第17話 桜の樹の下で その2
芝の柔らかな
家族連れで賑わう場所から少し外れた木の下に、持参した小さなシートを敷いた。
ジーンが、赤い風呂敷で包んだ弁当をシートの上に置いたところで、百合子が「あら、やだわ」とぼやいた。
百合子はシートに膝をつき、持ってきた紙袋に手をつっこんだまま、唖然としている。
「どうしたの?」
「ごめんなさい。どうやら、家に水筒を忘れてきたみたいなの」
「問題ないよ。どこかで、僕が買ってくるよ」
「いいえ、私が行く。公園に来るなんて久しぶりだもの。散歩がてら、ちょうどいいわ」
「そう? じゃあ迷子になったら、近くの人に道を聞くこと。いい?」
子供扱いされているのか、老人扱いなのか。いずれにせよ、たまにジーンの過保護な言い方が、百合子は全くもって気に入らない。
「平気よ。公園の中なんだから」
方向音痴の百合子が、そう簡単に売店までたどり着くだろうか。
当の本人は、黒いハンドバッグをシートから取り上げ、そそくさと芝の上を歩き始めた。
ジーンはシートの上に腰を下ろし、遠ざかる百合子の背中を眺めている。
時折、不安そうな顔で振り返るから、そのたびにジーンは微笑み、小さく手を振ってやるのだ。
しばらく右往左往していたが、どうやら通りがかった家族連れに場所を聞いたようで、今度は足取りも軽く、百合子はジーンの視界から消えた。
「すぐには戻ってきそうにないな」
ほんの少し冷たい春風と太陽の暖かさに、ジーンは両足を芝の上に投げ出し、そのままごろんと横になった。
「後をついていってくれる? 何かあったら、すぐに僕に知らせて」
一瞬、突風のような風が横切った。
百合子の護衛に、パラディが走り去った後のことだ。
心地よく日光浴を楽しみながら、ジーンは瞼を閉じたまま呟いた。
「やだなぁ。寝たふりも駄目ですか」
「当たり前じゃ。お
ジーンは口元を綻ばせ、寝転んだまま瞼を開けてみると、幼女と目が合った。
声の主は、
「はじめまして」と言って、ジーンは体を起こした。
「まだ、あなたのような精霊が存在するとは驚きですよ」
幼女は淡々と答える。
「ふん、死神が人の子に
桜の木から現れた精霊は、年老いた仙人のような物言いだが、容姿は人間の年齢でいくと六、七歳の女児のように見えた。
腰よりも長い黒髪に映える山吹色のリボンが、こめかみの辺りに飾られ、風で揺れている。
着物も見事である。純白に金糸銀糸で描かれたひし形の幾何学模様という大人びたもので、豪勢な刺繍で無限を表す
「この桜の樹の精霊ですか?」
「いいや。わしはこの辺りの野に長いこと住んでおるカヤノツチという」
「カヤノツチ……お名前からすると、神代からいらっしゃるというわけだ」
「そういうことになるのう。ん?」
カヤノツチはジーンを睨み据え、言葉を繋ぐようにしながら、
「お
「ええ、まあ」
「はぁ、これはまた面妖な。死神というのは皆、闇に溶け込むような黒髪ではないのか?」
「珍しいですか?」
「見たことも聞いたこともないわ」
「僕もです」
ジーンはそう言って、人懐っこい笑みを見せた。
カヤノツチの興味を引いたのか、珍しいものを見るように、その小さな手でジーンの頭や顔をぺたぺたと触り始めた。
吹き出さないように、ジーンは笑いを堪えている。
「ふうむ、人の血が混ざっておるな? お父上が人の
「分かりますか」
「人の子との色沙汰が珍しいわけではないが……子が出来たとはな」
「特異な存在であることは自覚していますよ。寿命も半分しかありませんし」
「そう悲観的になることもあるまい。こうして花見に来ておるではないか」
ジーンは微笑とも苦笑ともつかない笑みを浮かべた。
「おっしゃるとおりで」
カヤノツチは首をかしげ、控えめに笑うジーンの顔を覗き込み、声をひそめた。
「さて、あの娘」
「はい」
「嫁にでも貰うつもりか?」
真面目な顔で問うものだから、思わずジーンから本物の笑顔がこぼれる。
「ああ、それもいいですね」
「笑いごとではなかろう……自然の理を逸脱した存在を、この世に留めるということは、世の均衡を崩すことになりかねんのだぞ。分かっておるのか? この
何を思ったのか、ジーンは微笑を浮かべたまま、精霊の顎を人差し指で、優しく撫で上げた。
「なっ! なにをするうう!
赤面を隠そうと、カヤノツチは両袖を口元に寄せ、死神に受けた辱めにわなわなと震えている。
「ごめんなさい。あまりに、お可愛らしかったので」
謝ったかと思うと今度は溜息を下げ、ジーンは遠くで笑い声がする家族連れの団欒を眺め始めた。
「情緒不安定の死神とはタチが悪いのう。己の務めを果たせ!」
精霊は憎まれ口を投げると、ジーンの頭上に桜の花びらを散らしながら姿を消した。
はらはらと降ってくる花びらを見上げ、ジーンは前髪についた一枚を指でつまんだ。
「桜に寄り付く精霊というのは、もっとしっとりとした大人の女だと聞いていたんだけどなあ」
木の上の方から「ほっとけ!」と幼女の愛らしい声が聞こえた。
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