第3話 回想ーある英雄の家族の話ー
そのエルという女性をアジトに連れ帰ったとき、みんなは血走った目で俺を見た。
双子が口を開く。
「ラーナ」
「それは、何?」
「もしかして」
「大人?」
「「私達を、裏切るの?」」
お決まりの、掛け合いのような双子の会話。俺は首を振る。
エルは自ら進んで皆に歩み寄ると満面の笑みで俺達に挨拶をした。
「私は、エルよ。みんなの嫌いなおとなです。でも、いくらあなた達が私を嫌ったとしても私はあなた方を愛するわ。」
みんな唖然としていた。
静寂の中、さすがというべきか、双子がいち早く立ち直る。
「何故?」
「あなたは他人だ。」
「「私達は何も持っていない。」」
エルは笑う。
「昔、私も家族をひどい亡くし方をした。だから、愛に飢えた子供たちの拠り所になりたい。そう思って生きてきたわ。そして今日、ラーナの涙に出会って決めたの。あなたたちの親であり、仲間であり、友達になろうって。」
双子も負けじと言う。
「そんな偽善が」
「通じると思ったのか。」
「かわいそうだと思うのでしょう?」
「親も、頼れる人も、護ってくれる人もいないから。」
「でも、残念。」
「私達は、私達の世界で生きていける。」
「「あなたは要らない」」
エルは、双子の剣幕にもまるでたじろがなかった。
「あなた達は賢いのだから、分かっているでしょう?ここのみんなで生きていくことが難しいことくらい。」
その言葉で、後ろでがたっと椅子を立つ者。だが双子はそれを制し、エルを見つめる。
「私はあなた方をただ愛しに来たの。これから、どれだけ嫌でもこの世界で生きなければいけないあなた達は、このままではいけない。いずれ成長したあなた方が悲しみの涙を流さないために。」
双子は、笑った。
「あなた、暇なのね。」
「いいよ、好きにすれば。」
「「私達はあなたに関わらないから。」」
「いきなりやってきた頭のおかしい偽善者に」
「私達のアジトを壊させやしない。」
「「ここは、私達が唯一自由に息ができる場所だから。」」
エルは頷く。双子は敵意を丸出しにしてエルをにらみ、後ろに子供達も続く。
俺は双子とエルの中間にいた。
エルの言っていることや目的は正直よくわからない。でも、双子のように敵意を向けるべき汚い大人ではないと、何となく知っていた。
双子は何も言わず俺を見ていた。
と、俺達の中で一番体の大きい男の子、トーノが俺に問うた。
「ラーナ君は、どうしてこっちに来ないの?」
トーノは一番遅くに俺らと出会った。大きな図体だが中身は繊細で、すぐ泣いて、優しくて、情に厚い。非常になりきれないのは、この生活をする上では良くないことだけど、トーノがいなければ俺達はもっとひどいことも平気な顔をしてやっていたかもしれない。
「俺は俺の意志で生きてる。お前らと生きていくのは俺の意志であり、夢だよ。でも俺らだっていつまでも子供でいられるわけじゃないってそのことから目を逸らしては、いけないとも思う。」
その言葉に、一番気象の荒いガユが噛み付く。
「てめえ、俺らを裏切るのかよ。ずっと一緒だっていつも言ってるくせによお。俺は絶対なんねえぞ!たった一人の妹を殺した大人になんか!」
「そうは言ってないよ。でも、そんな汚い大人にならないで、大人になることも出来るんじゃないかって思っただけなんだ。」
すると腰の下で長い黒髪を切りそろえた灰色の瞳を持つどこか儚げで不思議な少女、パルティが口を開く。彼女は表情筋も、瞳も滅多に動かない。なかなか口を開くことはないし、開いたと思ったら単語を連射してくる。
「ボクは、思う。ラーナが 正しいと。」みんなの視線が集まる。
それほどまでにこの少女が発言するのは珍しい。
だが、大抵彼女の言うことは的を得ているのだ。
「事情は、ボクには よく分からない。けど、ラーナの人を視る目は いつも正しい。ボクは、ラーナを 信じている。 だからラーナが信じた人を ボクは信じようと 思う。」
みんな驚いた顔をしている。俺も例外ではない。
双子が静かに言う。
「何故?」
「そこまでラーナを信じ切れる?」
パルティの首がぐぎぎ、という音が鳴りそうな感じで回り、双子を見る。
「彼 は ボクの初めての家族だから。 ボクはこんな感じだから、誰からも 好かれなかった。外見も 性格も ボクだけのものなのに。 ラーナは初対面でも普通に接してくれた 初めての人。 嬉しかった。 大切。 大好き。 みんな。 」
確かに血だらけで転がっていた彼女を保護したのは俺だが、その後、ちゃんと話す機会はなかったかもしれない。そんなことを思ってくれていたなんて、露ほどにも思わなかった。
パルティが輪から外れて俺の手を取る。
「今まで 言わなかった。 ごめんなさい。 ボクは何があってもラーナの味方。」
わずかにパルティの瞳が揺れる。
ああ、そうか。
自分の思いを告げることが、不安だから。たったの一言で、嫌われたくないから。
彼女は生まれた時から自分を殺して生きてきたのだろう。
それでも一所懸命に初めて、自己主張して、一人で歩いて俺の手を取ってくれたのだ。
しっかりと抱きしめてやる。
「何だよ。パルティはどんなでもパルティだろ。なあ、ありがとうな。びっくりしたけど、すごく嬉しい。これからはこうやってたくさん喋って、意見を述べて、自分の意志で歩く道を決めていいんだよ。パルティを消す必要はないさ。たとえ意見が食い違ってもパルティを否定することを俺は、ここのみんなは、絶対に言わないよ。
自由に生きなさい、パルティミア。」
腕の中でパルティが震えている。はじめは静かに。次第に嗚咽交じりになる。
誰もが口を開かない中、ため息が聞こえる。
一番奥の椅子に跨るように座り、終始我関せずを貫いていた女性。
胸元も背中も足も大胆に開いた布地面積の少ない服を着た、おそらくは美女という部類の彼女はファカティー。元は色町に子供のころに売られて遊女をやっていたが、大切な思い人が出来て、駆け落ち。しかし上手くいかず、なんやかんやあって俺達の家に潜り込んできて、気付いたら居ついていた。
彼女は面倒ごとが嫌いなので、この手の話題には参加しないと思っていたが。
「ちょっと坊主、今アタシが話に参加しないはず、とか思ってたでしょ。」
女性は怖いものだ。
「あのねえ、アタシはここがあればそれで良いと思うのよ。確かに大人は憎いけど、大人を利用する快感もまた、アタシは知っている。そうね…かわいい女の子を泣かせた小憎たらしいハンサムさんの人を視る目についてはアタシも同感。アタシがここに転がり込んできた時、あなた達みんな追い出そうとしたでしょ?」
みんなが気まずい顔になる。たしかに素性も知れない彼女を受け入れることに反対したメンバーもいた。
「ああ、いいのよ気にしてないから。でもね、その時、“この人傷付いてるんだから。俺達と同じ、目に見えない悲しい傷を。”って言って、ラーナが少ない自分の飯を分けてくれたこと、アタシは忘れない。
そして、このままじゃいけないってのは、一時でも大人に混じって稼いで暮らしていたアタシにはよくわかるのよ。アタシは、皆と一緒ならこのまま共倒れも悪くないけどね、双子の右腕であるこの参謀さんを信じてもいーんじゃない?」
今度は双子がため息を吐いた。
「ふむ」
「分かってはいるんだよ。」
「彼は少々優しすぎる時もあるが」
「その能力の高さはね。」
「「でも」」
「やっぱり譲れない意地があるのもまた心理。」
「パルティやファカティーの言うことも、トーノとガユが言うことも分かる。」
「「思案のしどころ。」」
そう言うと二人は、二人だけで会話をしてしまう。こうなると誰も二人の世界に入れないのだ。
仕方ないので、ぐるりと辺りを見渡してもう一人、俺達の仲間を探す。
いた。
遊び疲れか栗色の毛をぐしゃぐしゃにして眠っているこのライという少女は、極度に狭いところを嫌うくせに寝るときには隅を愛する変な子だ。
いつも元気はつらつとしていて、いたずら好きで。
でも本当の彼女はとても傷付きやすくて、もろい。
この状態では意見も何もないか、と、誰もが口を開かない重苦しい沈黙を切り裂いたのは、エルだった。
いつの間にかいなくなっていたのか、両手に大きな籠を抱えている。
「みんな、ごはん食べよう!そこのおいしいパン屋さんでいろいろ買ってきたのよ。」
どこまでも、あっけらかんに。
俺は最初に座ると、「いただきます」と手を伸ばす。
パルティとファカティーも俺に倣うと、双子はその様子を黙ってみていて、ガユはそっぽを向く。トーノは明らかにこちらに目がいっていたがどちらについていいものか分からず、ガユと俺らの間をうろうろし始めた。
そんな時、ライがのそりを起き上がると、いとも自然に手を合わせ、エルに「いただきます」をしてから食べ始めた。
皆が衝撃を受けて固まった。ライはこの中でも群を抜く大人恐怖症なのだ。
双子もさすがに言葉を失くし、彼女は注目されていることに目を丸くしながら目をぱちくりさせている。俺は恐る恐る聞いてみる。
「あ、あの、ライ?」
「うん?おはよう?ラーナ?」
「あ、え、ああ、おはよう。じゃなくて、あの、大丈夫…なのか?」
「え?何が?ああ、このお姉さん?」
「う、うん。」
ライはからからと笑った。彼女が笑うと空間が陽に染まる。
「ライはねー、ラーナのこと信じてるんだなー、それにパンがおいしい。」
凍っていた時が少し解けたのを感じて、重苦しく食べていたパンが急においしく感じた。
双子が珍しく無言で俺らに近づくと、俺の横に座る。
ガユとトーノも座ってそろそろとパンに手を付けた。
にこにことエルは見ているだけ。
ややあって、ガユがぽつりという。
「うまいな。…くそっ。うまいな。」
最後はほとんどが涙声であった。
それにつられたかのようにどんどんみんなが泣き始めた。
双子も。
「…すんっ。」「ぐすっ…。」
「「おいしい…!」」と言ってわんわん泣き出した。
俺は双子が泣くところを初めて見た。
しくしく泣いているパルティとライを抱き寄せながら目を見張った。
泣いているのを隠すように上を向いているファカティーが
「何よ、みんなして。泣くんじゃないわよ。ばかね。大好きよ。」と言う。
すると立ち上がったエルが双子を抱きしめた。
「頑張ったね。よく頑張った。もう、大丈夫よ。あなた達、大変だったね。泣いてもいいのよ。今日から私が、あなた達を護るんだから。」
泣き声はどんどん大きくなる。その涙は、幸せの涙だった。
それからの毎日は何もかもが充実していたように思う。
エルはたくさんのものを俺達に与えてくれた。
立場、温かい食事、楽しい会話、真っ白な服。言葉や文字、礼儀、常識。
そして何よりエルは、愛を教えてくれた。
褒めてもらうことも、叱られることも、ごはんと同じくらいの愛情を込めてくれた。八人、分け隔てなく。俺達は、自らの過去や環境を呪うことを、やめた。
内気なパルティさえ明るく笑うようになって、これが幸せだ、やっとつかんだ、そう思った。
俺達がエルと出会って、一年半。俺達はその短期間でだいぶ大人に近付いていた。
職を手に入れた者もいるし、自分の感性に気付いた者。周りの人にやさしくなった者もいる。
それぞれが違う方向に進みながらも、心ひとつにみんなで生活を続けていた。
その頃。この国の物価や税金は異常に高まり続け、民は抱えきれない不満をためていた。
それでも俺達は幸せに暮らしていた。
生活は苦しくなっても、心が満たされていた。
だけど、その平和はいとも簡単に崩された。
ある日、長い間閉ざされていた王城のバルコニーが開き、突然の国王からの宣言が下された。
「この国は、無条件に、四連合王国に降伏することとなった。」
たったそれだけ。王は城に閉じこもった。
その日から、この国は戦場になった。土地の分割を巡る四連合王国の聖戦という名の領地争いによって。
聖戦が、何になるのか。
俺達に何ができるわけもなく、アジトに九人で抱き合い、不安な夜を過ごした。
道には飢えと病で死んだ女子供ばかりの民と、負傷した兵士で溢れた。この国の義勇軍が立ち上がり、結果ほぼ五つの国が小さな盆地の中で激戦を繰り広げたのだ。
昼夜を問わずにアジトから目を出せば、爆音と炎、煙が立ち上っていた。
仕事や物はなくなり、食料と金は軍に奪い取られた。飢えた人々は略奪や逃散をはじめ、人が死なない日はなくなった。
「どうして、こんなにひどいことが…。」優しいトーノはここの所ずっと泣いている。
他のメンバーも皆一様に沈んだ顔をしていた。
エルも。
いつもみんなの太陽に笑っているエルが笑わないと、みんなが笑わない。
あたたかなアジトもどこか寒々しく、幸せが遠のく音がした。
どうしてもエルの笑顔を取り戻したくて、俺達は夜中に、暗い部屋に顔をくっつけて相談した。
アジトの近くの森に、魔女が住んでいるという噂は前々からあったが、広大な森である上に魔女の噂で近付いたことはなかった。
「その人の魔法でさ、何とかならないかな。」
子供じみた他力本願な考えであったが、国同士の戦争など止める術を知っているはずもなく、誰もが触れたことのない力に縋りたくなったのかもしれない。
双子が言う。
「あの森には、いってはいけないとエルにも言われている。」
「それでも、行くか?」
「「どうなっても、自己責任だ。」」
「行くか、行かないかは」
「自分で決めろ。」
「「行かないことを責めたりしない。」」
トーノが珍しく口火を切る。
「行くよ。絶対行く。」
ガユも続く。
「俺も行くぜ。エルが笑わないのは、つらい。」
ファカティーがふん、と鼻を鳴らして応え、ライもこくこくと頷く。
俺にしがみついているパルティも小さく頷いた。
サシャとカシャが言う。
「行こう。」
「私達の未来と」
「「エルの為に。」」
その次の日の夜、爆音響く夜でも明るい道を俺達は進んだ。
森の中は日中降っていた雨のせいでひどくぬかるんでいた。
足を取られないように最深部を目指す。
霧が深くなってくるころ、不意に小さな木造の家が見えた。
「あれが…魔女の家?」ファカティーがわずかに緊張を含ませた声で言った。
戦闘の双子が頷いて、ドアを叩いた。
とん、とん、とん、とん。
勝手に扉が開き、中からイメージ通りのしわがれた声が響いた。
「いらっしゃい。」
みんな縮こまりながら家の中に進むと電気がぱっとつき、目の前に現れたのはなんと、小さな少女だった。年齢は俺と変わらないくらいか。クリーム色の長いフワフワの髪が地面まで垂れていた。大きな藍色の眼には、この世の全てが映っているように見える。
心が落ち着く、そんな老成した雰囲気とちぐはぐな少女は、鈴のような声。
「人間のお客様は随分と久しぶりだわ。ようこそ。」
思わずガユが呟く。
「婆じゃねえのか…。」
少女はかわいらしくぷくうと頬を膨らませた。
「私は婆でも魔女でもありませんよう。」
思わずライが身を乗り出す。
「お姉さんは、何?」瞳がキラキラと輝いている。
少女は言う。
「そうですね…いうなればこの森、でしょうか。」
みんなが首を捻った。俺が何とか口を開く。
「うーんと、妖精とか、思念体とかそういう…?」
少女は首を傾けると、
「んー…少し違うような。この森は古くからあります。何千年も前から。その森の魂であり、意志であり、形のようなものです。」
またみんなが首を捻る、少女も首を捻ってしまった。
双子が取り直す。
「とりあえず」
「進まないから」
「「名前を教えてください。」」
少女は少し考えた後、
「昔、何百年も前にこの家を訪れた人間にウタ、と呼ばれたことがあります。」
「ウタさん」
「この国で起きた戦争について」
「「知っていますか?」」
「ええ、もちろん。木々はざわめき、大地は怒り、動物たちは怯え、植物は呆れています。」
今度は、トーノが続ける。
「おいらは、この戦争を、人が人の命を奪うこの悲しい行為を止めたいんです…!」
ガユが話を引き取った。
「俺達全員、大切な人の笑顔を護りたいんだ。」
ライが言う。
「エルはねー、すっごいんだよー!何でもできるし、ライがちゃんとできたらいい子いい子してくれるんだ!でも、エルがさみしそうだとライも寂しい…。」
「私 私は みんなが大好きだから 笑っていてほしい。」
ファカティーが横を見ながら続けた。
「こうも辛気臭いことなんて、やってらんないわ。私は雨が上がったあの家に帰りたいのよ。」
俺も、言う。
「何も持っていない俺達だけど、愛を教えてくれた人と、大切な家族…半径数メートルの人を護りたい。お願いします、俺達に力を貸してください。」
双子は何も言わずに頭を下げる。
少女は微笑みを浮かべて見ていた。
「できないことは、ないけれど。」
皆の顔が上がる。
「でも、それはとてもつらく悲しいことよ。できないわ。」
「「何故?」」
「それは、あなた達の時を奪うの。」
「時を、奪う…?」思わず声が震える。
ウタは頷いた。
「あなた達のこれからの全ての時間を奪う代わりに、森の力を授けることが出来るわ。」
「じゃあ、じゃあライは死んじゃうの?」
ウタは首を横に振る。
「その、逆。
時を奪うということは、不老になるという事なのよ。不死ではないけれど、それでも不老は、永いわ。
この森のように。 私の、ように。
愛する者が死んでも、世界が終わっても、私は死なないのよ。
森の力では自ら終わることはできない。森は自ら死なないから。
大きい力よ。使い方を誤れば、大陸ごと消滅するほどの力を一人一人が持つの。
そうしてその力を使って戦いに勝利した先に、幸せな未来が待つとは限らない。運命は神の手に。人を動かすことが出来ても、神のきまぐれによって決められた運命を変えることは、…不可能だわ。
そんな先の見えない、残酷な運命は、あなた方には架せられない。」
俺達は、一人残らず絶句した。
このうら若い少女に見えるウタが、どれだけの時間を孤独に耐えてきたのだろう。
可憐な笑顔の裏に深い悲しみを抱えている彼女を見て、俺らは怖気づいた。
この少女と同じ道を、俺は選べるか?
俺は、そんなに強くない。
ウタは言う。
「あなた達の気持ちはよく分かる。
でも、私は何回も何回も時代の移り変わりを見ているからわかる。
この地にもたくさんの国が興り、消えた。
何故かしらね、人間がこんなにも悲しい歴史を繰り返すのは。
哀しみの連鎖は断ち切れず、幾人も人が死ぬ。
森は焼け、川には死体が浮かぶ。
動物たちは流れ弾に当たり、苦しむもがき死んでいく。
植物たちは悲しみの血を浴び続ける。
雨のごとき血が大地を浸透していくその時の痛み。
それを感じ続け、生きるのはつらい。
私はこの森です。
何かを変える力もこの地から離れる自由も持たない。ただ悲劇を受け止め、せめてもの祈りを捧げることしかできない。
私は忘れません。この地に流れた悲しみを。なぜなら私の体に刻まれていくものだから。
忘れたくても忘れられないことがたくさんあります。
人はいつか死ぬことが出来る。
過ちを、忘れることが出来る。
私はそれこそが人間の最たる罪だと、思う。
歴史は語る言葉を持ちません。言葉を持たない先人の叫びは、伝わらない。
そしてまた、輪廻と歴史は巡った。神がそれを、望んだから。
あなた方は悪くないのよ。
だからすべてを知らず、いずれ自然に土にかえってほしい、それこそが幸せなのだから。
きっと、あなた方を愛する人もそう思っているわ。
さあ、お帰りなさい、子供達。あなたの身に神が不幸を吹き込まないうちに!」
最後の言葉に、全員がはっとなった。
「帰らなきゃ。」
「エルが待ってる。」
「「行こう。帰ろう。」」
ウタへの挨拶もそこそこに、飛び出した俺達。
けれど、エルはもう、俺らを待っていてはくれなかった。
家から少し離れた場所に横たわる冷たい女性の骸。俺達を探していたのだろうか。
ライが地に膝をつき声にならないうなり声をあげる。
トーノは止まらない大粒の涙を流し、ガユは雄たけびを上げて暴れまわる。
パルティは時が止まったかのように座り込み、何度も女性の名を呼ぶ。
ファカティーは受け止めきれずに、反笑いで女性をゆする。何も履いていない足の白さが、不気味だった。
体の中心に開いた穴と背中の大きな切り傷。そして大地をゆっくり犯す血の色。
もう二度と起き上がることのない、愛しい人。
双子はあらぬ方向を見て、全ての機能が麻痺したかのように動かなかった。
俺は、決めていた。不思議と、涙は出なかった。代わりに、燃えるように全身が熱い。ああ、熱い。なんて熱い炎。憎悪の炎が、俺を燃やした。
大きく息を吸い、全員に語る。
「終わりにしよう。こんな哀しみしか残さない、戦というものを。
憎むべきは戦そのものだ。俺は神をも許さない。予定調和の神を殺し、戦を殺す。俺は、運命さえ、殺してみせる。
歴史が語らないなら、俺達が英雄の唄を歌おう。エルという、俺達の英雄を。
俺達の時間は、エルと共に手放そう。
俺達は、森の血管…Blood Vesselとして、エルが愛したこの地を護ろう。」
双子が続いた。
「私たちの時間は」
「エルがいなければ、意味がない。」
「それならば」
「私達の全てを」
「「エルに捧げよう。」」
「たとえ人として終わることが出来なくても」
「私たちが生きる意味を失うまで」
「「私達は止まらない。せめて、エルの為に生きよう。」」
自然と寄り添う8人。悲しい夜明けが、俺達を人間としての最後の朝日に包んだ。
少しの後。
俺達はみんなでエルを家に、アジトに葬った。
俺達も、全ての荷物を家に置いて。
まるでいつも通り、俺らの帰りをエルが待っているときのように。
そして家を、埋めた。
「さようなら、エル。」
「さようなら、私達の還る場所。」
「「せめて、魂は永遠でありますように。」」
そうして、また森のウタの家に戻った。
ウタはとても驚き、悲しんだ。
「そうですか…。この家はね、本当に私の力を欲す悲しい迷子がたどり着く家なのよ。
ああ、またあなた達と生きている間に会うことになるなんて。神は子供たちに痛みを与え、天使を撃ち落とし、一体何をお考えなの…?」
そして、不意に私達に視線を戻した。
「天変地異を、望むのですか。」
俺達は全員で言った。
「「「「それが、家族(エル)の為ならば。」」」」
ウタは、もう何も言わなかった。全てを察し、黙した。
かくして、俺達は自らの血が注がれた十字架のペンダント、大剣、モチーフの指輪、純白のマントと、
大きな、大きな力を手に入れた。
代わりに、
俺達は、人として失ってはいけないものと、エルという一人の女性と、全ての時間を失った。
王城へ乗り込む直前、決めた合言葉。
「「「「全ては、愛する人と国の為に」」」」
「「「「全ては、未来を託す子供達の為に」」」」
それは、人としての最後の願いを込めたメッセージだった。
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