#7

「それでは行きましょうか」

 そう言って、送迎バスに乗車する倉崎。続いて小春も、見送りに出た仲居に向けて一礼したあと、バスのステップを上がる。

 現在は朝。朝食を摂った倉崎たちは引き払いの手続きを済まし、帰りの送迎バスに乗り込むところだった。

 二人と比べると少ない荷物をバスに積み込んだ立夢は、仲居に向き直る。

「……本当に何もしてこないんですね」

「こちら側の方がいらっしゃらないお客様を手にかけますと、後々隠蔽が面倒ですから」

 仲居はあいも変わらず、笑みを浮かべて答える。

「いいんですか? 約束を破って誰かにあのこと、言っちゃうかもしれないですよ?」

 強請のような言葉を吐く立夢。しかし、仲居の表情は変わらない。

「有楽島様のことを信用しておりますので。それに万が一そうなされても、有楽島様が困るだけですよ。なぜかはおわかりになられていらっしゃるのでしょう?」

 仲居の言葉に、立夢は沈黙で返す。

 著名人が訪れる旅館。こちら側の客。これだけでなんとなく察しがつくというものだ。

 しかし、わからない点もある。

「あなたたち、本当に人間?」

 立夢は尋ねる。ここで言う『あなたたち』とは、この旅館がやっていることに関係している者たちのことだ。

「……さて、どうでしょう?」

 仲居は僅かに考える素振りを見せると、そう答えた。刹那、仲居の笑みが人間の口の大きさでは無理があるほどに深くなったように立夢は見えたが、瞬きの後にはそんな光景は夢であったかのように消えていた。

「何してますの、立夢? 早く乗りなさいな」

 バスの方から倉崎が立夢に乗車を催促する声が耳に入る。

 立夢は何も知らない連れの姿を一瞥して小さくため息をついた。

「……それじゃあ、これで」

「あっ」

 立夢がバスに乗り込もうとすると、仲居は何かを思い出したかのような声を出した。

「……何か?」

「よろしければこちらはいかがでしょうか?」

 そう尋ねる仲居が立夢に向けて差し出した手のひらの上には、中身の詰まった小瓶が乗っていた。中に入っているのは、どうやら肉味噌らしかった。

「新鮮な食材を使ってできたばかりの肉味噌です。味には自信がありますよ?」

「……要りませんよ」

 立夢は中居の申し出を簡潔に断り、さっさとバスに乗り込んだ。

「――そういえば旅館を出るときに仲居さんと何を話していたんですか?」

 山道を下るバスの中で、小春が立夢に尋ねる。

「んー……温泉や料理について褒めてただけだよ」

 さらりと嘘をつく立夢。話していたことをそのまま言ってもわけがわからないだろうし、あの旅館が隠れてやっていたことを正直に説明するわけにもいくまい。

「貴女が何かを褒めるなんて珍しいですわね。まあ、それでこそあの旅館を選んだ甲斐があったというものですけれど」

「ところで立夢さんは昨日の夕食の中で何が一番美味しかったと思いますか? ぜひ今後の参考にしたくて」

「何の参考かは知らないけど、そうだねぇ……」

 昨夜の料理を頭に思い浮かべる立夢。どれも味は良かったがどうしても一つだけ、強く印象に残ってしまった料理があった。

「……天ぷらかな」

 そう返事をすると、立夢は大きく欠伸をした。


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有楽島立夢の非日常 ジェネライト @Genelight

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