第13話 雷鳴と共に その1

 その日は雨雲が広がり、雷鳴が遠くで轟いていた。ポツポツと降り始めた雨が、窓を叩き始めている。


 雨音だけが聞こえる静かな部屋には、深い溜息が響いた。


 ジーンは傍に座るパラディの頭を撫でながら、時折、暗雲の狭間に光る稲妻をぼんやりと眺めていた。


 午後から本格的に天気が崩れる、とテレビのニュースでも注意喚起されていたにも関わらず、百合子は駅前の商店街に出かけている。


 明日は花見を予定しているからだ。弁当を作るという使命に、百合子は嬉々として買い出しに行っていた。


 傘も持たずに出かけたことも心配だが、それ以上にジーンには至上命題が迫っていた。


 ジーンが部屋を離れようとすると、パラディがジーンの後をついてくる。


「お前は、ここで待っておいで」


 利口そうな瞳で見上げると、優しい主人あるじの言うとおりに、ピタリとその場に前足を揃えて腰を下ろした。


 ジーンは頭を掻きながら、玄関の方へ歩き出す。


 待っていたかのように、チャイムが鳴った。


 こんな時に限って、下駄箱の上に置かれた一輪挿しが目に留まり、可憐な一本の花に、頬が緩んでしまうとは。


 二日ほど前のこと。百合子と買い物に出かけた際、花屋の年老いた店主が「奥さん、美人だから」と言って、オマケにプレゼントしてくれたピンクのガーベラである。


「まいったね」


 まだキスもしたことがない、ままごとのような同棲生活の二人には悩ましい話だ。


 微笑するジーンの頭に、扉の向こうにいるであろう訪問者の顔がぎる。浮かんだ笑みも、溜息と一緒に吐き出した。


 客は待ちきれないらしく、執拗にチャイムを押してくる。ジーンでなくとも、溜息の一つも吐きたくなるというものだ。


 ガチャと内鍵をひねり、ドアノブを回す。


 その美しい瞳に冷たい光を宿すため、呼吸を整えながら、ゆっくりとドアを押し開ける。


 外でジーンを待ち構えていた客人は、見栄えの良い男の二人組。


 ジーンがドアを開けるやいなや、玄関に飛び込んできたのは半目の男の方だった。


「サップラーイズ!」


「まさか玄関から来るとは。お久しぶりです、スペース」


「リアン、あ、いや、こっちじゃジーンだっけ? 元気ぃ?」


 出来ることなら、穏便に事を済ませたい。ジーンは目の前に立つ半目の男に、まやかしの笑顔を向ける。


「どちらでも構いませんよ」


 スペースはニヤりと返すと、「じゃ、リアで」と答えた。


 訪問者は、冥府からやって来たジーンの兄二人である。二人揃ってタキシードに思い思いのタイを選び、優雅に着こなしていた。


 銀髪のジーンに対し、二人は異母兄弟のため黒髪だ。


 ノリが軽いスペースが次男坊。色気と緩さが混じり合った、眠たそうなグリーンの瞳が自慢。ミッドナイトブルーのタキシードに、黒い水玉の蝶ネクタイという洒落者でもある。


 スペースの背後に立っているオールバックの男は、長男のアモル。切れ長の鋭い瞳の色は末っ子ジーンと同じ榛色。彼のタキシードと蝶ネクタイは黒づくめという、実にエレガントな雰囲気。


 こうして二人が並ぶと、どこぞの社交場かと見間違いそうだ。


 そんな正統派の死神として、アモルはジーンを値踏みしていた。頭からつま先まで流し見すると、怪訝な視線を投げながら、首をゆっくりと横に振った。


「なっとらんな」


 長男の意を察したジーンは「これですね」と白いTシャツの裾をひっぱってみせた。愛用中のスエットパンツも、今のゆるゆるな生活を物語っている。


「人間のまねごとか?」


「部屋着ってやつですよ」


「そんなことより」


 百合子が不在だったのは幸いだった。


「話なら中でどうぞ」


 間からスペースが口をはさんできた。パンツの前ポケットに両手をつっこみながら、体を横に大きくかたむけ、後ろにいるアモルの視界を遮っている。


「リアも人間くさいことを言うようになったもんだな」


 愛の巣に立ち入る気満々のスペース。


 その足を止めたのは、長男のアモルだ。

 即座に、スペースの肩に手を掛けた。


「話はすぐ済む」


 スペースはアモルに、勢いよく振り返った。まるで、出かける約束を反古ほごされた子供のように、失望感を猛烈に顔でアピールしている。


「ちょっとくらいいじゃん!」


「そんな暇があるとでも?」


「俺は末っ子が東京でイチャイチャしてるって聞いたからさぁ、顔を拝みにきたんだよ」


「……お前はもう帰れ」


「ノリ悪すぎぃ」


 ジーンは実兄弟のやりとりを黙って見ていたが、隙を狙うように、靴箱の上にある小さな時計をチラッと見た。


 にこやかに取り繕っていたジーンの顔が一瞬だけ曇ったのを、アモルは見逃さなかった。


「そうだな……ちょっと、寄らせてもらうとするか」


 脳裏に浮かんだ悪い予感が的中。ジーンは微笑みを消し去り、イラっとした声をアモルにぶつける。


「どうぞ。僕の家ではありませんけど」


 アモルは気にもとめずに、淡々と答える。


「それはそうだろ」


 ジーンは抵抗せずに、アモルたちを家にあげることにした。状況は明らかなわけで、アモルと言い争っても、無意味な気がしたからだ。


「二人とも辛気しんきくさい顔してんなぁ。まあ、いつものことだけど」


 三兄弟の中で、スペースはバランサーの役割を担っている。絶対におちゃらけることはない長男と、兄二人に気を使いつつ距離を保っている末っ子。


 スペースに言わせれば「お前たち、暗いよ」。


 ジーンからすれば、今ここで追い返したい二人を前にしても、スペースの茶々を好ましく感じてしまう。


「まあ、いいけどさ」


 スペースは苦笑するジーンの肩をポンと叩くと、満面の笑顔で続けた。


「さてっと、お宅訪問はじめるよー」

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