第34話 もう一通の手紙

 実家に手紙を送って、かれこれ一週間が過ぎた。まだ返事はない。その代わりに、ジーン宛の手紙が届く。


 残り四十五日と言われても、二人の生活は変わらず、いつも通りのなんでもない毎日を過ごしている。その日も、映画にでも行こうか、となり、百合子が遅い支度を済ませた時だった。


 めかしこんだ百合子が、裾が邪魔とされる落下傘スカートの新作ワンピースを纏い、寝室から颯爽と現れた。


 流し目をジーンに送り、だるそうに言った。


「ご無沙汰じゃない? 早く出たら?」


 出かける前の訪問者は、基本的に家人には好まれないもの。このように玄関のチャイムを連打するような輩は、特に好ましくない。


 百合子の棘のある視線を浴びて、ジーンは悩ましい声で呟いた。


「なんか……やだな」


 三途の川、もとい砂漠の地で別れて以来だ。


 百合子は手に持っていた小さな帽子を、近くに寝そべっていたパラディの頭に乗せると、窓の側から離れようとしないジーンに向かって、つかつかと歩み寄る。


「いいから、早く行ってきてちょうだい。毎回毎回、あなたのお兄様はどうなってるの?」


 ジーンは肩をすくめて、「はいはい。奥様の仰せのままに」とウインクして、部屋を悠々と出て行った。


 大昔、「奥さん」と魚屋とか八百屋のおじさんに声をかけられ、その気になって店先で会話をしたことはあるが、奥様、と言われた経験はない。


 あまりの甘い響きに、気恥ずかしさと嬉しさと困惑が入り混じり、百合子の心臓は昇天しそうになっていた。


 そんな妻を一人置いて、ジーンは玄関前で作り笑顔を装備してから、兄を迎えた。


「本日は、なんの御用で?」


 いつものハイテンションからは程遠い、拍子抜けするほど落ち着いたスペースの登場に、ジーンは肩透かしをくらって作り笑顔をやめた。


 ジーンに劣らない爽やかな笑顔で、スペースはウインクして言った。


 余談として。


 相手に好意を示す最良の方法として、ウインクが最も効果的、と代々家訓のように受け継がれているらしく、スペースとジーンはウインクを多用する傾向がある。


 スペースが、愛想のない弟にニヤリと笑って言う。


「今日はな、お前に、お便りを持ってきてやったぞ」


「誰から?」


「不良神父からだよ」


 酒と煙草と女を愛する、ジーンの敬愛する人物こそが、その不良神父。元は人間らしいが、死んでからも冥府に居座り続け、挙句あげくに起こした事業が成功し、結局、冥府の住人として暮らしているという特異な男。


 名前は冥府の上の人に取り上げられ、呼び名を神父とされた。冥府には、生死に関わる神々やその使徒がいても、神父は彼しかいないので、これと言って問題にはなっていない。


 死神は黒髪、というのが常識な世界で、銀髪に生まれたジーンは、何かと面倒が起こりやすい子供時代を過ごした。


 冷たく尖ってしまったジーンの心を溶かしたのは、二人の存在があった。一人は、最初の理解者となった神父。そして、もう一人は若き日の百合子だった。


 スペースは「ほら」と、ジーンの胸に封筒を突き付ける。


「よーく読んで、反省しろ。そして、さっさと引き上げようよ」


 スペースはスーツの内ポケットからハサミを取り出すと、「これ、使えよ」とジーンに手渡した。


 ハサミまで用意していたことに、ジーンはクスっと笑いがもれる。渡されたハサミを使って、封筒の上を切りながら、


「冥府に戻ったとしても、僕の寿命が短命であることに変わりないことくらい知っているだろう? 結果が同じであれば、僕はこっちで悠々自適な日々を過ごし、生涯を終える方を選びますよ」


 ジーンが満面の笑みでハサミをスペースに戻し、封筒を開けようとした時、スペースはジーンの耳元に顔を近づけて、こうささやいた。


「それ、なんだけどな……向こうで、アモルと話し合ってだな」


 ジーンは封筒から手紙を取り出す手を止めた。


 溜息混じりに、恨めしそうに呟く。


「また良からぬことを、たくらんでいますね」


「声がでかい!」


 一人で慌てふためく兄を尻目に、ジーンは呆れ顔だ。


「用事が終わったのなら、どうぞお引き取りを。僕らは今から映画を観に行くんですから」


「あ、俺も行きたいかも」


 スペースの「それいいね」という二人の計画に相乗りし兼ねない雰囲気に、ジーンはあからさまに嫌な顔を向ける。

 

「冗談だよ。ちょっと本気だったけど。ホント、冷たいよな」


「で、どんな話をしたんです?」


 自信あり気に、スペースは鬱陶しいほどジーンに攻め寄る。


「聞いて驚くなよ。俺たち、お前のために、フランマを行使しようと思うんだわ。どう、これどう?」


「ほら、やっぱり余計なことだ」


 折角の兄たちからの救済措置を、末っ子は無下にも却下した。


「なんてこと言うんだよ、このバカっ!」


「声、大きいですよ」


 ジーンの肩越しに、百合子がいるであろう廊下の先を覗き込むスペース。聞かれていないことを確認して、ジーンの肩に腕を掛け、もたれ掛かると、再び小声になった。


「俺もアモルも、お前になら分けていいと思ってる。当然だ。それで可愛い末っ子と共に暮らせるのであれば、安いもんだ」


「じゃあ、百合子にも慈悲をみせてくださいよ」


 スペースはジーンの肩から腕を外すと、体ごとジーンから離れた。


「――そりゃお前……ないでしょ」


 真顔というか無表情のジーンは、より美が際立ち形相が怖い。


「なんで」


 淡々とした末っ子をなだめるように、スペースは言い訳を並べ始める。


「なんで、って、お前。俺からすれば赤の他人だし? それに、あいつ、もう死んでるんだぞ? あるべき場所に導くことが、死神の役目だろうが」


「全部分かった上で、僕らは決めたんです」


「いつから、お前そんなに頑固になったわけ? 前はもっと何でも言うこと聞く、いい子だったじゃないの」


 スペースの言う通りで、ジーンは神父以外では兄たちくらいしか、慕える人がいなかった。この三人に見放されることを、ジーンは極端に怖がっていた。


「以前はね。友達いなかったし、仕方なく」


 肩をすくめて舌でもペロッと出しそうなジーンに、スペースは眠そうな目を更に細くする。


「うわ……可愛くないわぁ。とりあえず、神父の手紙でも読んで改心しろ」


 ジーンは手紙を開いて文面を見るや否や、ものの数秒で笑った。その反応は、スペースが期待していたものと違った。


「――神父、なんだって?」


「端的に言えば、お幸せに。です」


 スペースは面目丸つぶれである。忙しい長兄、アモルと二人で末っ子を救うのだ、と冥府のバーで互いに誓ったばかりなのに、思惑が大きく外れた。


 いつもの席に座ってワインをたしなんでいた神父も、兄たち二人の想いを頷きながら聞いてくれた。しかも、二つ返事で、ジーンを説得する有難い手紙を書いてくれたものと、スペースは完全に信じていた。


「あんにゃろう……話が全然違うじゃないかよ」

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