第46話 イラクサの物語

 所変わって、ここは冥府の中心地、ニゲルウルブスの歓楽街『嘆きのオーヴ』。ひっそりとたたずむ、知る人ぞ知る看板のないバーの中。


 美しい女主人が両手を広げ迎えてくれる、カウンターだけという狭い店内には、馴染み客三人が呑んだくれていた。


 一番奥の席には、店の壁を背もたれに、ワイングラスを回している神父。店の入り口に一番近い丸椅子には、アモル。その隣には、スペースがぐったりと背中を丸めて座っていた。


 神父が頬をゆるめて尋ねる。


「おやおや、お疲れのご様子で」


 黒髪の二人が、同時に神父をギロリと睨みつけた。


 少しの沈黙の後、眠そうな目をしたスペースが、嫌味ったらしく文句を垂れる。


「俺がもうちょい粘ってればさ、上手くいったかもしれないんだよ。誰かさんが、あっさり引き下がっちゃうんだもんなあ」


 アモルはスペースのうらめしそうな小言を、小馬鹿にした笑いで受け流す。それが気に食わないスペースが、より低い声で食ってかかる。


「実際、どうすんだよ? うちの子、このままじゃ死んじゃうよ? 長男として、それでいいわけ?」


「スペース。お前は何も分かっていない。俺は鬼ではないが――」


 何か含みのあるアモルに、神父とスペースは互いに顔を突き合わせた。 


 スペースは、バーの女主人お手製ミルクセーキが並々と入った、ぽってりとしたグラスを前に押しやると、唸りながら頭を抱えた。


「だよねえ……あんたが何もしないわけ、ないよねえ」


 アモルは勝利の美酒でも飲むように、いつものトワイスアップを美味そうに、喉を鳴らして流し込んだ。


 上機嫌なアモルを見ながら、神父は手元にある赤ワインで喉を潤すと、


「死神がすることに口を出す気はありませんけど、あまり無下なことはして欲しくないですね」


 アモルは「心配無用。見せてやろう」と、不遜な笑みをスペースと神父に向けた。


 おもむろに、人差し指でグラスの周囲に滲む水滴を拭うと、カウンターの上に何かを書き始めた。


 書かれた文字を見たスペースは、脱力したメリハリのない声で、


「ああ、はいはい。なるほどね。覗き見するわけだ」


「見たいだろ? 今、何が起きているのか」


 揚々としたアモルの声に呼応するように、水滴で描かれた文字は、テーブルの上から浮き上がり、もやのかかった映像を映し出し始めた。


 スペースはカウンターに頬杖をついて、悪代官になり切ったアモルを薄目で眺めながら愚痴るように呟く。


「二人でしっぽり、えらいことやってたら、どうすんだよ」


 神父は興味深そうに、いそいそとスペースの隣に移動してきた。

 

 二人が見守る中、アモルが得意気に「始まるぞ」と微笑んだ。


 もやは徐々に晴れ、ベッドに座る百合子の後ろ姿と、サイドテーブルに置かれた木箱の中に座るパンタシアンの姿が現れた。


 スペースの頬から、スローモーションで手が離れ、映像に顔を突っ込むように身を乗り出した。


「あれ……パンタシア、だよね? ってことは、あの嬢ちゃんにイラクサの冠を作らせるつもり?」


「あの娘は心のどこかで、リアンノンを道連れにすることを恐れているからな。そこを利用させてもらう」


「うわっ、悪趣味。回りくどい嫌がらせ」


 アモルは飲みかけたグラスをカウンターに静かに置くと、鼻息荒いスペースに眉をくもらせる。


「何を言う。お前がグズグズしているからだろうが」


 兄弟が睨み合っている間に、燃え立つような赤い髪のパンタシアが、身振り手振りでイラクサの物語を演じ始めている。


「ほう。なかなか魅力的な女性ですね」


 目を細めて神父が微笑むと、アモルは優雅に会釈で返した。


「当然だ。彼女は人から生まれる情念を食らう、いわゆるフェアリーだからな。美しくないはずがない」


 呆れた声で、スペースが口ごもる。


「フェアリーって……妖精でいいじゃねぇか」


「だから、お前は情緒が足りないというのだ」


 カウンターの上に映し出される、小さく魅惑的なフェアリーと成長できなかった老婆の二人の様子は、どちらかというと悲劇の舞台に見える。


 うな垂れた百合子を前に、カメラ視線のパンタシアのドヤ顔がアップになったところで、映像は終わった。


「鬼畜の所業ってやつだな。あいつらが可哀想になってきたわ」


 淡いラベンダー色の長い髪が自慢の女主人は気を利かせてか、すぐに店内に流れる有線の音量を少しばかり上げた。


 気づいた神父がつかさず、女主人ににっこりとしながら、聖職者とは思えない色気たっぷりの秋波を送る。


 カウンター越しに無言の笑みを交換した後、神父は女主人に「もう一杯、同じものをいただこうかな」と言った。


 お代わりのワインを注がれながら、神父がアモルに尋ねる。


「イラクサの冠とは何ですか?」


「神父は、白鳥の王子、という御伽話は聞いたことはないか?」


「いいえ」


「呪いを掛けられ、白鳥にされた十一人の王子を妹の姫が救う話だよ」


 再び満たされたワイングラスに鼻を近づけ、香りを楽しむ神父。


「ロマンチックな話のようですね」


 アモルはグラスをゆっくりと回しながら、思い出話でも語るように静かに話し始めた。


「継母に厄介者として、この兄妹が手酷く国を追われるところから始まる。兄たちは不幸なことに、呪いというおまけ付きだ。昼は白鳥の姿、夜にだけ人に戻ることができる、というね。――妹の姫は兄たちを探すため、ボロボロになりながら放浪していた。そして、ある晩のこと。姫は夢を見る」


 神父はアモルの話に、適度に相槌を打っている。


 スペースは頬杖をついたまま、ミルクセーキに刺さったストローを弄びながら「早く、この話終わらないかな」と退屈そうにしていた。


「夢にフェアリーが現れ、姫に告げる。イラクサで編んだ上着を兄たちに着せれば、呪いはとける、と。居場所も教えてくれた」


「ならば、話は早そうじゃないです?」


 アモルは微笑を浮かべ、ゆっくりと首を横に振る。


「棘のあるイラクサを使って、十一枚もの上着を編まなければいけない。しかも、その間は声を出してはいけないのだ。そう簡単な話でもない」


「……なるほど」


「上着が完成する前に、とある国の王に見初められ城に迎えられるのだが、姫は無言で一心不乱にイラクサで上着を編み続けた。だが、イラクサが足りなくなれば夜中に城を抜け出し、墓場でもどこでも出かける姫に、不信感を抱く者たちが出てくるのは当然なこと。――結局、魔女裁判にかけられ、話すことを禁じられた姫は釈明も出来ないまま、死刑が言い渡される。死刑台へ向かう馬車の中でも、姫は必死に編み続けた」


 神父は全てを理解したのか、一度小さく頷いて言った。


「愛する……兄たちを救うために」


「そのとおり。死刑執行直前に上着は完成し、姫の元へ飛んできた王子たちは救われ、その後、姫も王の妃として幸せに暮らした、というハッピーエンドだ」


「悪い話じゃありませんね」


「そうとも。姫は死刑になる可能性もあったが、自己犠牲、という最上の愛を示した。どうだ、神父。いい話だと思わないか? 君たちの教義では、それこそ至上の愛ってやつだろ?」


 今では名前を取り上げられ、聖職者とは程遠い元神父には答えようもなく、ただ苦笑した。


「――兄妹全員が幸せになった、と。では、イラクサの冠が完成すれば、あの二人も幸せになる、ということでいいのでしょうか?」


 アモルは神父に顔を覗かせ、鼻で笑う。


「それはない。助かるのはリアンノンだけだ」


 勝ち誇った顔のアモルと黙り込んだ神父の間で、スペースは大欠伸おおあくびした。


 グラスに残ったミルクセーキを最後の一滴まで吸い上げると、勢いよく吸いこむ音が虚しく響いた。


 飲み干した後、スペースは神父の方へ顔を向け、毒気を抜かれた声で言った。


「な、悪趣味だろ?」

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