再生可能エネルギーは再生可能じゃない

 風力発電や太陽光発電などで得られるエネルギーを、「再生可能エネルギー」と呼びます。東日本大震災以降、注目度が高まっています。


 そもそもの話ですが、私はこの「再生可能エネルギー」という言葉が大嫌いです。なぜ、風力や推力、太陽光を「再生可能」などと言うのでしょう? その大元を辿れば、太陽の核融合反応による熱によってもたらされているのであって、それは無限に湧き出るものではありません。今現在も、水素やヘリウムが消費され、より重い原子へと変換されています。約50億年後には鉄(Fe)原子となって太陽の活動は終焉を迎えます。


 人生100年時代などと言われますが、たかだが100年間という(天文学的には)短いスパンの中でしか考えていないから、「再生可能」などという傲慢なことが言えるのです。エネルギーは再生可能などではなく消費され続けている、その事実から目を背けさせるための誤魔化しです。再生可能などと言い続けていれば、そのうち「再生可能なのだから、無駄に消費してもいい」などという考えが広まることだって考えられます。今までの人類の歴史を振り返れば、ないとは言い切れないでしょう?


 そして、再生可能エネルギーと言う言葉が、原子力発電のカウンターとして利用されていることも気に入りません。いわゆる原発反対派の人たちは、再生可能エネルギーが原発に代わってバラ色の未来を描くみたいな、脳の中に花でも咲いているんじゃないかと思える理論を振りかざしますが、それは「木を見て森を見ず」な狭い考えでしかありません。

 ここに来て、再生可能エネルギーとやらの化けの皮が剥がれ始めています。

 風力発電に関しては、羽根が回転する際に発する騒音問題が以前から指摘されていますし、毎年台風がやってくる日本では風力発電装置の倒壊といった事故も起きています。

 また、太陽光発電にしても無茶なメガソーラー開発によって引き起こされる土砂災害や自然破壊、あるいは太陽光がある限り発電し続けるという特性のために、火災が発生した場合に水で消火しようとすると感電する可能性もあります。扱いが非常に面倒である上、20年、30年後には寿命を迎えることになる太陽光パネルは、今の所リサイクルの手段がありません。このままだと、大量のゴミが発生します。東京都が打ち出した、新築物件への太陽光パネル義務化は、愚策中の愚策だと言えるでしょう。


 個人的には、原子力発電は将来的に核融合へと置き換えられるべきと考えていますが、未だ人類は核融合技術を実用化レベルまで持っていくことが出来ていません。ようするに、現状では火力、原子力、水力、風力、太陽光それぞれを組み合わせてうまく(欺し欺し)使っていくしかないのです。

 だからこそ、誤解を与えかねない「再生可能エネルギー」などという呼び方は、止めるべきと考えています。


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