのでしょうか。

他の者は説明するより見たほうが分かりやすいと思いますので、追々にしましょう。

そしてもう何年か、何十年かも経ったように思えますが、戦い続け、ようやく国に平和が戻りました。

私達は、この国の英雄となりました。

嬉しいよりも、「ようやくこれで何もかもが終わった」と最初は思いました。

しかし、街での凱旋パレードや兵士の育成、国境の防衛。

終わりかけていたこの国にはやることは山ほどあり、不覚にもこう思ってしまったのです。


ああ、私達はまだ生きている、と。


幻想でした。全ては喜劇の造られたシナリオだったのです。

この国の王や、長達によって作られた。

この国の復興も順調に進み、ようやく人々が戦禍を忘れ始めたころ、悪夢が降りた“あの日”、私達は王城に呼び出され、こう告げられました。

忠誠を誓った王とその家族、後ろにいる汚れにまみれた大人達に。

“用済み”だと。

そう言ったのは王の一番の側近でした。私に一度でも勝ったことのない大人でした。

“英雄の存在はこれまでの民の不満を鎮めるのに大いに役に立ったよ。

そのことには満足がいっているがね、

目立ちすぎてはいけないね。人気になりすぎてはいけなかったのだ。

真の英雄とは王を立て、表舞台には決して出ない存在なのだ。

ああ、戦場でせめて散っていてくれたら、私もこんなにむごいことを言わなくて済むのだがね。

しかしまあ、良く考えなさい。貧困外の卑しく汚い身分の分際で、王のお隣に立てると思ったか?

そうだとしたら、お前たちは大馬鹿者だな。“

すると今度は軍の長が出てきて言いました。無表情に、一方的な通告でした。

“お前らは敵国のスパイに平和によって油断しているところを奇襲され、北の国境で無念の死を遂げたことになった。

すでに石碑も立ててある。ここまで手厚く葬ってやるのだ、文句はあるまい?“

そして元々私達と仲が良くなかった政務の長が、こう、言いました。

“諦めろ。所詮お前らは作られた英雄なのだから。

今までご苦労だったな。

かわいそうになあ、英雄達よ?“

王からの声はひと時もかかることはありませんでした。

…そして私達が反抗する間もなく、王城の扉は閉ざされました。

街外れの寂しい土地に建てられた石碑の前に私達は赴きました。

時を止めた私達にはいく場所も、還る場所も、ありませんでした。

ただ、こうなるのではないかという一抹の不安のようなものを感じていただけでした。

それでも、私達は死なないのです。

全てを失ってなお、私達は無限の時間と向き合うことを選び、今に至るというわけです。

あの時、馬鹿だったのは私達だということにようやく気付いたのです。

卑屈だと分かっていながら、そうでもしないと気が狂ってしまいそうでした。


そして何十年物月日が流れましたが、たとえどんなに傷付けられても、私達の願いは私達の大切な人が生きたこの国を、愛した民を、未来の子供達の為に、

この国を護ることです。


忘れられたとしても

過ちを繰り返したとしても

私達の生きる意味は、変わらないのです。

仕方ないでしょう。

何度だって人を愛してしまうのですから。」


エアーチェは何かをこらえる表情で聞いていた。

俺が最後の言葉を言った時、目を見開く。

花が咲くように笑った。


「ラーナ、そうね。そうよね。大丈夫よ、あなた達は間違っていないわ。

だってあなたは人を愛しているじゃない。


死んだ人間には、愛されることはできても愛することはできない。

我が国があなた方に与えた痛みを許してとは、とても言えないから私が命をかけて証明しましょう。

この国が、あなた達に愛される価値があると。

話してくれてありがとう、ラーナ。」

伝えきれぬ思いがひしひしと、決意の瞳は轟轟と、伝わってきた。

真正面から俺を見据えるその翡翠の熱さ。

「私も、誓いましょう。

あなた達に、忠誠を。

愛を。」

ぐ、とのどが音を立てる。熱いものがせりあがってくるのを感じて頭を振った。

「私も、全てを話しましょう。私達はもう、運命共同体なのですから。

 …私は、魔導士です。」

「…魔導士…と言いますと…。」

「ええ、なれる資格、つまり魔力を有する者はごくわずか。

特にこの国では少数ね。

なぜなら、魔法とは悪魔が使うものであり、異端とされているから。

見つかれば火あぶりは免れません。

しかし実際には本当の魔力を有する者はごく僅か。そういう者たちは誰に危害を加えるわけでもなく、それを隠し一生を終えています。

そして魔力とは天性のもので、誰が持てるのかは、無作為です。

ついでにいうなれば、本当に魔力を有し魔法が使えるのなら火あぶりぐらいでは死なないことでしょうね。」

衝撃の告白を受けて俺は固まった。

かつての戦争当時俺達の強大な敵と言えば、筆頭に魔導士が上がった。

いつでも不利な状況は変わらなかったし、中でも死を最も感じたのは西のカコウ国の魔法兵との一戦。

俺達は何人もの仲間を失いながらどうにか引き分けに持ち込むことが出来た。

「私も魔導士と手合わせしたことがあります。

彼らは強かった。殺さないように、勝利するなんてモットーが通じないくらいには。」

するとエアーチェが言う。

「あなた方のモットーをもってして、あの大戦を戦い抜き、我が国に勝利さえもたらしたのですか…!?」

「ええ。実際には、数えきれない血が流れました。しかし私達も若かった。

私達がとった作戦として、敵の頭を叩き残ったものを捕まえて仲間に加えるという作戦が最も多かったですね。

戦の理由を知っている兵士などごくわずかしかいないことを、私達は知っていたからです。


初陣の際、双子が私達に言いました。

その時のことは今でも確かに覚えています。

二人は朝日を背にしていました。


“「私達は、誰も殺したくない。」

「私達は、殺しあう獣ではない。」

「「エルがそれを望まないから。」」

「人の道を外れた私達でも」

「潔く、外れていよう。」

「「それが私達がウタに返せるたった一つのことだから。」」

「たった、たった一人。」

「その命が奪われるという事が」

「「顔も知らぬその命を愛する人の人生を絶望させ、壊して、狂わせる。それを私達は身をもってしっているからこそ」」

「殺せないし」

「殺さない。」

「それだけで生き延びることが出来るわけじゃなくても」

「それでもそう思って戦わなければ、奪われた犠牲にも時間にも顔が立たない。」“

逆光で表情は分かりませんでしたが、双子が泣いていることは分かりました。

だからどれだけ相手が憎くても、私達はできるだけ、死者を減らす戦いをしようと望みました。

たとえ相手が、エルを殺した人でもです。

それでも、結局多くの犠牲は出ました。

私達が殺めてしまった多くの人は、魔導士と言っても過言ではないかと思います。」

エアーチェは静かに深く頷いた。

「いかなる戦でも、悲しくない戦争などないのです。

 争いは悲劇しか生まないことを知りながら人はその歴史を繰り返す。

 私は魔法とは、愛から生まれた奇跡だと思っています。

 魔力とは私の中で湧いてくる泉のごとく、思いの力によって、枯れることはありません。

 すべてに愛があるからこそ、私や魔力が生まれるのです。

 だから人を殺める行為に使う悲劇があってはならない。

 それでもそれを胸に抱えながらも私は戦います。」

「あえて問いますが、私たちが向かうのは戦場です。

ですから、その胸に抱えた、人としてとても大事なものを捨ててまであなたは戦い続けられますか?

人を殺めることは、できますか?」

「私は、私でなくなったとしてもこの国を護る義務があります。

この国を護るため私は王という化け物になる。

私は、戦うでしょう。

人を殺められるかという問いに明確な答えを持ち合わせません。

私が、望むことをし、この国と民の為に最善を尽くし続けます。」

「…よろしいです。

 あなたの手を汚すことがないよう、私も全力を尽くしましょう。」

ふと空を見上げれば星が瞬きをしている。

俺は火を小さくすると、

「では姫君、話の続きも気になるところですが、そろそろお休みになってください。

 明日は早く起きてここを発ち、仲間を集めに行きます。

 もうこの国に多くの時間は残されてはいないのですから。」

エアーチェは頷くと、寝袋にくるまった。

「おやすみ、ラーナ。」

「おやすみなさい、エアルリエ姫。」


こんな風にエルやみんなとあいさつを交わしたことを思い出す。


朝起きて、「おはよう」って、言ったこと。

エルが作るあったかいスープとおいしいパンに「いただきます」。

みんなで出稼ぎや薪拾いに行くとき、中に残るエルに「いってきます」を言うのが最初は少し照れ臭かった。

そんな俺達をエルが笑顔で「いってらっしゃい」って見送ってくれたこと。

帰ったら白い洗濯物が風に揺れて、アジトの中からいい匂いがして。

先を争って「ただいま」ってアジトに飛び込んで、振り向いたエルが「お帰り」って迎えてくれたこと。

お手伝いをして「ありがとう」と言われて嬉しかったこと。

殴り合いの喧嘩になってエルに喧嘩両成敗と怒られて、「ごめんね」と言い合ったこと。

そして寝る前にエルの子守唄を聞いて「おやすみ」って言ったこと。


何一つ当たり前ではなかったのだ。

何一つ当たり前ではない。


もう二度とあうことはないと思っていた仲間たちに、俺はどんな顔をして会うのだろうか。

少し不安で、とても楽しみだ。

戦の匂いは、すぐそこにあった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る