第20話 初対面

「誰かしら?」


 ジーンが「誰も来ないね」などとフラグをたてたせいなのか、訪問客など存在しない百合子の家に、鳴るはずのないチャイムが聞こえる不思議。


 しかも、常人では有り得ないほどの連打である。


 心当たりがあるのだろう。ジーンはクッションに顔をうずめ、声にならない唸りをあげている。


 百合子は責めるような視線を、無言のジーンに投げかけた。


「あなたの知り合い? ご近所迷惑なんですけど」


 隣人が誰かも知らず、長いこと一人で暮らしてきた百合子が、今更、世間体を気にする必要はないが、この鳴り止まない高音は、精神的にも肉体的にも辛い。


 百合子は居ても立ってもいられず、無言の圧力を込めてジーンの肩をゆする。


「ねえ、私が出ましょうか?」


 ジーンはクッションから顔を離し、精一杯の笑顔を覗かせた。


「僕が行くよ……残念ながら、あれは僕の身内だから」


 身内。


 その言葉に百合子は、「まあ!」と大きな口を開け、鏡の前にすっ飛んで行った。


 もともと身なりにだらしないタイプではないし、ジーンと暮らすようになってからは、少し早めに起きて、薄化粧するのが習慣となっていた。


 だが、身内となれば、別の話である。相手は死神であれなんであれ、ジーンの家族が、眉を寄せるような女ではいたくない。


 百合子は鏡の前で溜息をつき、すぐにジーンに振り返り、食ってかかった。


「どうして来ることを教えてくれなかったの!」


「君はキレイだよ」


「誤魔化さないでちょうだい!」


 そう吐き捨て、百合子は台所へ足早に向かった。


 すぐに「お茶菓子がないわ!」と、百合子が騒いでいるのを聞きながら、ジーンは苦笑した。


「さて、行きますかね」


 ジーンはソファから重い腰を上げ、鉄球でも引きるように、のろのろと玄関へ向かった。


 払拭できそうにない不安も一緒に、ほんの少しだけドアを開けると、チャイムはピタリと止まった。


 ドアの隙間から顔を覗かせると、黒い細身のスーツを着こなした、優男のスペースが、白い歯を見せた。眠そうな目を緩ませ「よお」と、嬉しそうに片手を挙げて。


 ジーンは頬を引きつらせながらも、一応の笑みをみせてから、スペースの目の前に人差し指を立てた。


「チャイムは一回でお願いします」


「誰も出てこないんだから仕方ないじゃん。それに、なんだか押してる内に気持ちよくなったんだよね。不思議だよねえ」


 そう言ってる端から、スペースは廊下の向こうから聞こえる台所の物音に耳を傾け、不敵な笑みを浮かべている。


「へえ、今日はご在宅なんだ。例の彼女」


「知っていて来たんでしょ」


 スペースは靴を脱ぎながら「まあね」と言いながら、勝手に玄関を上がり、廊下を進んでいった。


 途中、百合子がいる台所を覗こうとしたが、ジーンに制止され仕方なく居間へ入った。


 入り口で寝そべっていたパラディを、スペースが見下ろす。


「ようパラディ。お前、まだいたの」


 可哀想にパラディは萎縮してしまい、子犬のように、くうぅうん、と切ない声で鳴くと、ジーンの後ろに隠れてしまった。


 スペースは居間に入ると、迷うことなくソファにドカっと腰を下ろした。


 そこへ、全身を強張らせた百合子が、重い空気を携えて居間に現れた。


 スペースは半目を見開き、百合子に向かって、大げさに両手を広げた。


「これはこれは! 初めまして、お嬢さん!」


「これが次男のスペース」


 百合子は、ジーンの淡々とした紹介に無言で頷いた。スペースにぎこちなく一礼してから、スペースの前にあるローテーブルに近づいた。


 両手で抱えていた盆が、得体の知れない相手に震えている。金箔の蝶が描かれた黒い漆塗りの盆から、コーヒーの香りが立つジノリのカップを、カタカタと音をさせながら慎重に置いた。


 からになった盆を胸に抱きしめ、百合子は頬を引きつらせながら、口角を上げてみる。


「初めまして。早乙女百合子、と申します」


 百合子はスペースの顔を見ないように、すぐに頭を下げてうつむいた。


「俺はリアの、いやいや、ジーンの兄貴ってやつ。よろしくね」


 百合子の第一印象は、頭は悪そうだが、気さくで話しやすそう。


 そんな辛辣しんらつな感想が頭に浮かんでいた。ただ、スペースの自信に満ち溢れ、自由を謳歌するような言動には、少しだけ憧れに似た感情を感じた。


 当の本人、スペースは実に自由だった。芝居掛かった様子で眉をグッと寄せ、右の手首を顔の前に持ってくると、腕時計を見る仕草をして仰々しく叫んだ。


「おっと! もうこんな時間じゃないか!」


 ジーンと百合子は、互いに困惑しながら顔を見合わせた。


 空気を読むことを良しとしないスペースは、二人を置き去りにしたまま、既に自分は舞台から降りていた。


 何がしたかったのか、一仕事終えたような疲労をにじませながら、スペースはコーヒーを口に運んだ。


「うん、悪くないね」


 スペースは満足そうに、持ち上げたカップを静かにソーサーに置き、百合子を上目遣いに見ながら小さく笑った。


「うちの子、優しいでしょ?」


「ええ……まあ」


「だろうねえ。ま、俺には冷たいんだけどね」


 うつむいて何か言いたげな百合子を、スペースは一瞥すると、表情を柔らかく変えた。


「っていうか、座りなよ」


 百合子は芽生えた不信感を心の内に隠し、しとやかに頭を下げ、ソファの端っこに腰を下ろした。


 改めてスペースを横目で見て、ふと百合子は思った。


――ジーンと似ていない。


 末っ子のジーンが、爽やかな白馬の王子様だとしたら、スペースは緩さの中に時折ピリっと刺激が走る、色気というか毒っ気がある。両極を行ったり来たりする、そのアンバランスこそが、彼の魅力と言えるだろう。


 つかみ所のない不思議な死神を見ていると、おかしな人では済まないような、何か不穏な空気が胸の中に漂ってくる。


 同時に、純粋な好奇心も湧いてきた。


――本来、死神とは骸骨に黒マント、それに大鎌を持っているものじゃないの? 


「なに? 俺、なんか変?」


 スペースは自分のスーツやネクタイに目を走らせ、身嗜みをチェックし始めた。

 

「ご、ごめんなさい。私が知る死神とは、なんというか……お二人の様子は、少し違う気がして……つい見つめてしまいました」


 スペースは何かを想い出すように視線を少し上げ、「ああ、なるほどね」と一笑した。


「それはクラシカルなスタイルだなあ。昨今、鎌を持ち歩く死神は減る一方だよ」


「まあ」


 興味深い話に、百合子の両目が輝いた。


「そりゃそうよ。あんな重いもの。冥府もさ、何かと小型化が進んでいるからね」


「小型化?」


「興味ある? 他に聞きたいことある?」


 百合子は顎に手を添え、少し考えるふうにして、スペースをチラリと見た。


「そうですね……例えば、マント、とか?」


「はいはい、マントね」


「着ないのですか?」


「仕事の時は羽織るよ。今日は、ほらプライベートだから」


 スペースはジーンがするように、百合子にウインクを飛ばした。百合子は扱いに困り、苦笑した。


「なるほど……では、骸骨は?」


「かぶる、かぶる。素顔を隠すためのマストアイテム、っていうね」


 よく回るスペースの舌は、調子づきながら加速していく。


「デザインは好みで色々だけど、やっぱスカルが一番人気かなあ」


「顔を隠す必要、あるのですか?」


「あるともさ。自己防衛と秩序を守るためにね。死神はわりかしツラが良いもんだから、恋愛沙汰になりやすい、という一面があるんだわ。冥府までの道すがら、なんだかいい雰囲気になったりしてさ」


 百合子は気まずさに、苦し紛れの笑いを挟んだ。


「迎えに行くたんびに両目をハートにされたんじゃあ、こっちも身が持たないって話ですよ」


 スペースは、陽気に声を上げて笑った。


 これが本当の話であれば、ジーンの登場場面は非常に不可解である。百合子はクリスマス・イブの夜のことを思い出していた。


「でも、ジーンは最初から、私に素顔を見せていました。マントも羽織っていなかったし……そう、白いタキシードを着た花婿のようでした」


 スペースはソーダ色の瞳にかかる前髪を指先ではねると、一人、顔を赤らめるジーンを横目に笑った。


「ま、あいつはお年頃だからね。君の花婿にでもなったつもりで、ドヤ顔で迎えに来たんじゃないの?」


「そんな……」


「それよりさ、場所を変えて話す、ってのはどうよ?」


 それまで静観していたジーンが、百合子の側に近づきながら、


「お断りします」


 きつい眼差しで、ジーンは、きっぱりと言った。


 スペースは首をゆっくり横に振ると、小さく鼻で笑った。


「だからさ、言ってんじゃん。もう時間なんだ、って」 

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