第3話 自分の中の『?』

 少年がぼんやりと目を覚ますと、パチパチと優しい音を立てる明るいたき火が目に入った。火のすぐ横には妙に存在感のある小さな生き物が石の上に座り、少年をじっと見つめていた。ほんの一瞬、見つめ合う。

 ジュウという音に少年がハッとすると、たき火では大きな肉のようなものが串に刺され焼かれており、ジュウジュウと音を立てて油を滴らせ、辺りにもその油の焼ける良い匂いが広がっていた。少年は薄い毛布のようなものを一枚被せられていただけで、体に何も身に着けてはいなかったが、たき火のおかげかあまり寒いとは感じなかった。


「おぉ、やっぱり生きたか。お主なかなかタフよのう……」


 小さな生き物が、感心したような、呆れたような、そんな声を出した。

 ふわふわとした長い髪を背中に垂らし、三角帽を被り、ステッキを持ったその姿は、どこか妖精めいた、不思議な印象を少年に与えた。


「ここは……どこですか?」


「お、おぉ? もうさっきみたいのは言わないのか?」


「?」


 少年が首を傾げていると、小さな生き物は「それはまぁ、いいじゃろか……」と呟き、改めて少年と向き合った。


「ここは、地の底。人間がいう古代龍エンシェントドラゴンの巣穴と呼ばれているその最奥にあたる場所じゃ。喜べ、前人未到の地、地下999階にお主は単身生きて辿り着いたのじゃよ」


古代龍エンシェントドラゴン……の、巣穴?」


「そうじゃ。ん? なんじゃ、まさかそこを知らぬという訳でもあるまい? 今からおよそ500年前、かの人類の英雄アルトマンと幾度となく刃を交え、時に友情を交わし、時に……って、その顔本当に知らぬのか……」


 少年が「?」ばかりの顔を浮かべているので、小さな生き物は呆れて頭を振った。その時、匂いに釣られた少年の腹がぐぅと鳴る。

 小さな生き物はその音に苦笑すると、たき火で焼いていた肉を少年に向かって差し出した。小さな生き物よりも二回り近くも大きな肉を、である。見た目以上に力があるようだ。


「ほれ、まずは食え。話も何も、全てはそれからにしようではないか。回復魔法が受け付けるんじゃから、肉も食えるんじゃろ」


「は、はい……?」


 何を当たり前な事をこの小さな生き物はいうのだろうか、と少年が訝しがりながら肉のついた棒を受け取ると、突然少年の目の前に『?』の文字が浮かびあがった。『?』の下には、矢印も伸びている。

 矢印は、小さな生き物が差し出してくれた肉に対して、『?』と出ているようだ。


「……? な、なんだ、これ……?」


 まるで何もない空中に『?』という少し霞んだ青緑色の文字と矢印が浮かんで見える。だが、小さな生き物は少年の言葉を別の意味で受け取ったようで、自分よりも大きな肉にかぶりつきながら「あぁ、しょれはひょれ、しょこらひぇんによくふぉる、アーふワームの肉じゃよ」と答えてくれた。そこらへんによくいるアースワームの肉、と言いたいのだろうか。


 すると途端に目の前の『?』が『アーワームの串焼き』に変わり、それからふっと掻き消えた。


「なんだったんだ……?」


「ひょれ、むぐ……。早く喰わんと、こいつは冷めると石みたいに固くなるからな。焼くと油分が出てくるくせに、なんとも奇妙な生き物じゃて」


 小さな生き物の言葉を聞いて、少年はそれを慌てて食べ始めた。肉はそう固くは無かったが、味は石か砂か、泥か粘土か、とにかく人間が食べられるような味ではなかった事は確かだった。小さな生き物と少年は、味覚が違うのかもしれないと思った。しかし、なぜだか『出されたものは残さず食べる』という言葉がふと頭に浮かび、少年は考える事を止めてただ黙々と、オートマチックに食べることに集中した。


「……」


 腹はいっぱいになったが、心は満たされなかった気がする。


 少年がふぅ、と一息つくと、小さな生き物は背中に羽が生えているようにふわりと浮かび、そっと近寄ってきて、少年をしげしげと観察し始めた。そこに羽根は生えていなかったが。


「ふ、むぅ……あれだけの傷が、ここまで直るか……」


 前を飛び、後ろに回り、少年の腕を上げ下げさせ、頭の上をぶんぶん飛び回る。

 必死に目で追いかけていると、あの『?』が再び浮かび上がった。今度はこの小さな生き物を指している。色は先ほどとは違い、黄色だった。どうやら少年が長い間じっと見つめる事で、この文字と矢印は出てくるようだ。


「あの……ところで、あなたは」


 そう聞くと、小さな生き物は少年の頭の上にどっかり着地して「あぁん?」と啖呵を切った。


「お主、またあの問答を繰り返すつもりではなかろうな。もう妾燃やすのはごめんだぞ」


「え、燃やす?」


 きょとんとして聞き返すと、小さな生き物は頭の上で戸惑うように答えた。


「あっ……いや、そのぅあれは不可抗力というか……ふむぅ、もしかしてお主、何も覚えておらぬのか?」


「え、あ……はい……? あれ?」


 小さな生き物のその言葉に、少年は一つ分かった事があった。

 いや、理解したと言うべきか。


 少年は、自分の名前はおろか、今までの記憶の全てを忘れ去ってしまったようだった。着る物も、持ち物さえもなく、この古代龍エンシェントドラゴンの巣穴の最奥で。


「僕は……誰だ?」

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