「おおすみ」打ち上げから50年

 今から50年前の1970年2月11日。鹿児島県内之浦の宇宙空間観測所から、日本初の人工衛星「おおすみ」がラムダロケットによって打ち上げられました。名前は射場のある大隅半島から名付けられました。人工衛星の軌道投入成功は、ロシア、アメリカ、フランスに次いで四番目となる快挙でした。別に(打ち上げ)が早ければ偉いというものでもありませんが、当時の日本が置かれていた状況を考えると、ものすごい努力と情熱が注ぎ込まれたというしかありません。

 「おおすみ」を打ち上げたL-4Sロケットは、成功までに五回失敗しています。「おおすみ」自身も完全な成功とはならず、予定した軌道には投入できず、また電池の消耗が激しく30時間持つはずが15時間ほどで電池切れを起こしています。失敗続きだったせいか、マスコミもあまり大きくは報道しなかったようです。



 ソビエト連邦(当時)が人類初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げたのは1957年10月。この成功は、アメリカに大きな衝撃を持って伝えられ、「スプートニクショック」と呼ばれています。宇宙開発競争が過熱し始めるきっかけだったと言えるでしょう。日本では、1956年にカッパロケットの打ち上げが開始されたばかりでした。


 カッパロケットには、負の歴史があります。1960年に東京大学生産技術研究所と富士精密工業がユーゴスラビアにラムダロケットと固体燃料製造技術を輸出したのですが、「軍事転用はしない」という約束は反故にされて、ミサイルに転用されてしまいました。糸川博士も含め東大がまんまと騙された形ですが、そのお陰で1967年に武器輸出三原則が生まれ、日本の技術発展を阻害する要因になってしました(あくまで個人的な考えですよ)。また、この流れでラムラロケットには誘導装置が搭載されていません。社会党(当時)が「軍事転用に繋がる」として誘導装置の搭載に反対したからです。歴史にIFはありませんが、もしカッパロケットを輸出しなければ、人工衛星の軌道投入はもっと早かったかもしれません。それとも、資金不足でラムダロケットができなかったかも。


 ちなみに東京大学生産技術研究所→東京大学宇宙航空研究所(「おおすみ」のうちあげ)→宇宙科学研究所→JAXA、富士精密工業→プリンス自動車工業→日産自動車→IHIエアロスペースと変遷しています。


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