第4話 翡翠の元・王女

長い、長い回想から醒めると、少女はいつの間にかこちらを見ていた。

やはり。

やはり、

「エ、エル、なのか…?」数十年ぶりに呼ぶその名に、声が震えた。

少女は困惑の顔で俺を見る。

「私は、」エルの、声。

「エアーチェ。」息が、詰まった。

「エ、エアーチェ…?」知らぬ名。

「ええ…私はエアーチェ。この国の、元・王女ですわ。」

上品な話し方や立ち居振る舞いは、エルの流れるような話し方などには似ていない。

それでも。

顔も、声も、雰囲気も。

何もかもがエルとうり二つ、むしろ同一といってよかった。

「あの、」

エアーチェの声に我に返る。

「貴男様は?」

「俺…私は、ラーナ。」

「ラーナ、様。もしかして、かの英雄のラーナ様の真名では?」

「ああ、…まあそうだ。しかし何故、私の名を知っている?もう私の名はとうに歴史の波にのまれた後だ。」

「先ほども申した通り、私は王家の人間。祖父が残した書物を読んでかの大戦を知り、学びました。」

「成程。確かヘラー七世とか。」

「ええ、その通りですわ。残念なことに生前にお会いしたことはないのですけれど。」

「そうか。」

会話が続かない。見つめれば見つめるほど、エルにしか見えなかった。

エアーチェが口を開く。

「不思議、ですわ。貴男様に初めてお会いした気がしませんの。そう…初対面で身分を明かしてしまえるくらいには。」

俺は軽く首を振った。

「私は昔、何より大切な人を失くしてる。その人に、君は似すぎているから混同してしまった。すまなかった。」

エアーチェは少し微笑むと頷いた。

「とても、大切な方でしたのね。」

俺は遠くを見る。エアーチェに、エルを重ねて。

「私は、その人に出会って初めて人間になれた気がするんだ。っと、すまないな、初対面の女性にこんなこと。」

エアーチェは首を振る。

「ところで、あなたの話も聞かせてはくれまいだろうか?貴女のように身分の高い姫がなぜこんなところにいるのか、私はその理由が知りたい。もちろん、無理強いはしないが。」

「ええ、全てお話しします。」

俺達は川のへりの岩によしかかるようにして座った。

「どこから話したら良いのでしょう。今まで誰にも言ったことはないものですから。

私は、本名をエアルリエ・ローチェと言います。

王位継承権第一位の王女でした。

しかしつい一ヶ月ほど前、私は現王である父上の御子ではないことが判明したのです…!

では誰の子か、という騒ぎになり、あろうことか母上と宰相の不出来の子でございました。

父上は、母上と宰相を処刑なさいました。それは世間体だけではなく家臣などの勧めもあったように思えます。

私は、父上の御子であることが誇りでございました。いずれ王位に就くその日まで、子供に罪はないと私が生きることを、王位を継ぐことを許してくださった恩を返すため、研鑽に勤しむ日々でございました。

…しかし、父上は国王でございます。

国王とは人ではない。国王なのです。

すぐに後妻を娶られ、皇太子ができました。新たな母上様は、私が邪魔になりました。

そうして王位継承争いは私の与り知らぬ所でも起こり、とうとう、後妻は父上に毒を盛りました。

恐ろしいことです。私は、男児である皇太子殿下に王位を譲るつもりでおりましたのに。

父上は何とか一命をとりとめましたが未だ意識は戻らず、私は地下牢に幽閉されました。

父上に毒を盛った、犯人として。

私は城に、味方がいないことを悟りました。しかし、私の側近であるメイドが一人、決死の思いで牢を破り、私を助け出してくれたのです。

そして逃亡の道すがら、この国が崩壊しつつあることを知りました。

国王の代わりにまだ幼き皇太子殿下が王座に座り、実権を握り実質女王となった後妻の暴政に、国王は植物状態。有能な宰相の死と四方の国からの通達。

私は、もう二度とあの城に帰らないことを決めました。

私が、この国を護る礎になろうと。

ですが私は17年間、城の外へ出たこともない箱入りの姫です。

恥ずかしいことに、剣一本振るえない私には無理だという事は百も承知の上です。

でも、

父上が、お祖父様が、そしてなにより私が愛するこの国を、死ぬまであきらめたくない…!

…そうして、仲間を募る旅を始めるところでした。

決意と覚悟、と言えば何よりかっこよく、素晴らしく聞こえるが、何よりこの姫には国の母たる包容力や面影すら見えている気がした。

「貴女は、強いお姫様だ。」

それでも、エアーチェは笑った。

「ええ。この国を背負っていますから。」

俺も、腹を決めた。どういう巡りあわせか、今はまだ歯車は回ったばかり。しかしこの出会いを手放してはいけないことを俺の勘が告げていた。

生と死のすそ野を流離う旅は、もう終わりにしよう。

「ならばエアルリエ姫。

この不肖ラーナめも、姫の計画の為に使っていただけませんか。」

エアーチェは驚いた顔をした。

「確かに、英雄の血を継ぐ方の力は心強いけれど…。」

俺はその言葉に引っかかる。

「血を継ぐ…者?

継ぐも何も、私は先の大戦で戦った武将の一人にございますが…?」

「ええ!?どういうことですの?先の大戦はもう百年も前の事…!」

俺は今までの会話を振り返り、明確に自分が何者かを名乗っていないことに気が付いた。

片膝をつき、国王にしたように剣を突き立てる。

「申し遅れました、姫君。

我らBlood Vesselは不老の集団なのです。

おそらく、王家に伝わる英雄像とは違うかと存じますが、正真正銘、

Blood Vesselが一人

Eagles Eyeのラーナにございます。

今この場で誓いましょう。私の全てをエアルリエ姫に捧げます。


We give one’s blood for country.


どうぞ、何なりとお申し付けくださいませ。」

エアーチェが半ば放心した声で言う。

「まさか、そんなことがあるのなんて…。

歴史が、改竄を許したというのでしょうか…。

その誓いの言葉は、当時のメンバーと王家の人間しか知らなかった言葉です。

真実なのでしょうね、貴男の言葉が。

私は貴男を信じ、全てを預けましょう。


I believe my knight.」


そういって俺の指にはめられた指輪にキスをするエアーチェ。

昔とは違い、二人だけの静かな儀式が終わると俺は提案した。

「他の七人のメンバーも集めましょう。

それから、敬語はもうお辞め下さいね。

姫の話し方も改めましょう。一般人ではないことが丸わかりです。」

「分かりました。じゃなくて、分かったわ、でいいのかしら。」

「ええ、まあ合格点ですね。」

「まあ、厳しいのね。ところでラーナ、貴男かつての装備は持っているの?」

姫は瞳を爛々と輝かせている。随分細かく勉強している姫らしい。

俺は担いでいた唯一の布袋を降ろすと中から服、マント、ペンダントを出す。

何十年も袖を通していなくてもその輝きを失わない。

「もちろんです。」

「これがあの装備達…!ああ、私夢にまで見ていたのよ!なんてかっこよい…。」

姫の食いつきに押されつつ、少し時間を貰って服を着る。

デザインは随分古いもので格式めいているが、ウタが仕立ててくれたもので、厚い布地に切れにくい糸で出来ている。

どんなにぼろぼろになっても、日光に浴びせておくだけで元通りになるのだ。

光合成をする植物からできた、俺達の命を何度も救ってくれた服。

金色の十字架のペンダント。華奢なデザインの溝に消して消えることのない俺達各々の血。

迷った時、不安になったとき、夜中でも美しく光るこのペンダントに許しを請うたこともある。

首にかけ、襟の下に入れた。

その上から、純白のマントを羽織る。

これだけ、これだけは一切の色がない。

罪の浄化と、倒れゆく者の再生の願いを込めた。

これも服と同じ素材で出来ている。

双子を先頭に、二手に分かれて戦場を駆ける八つの馬。

広がった純白のマントが神速で地を這う姿はシンボルとなり、敵の畏怖を産んだ。そして無為な喪失を減らすことが出来たのはもう幾人も倒れゆくものを見送った後だった。

戻ると、エアーチェは先程の岩に腰かけていた。

後ろからゆっくり、足音を立てて近付く。後ろに立つと、声がした。

「私が信じてきた“れきし”とは一体何だったのかしら。

狭い鳥かごの中で、誰が加害者で誰が被害者なのか、それすら私は知らない。

それでも周るの、この世界は。

私はそれがたまらなく悔しい。

私は王位継承権第一位の身でありながら、地位に甘んじ、偽りを身内に飼ってきた自分が恥ずかしくてたまらない。」

俺は言う。

「私のお姫様は本当に世間知らずだ。」

少女の肩が震えた。

「だから、これから成長を期待できる。私が好きな言葉に無知の知、という言葉があります。

ここよりもっと遠いところの言葉で、自分の無知をまず知り恥じることが学びの第一歩であると説いているのです。

貴女はいずれ自分自身を最も理解する者に御成り下さい。それが、王座に就く者の責務です。

確かに、人間は愚かしい。我々のような存在は嫌というほどそのことを知っております。

私は不老という恒久の中で自分を見つめながら旅をしてきました。

神は黙したまま人に痛みを与え、世界はうつろい回っていく。

とりかえしのつく歴史がないからこそ、、それは尊いのです。

だから自分の無知を知ったのならば自分の眼で、誰かの嘘ではない歴史の尊さを感じ、語り、紡げばよろしい。」

エアーチェは頷いた。そして振り返る。

笑顔は、エルと似ていなかった。

「ラーナはたくさんのことを知っているのね。

そうよね。私がまだ始まりもしない歴史を作る旅に腰が引けていてはいけないわ。」

そして立ち上がり俺と向き合う。

夕日を、背にして。

「行きましょう。

私の、いいえ。私達の戦場へ。どこまでも、付き合ってもらいます。」

燃え上がる翡翠の瞳は、この国の王女の眼であった。

「Yes, my road.

地獄の底までお付き合いしますよ、姫。」


国を失った王女と英雄、国を護るために剣を取る者たち。

消えゆくもの、生きていくもの。

出会いは其れすなわち、消失である。 



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