4話ー5 その誇りは騎士の証

 英国令嬢が別荘にて野良魔族の襲撃を受けてより――東都心全域で、強い闇の揺らぎが現れ始めていた。

 そこには英国令嬢の心に落ちた、闇の残滓ざんしが少なからず影響していたが――本質的な所は同時に発生した別系統の問題が作用していると、宗家全体で確認に至っていた。


 何より問題は闇の習性――闇の深淵オロチの特徴とする所では、主に負の力が渦巻く場所が野良魔族の発生源となる事が確認されていた。

 その点においては、日本を始め世界の研究仮定で共通の認識を持つ。

 しかしそこへ闇の深淵オロチ本体が絡んだ際、さらに複雑な事象が発生する事を、守護宗家は長年の研究を経て立証―― 一例として一度心に闇の残滓ざんしを落とした霊的生命が、再びその深淵の餌食となる可能性を示唆している。


 即ち――現在ご令嬢が宗家と執行部隊の、厳重な警備下にあると言う現実そのものを指しているのだ。


「ディクサー、ご令嬢の容態は変わりないか?」


「これは隊長――と、ヤサカニのご当主様……現在アセリア嬢に異常は見受けられません。」


 巨躯の騎士ディクサーは訪れた騎士隊長と、ヤサカニが誇る英雄に一礼し——現状特に令嬢への変化がない事を報告する。

 古来より闇の深淵オロチの討滅を生業として来た守護宗家は、闇の残滓ざんしを内に残す人間が再びそれらに飲まれると言う考察——そこへさらに過去の事件で観測された、二つの結果について研究を進めていた。

 それは闇の浸蝕が当事者の内よりのモノか——或いは外からのモノかと言う結果である。


 裏門当主がご令嬢を保護する一室へ訪れたのは、まさに研究で得られた結果に合致する状況へ陥る恐れを鑑み――ご令嬢の現状を把握するためであった。


 ご令嬢の状態——万一に備え、外部から状態確認出来るモニタリング室から幼き貴族の少女を一瞥し、僅かに安堵したヤサカニ裏当主が口を開く。


「なるほど……精神状態は安定している様ですね。令嬢お付の侍女から、彼女が一時は自らの犯した行為に酷く傷付き……塞ぎ込んでいたと聞きましたが——こちらの心配は、どうやら杞憂に消えたと言う所でしょうか。」


 自らの経験上——そうした場合の双方向の結果を経験している当主は、ご令嬢の置かれた状況が前に向く方向の落ち込みであると確信していた。

 前に向くか否か……それは当事者の置かれた状況で、全く真逆の事態が待ち受ける。

 少なくともご令嬢の置かれた状況には、確実にあの断罪天使が関係し——それが明らかに良い方向へ作用している。

 ヤサカニ れいと、オリエル・エルハンド――

 ご令嬢の元へ訪れた稀代の英傑二人は、言葉にせずとも同じ結論へ辿り着いていた。


「この場は一旦、彼女の……別施設への移動検討を提案します。」


 ヴァチカンを代表する騎士隊長エルハンドの進言——未だ不安が残るも先の今。

 容態が安定しているならば、医療施設へ缶詰めにする方が幼き少女の精神的不安を助長しかねないとの思考。

 ヴァチカン聖騎士の意見へ首肯にて同意を示すヤサカニ裏当主は、同時に騎士隊長の器を改めて実感していた。


 場合によっては事が暗転する事もあり得る中での移送提案——それは正しくご令嬢の誇り高き精神をおもんばかった物である……何よりも騎士隊長の、幼き少女へのいたわりの精神を感じていた。

 詰まる所——聖騎士は文字通り、民を守る聖なる使徒そのものと言う事である。


「移送途中——もしもがあれば、こちらも準備があります。当主 れい 殿——早急な対応を願います。」


 程なく聖騎士の願いが速やかに実行に移され――宗家施設で最も厳重な対魔処理を施された宗家邸宅……市街地から遠ざかる方向へご令嬢を護送する事となる。

 だが——闇の深淵と言う霊災に予定調和など存在しない。

 令嬢の心の内が、強き信念で満たされ浸蝕の余地も皆無であれば——はその外……未だ復興ままならなぬ世界よりの浸蝕を開始する。


 強き支えを持つ戦う者達を避け——支えを失った弱き者へと……脆弱なる世界へと、深淵はその魔手を伸ばしていくのだ。



****



「ではアセリア嬢、この車へどうぞ。——ヴァチカン執行部隊が全力にて、付かず離れずの護衛を行いますので心配には及びません。」


「あの……。」


「はい。何かご質問でも?」


 守護宗家から回された防弾対魔処理が施されたリムジンで、私は医療施設よりも心を落ち着けられる――宗家の擁する邸宅へ護送となりました。

 リムジンの車外——赤毛が特徴的なヴァチカンの騎士様へ、ずっと気になって仕方が無い事の確認を取ろうとして呼び止めます。


「……アーエルさんはまだ……謹慎中、なのですか?」


 彼女の名を出すだけで、私の心が締め付けられます。

 取り返しの付かない暴言——……あるまじき発言をしてしまった自分を恨みながら、赤毛の騎士様の返答を待ちます。

 私の発した言葉で、天使の友達が刹那の不覚を取った事——込み入った事情を知らずとも、間違いなくそれこそが原因と直感していました。


 結果、彼女は私の護衛任務においてあるまじき失態を犯してしまったのです。


 騎士様の返答を待ちわびる私。

 そこへ自分でも気付かぬほどの、悲痛を表情に浮かべていたのか——それを汲んだ赤毛の騎士様が、努めて穏やかに返答してくれます。


「ありがとうございます、アセリア嬢。ヴァンゼッヒ——いえ、アムリエルも貴女の様に友人を大切に思う方に慕われ……さぞ心を弾ませている事でしょう。」


「何……謹慎処分と言っても、その処遇にはヴァチカン本国の意は含まれておりません。あれは我らのせめてもの思い……あの子は戦い続け、疲れきっておりました。——言わば、そのための……を与えたまで——」


 語られた赤毛の騎士様の言葉で、自分の中の責が軽くなるのを感じました。

 私が発した言葉が彼女を傷つけたり――それで嫌われたりなどはしていない事。

 何よりもその彼女がこんなにも、所属する組織に愛され——そこから導かれた事実……彼女も私と同じであったのだと言う事。

 背負う物があり——そのために戦い続ける。

 表世界と裏世界の違いはあれども、私達は支えられて初めて一人前であった事。


 そこまで思考した時、騎士様が少し眉根を寄せて耳寄せして来ました。

 縮こまる様に片手を上げ……頼みを請う様に。


「——すみません、アセリア嬢。この事はくれぐれもウチの隊長とアムリエルお嬢には内密に。……隊長からは事を無駄にひけらかして、同情を買うような真似はするなと厳命を受けているので……。」


 騎士様の妙に滑稽なリアクションで、思わず笑いがこみ上げて来ました。

 そう——今まで私が忘れていた、心からの笑みが——


「フフフ……。騎士様も苦労されていらっしゃるのですね。」


 そして赤毛の騎士様に微笑みで返された私は、とても軽やかな足取りでリムジンのドアをくぐります。

 守護宗家とヴァチカン執行部隊の至れり尽くせりの思いを、この身いっぱいに受けながら。


 走り出す重々しき——要人用にあつえられたそれの車内で、私はいつしか自分への責が霧散し……変わって強まる一つの思いがありました。


「アーエル……さん。」


 車窓の景色に目を奪われながら呟いたのは、裁きの天使である友人の名前。

 けど——たった一つ違うのは……彼女に対しての思いが、まるで侍女であるシャルージェに抱いていた様な恋慕の思いだった事。

 幼き頃から慕っていた素敵な——姉の様な侍女を、幼い私はいつもそう呼んでいたのです。


「——アーエル……お姉様……。」


 無意識であり——その時の私は自分が発した言葉に気付きませんでした。

 でも、それが当たり前の様に口から零れ落ちていたのです。


 ほど無く、市街地を駆ける高級なる移動要塞が差し掛かる国道——復興により見違えた街並みが徐々に影をひそめ、変わって視界を占拠する

 未だ魔力干渉の残る大地は復興が遅れ、ここが名だたる国家の大都心である現実を吹き飛ばします。


 けれどこの国に生きる民のたくましさは、その陰りと戦い続ける命のたけり。

 例えばこれが世界の日本以外の国々であれば、そう易々と立ち直る事も容易では無いはずです。

 しかし私の視界に映る人々は、陰りと向き合い——前を向いて歩み続けています。


 きっと断罪天使の友人が守ろうとしているのは、この素敵で——決してめげない民の安寧あんねいそのものと痛感しました。


「——……っ!?」


 もう何度目か——天使の友人が思考を支配するさなか、それを目撃してしまいます。

 紛う事なき暗き闇をばら撒き——次元の歪みより這い出るような深淵を。

 同時に襲う衝撃で身体が前につんのめり、駆ける移動要塞が急停車した事に気付くのが遅れてしまいます。


 その要塞を囲む様に、執行部隊の特殊車両が粉塵と煙を上げて急停車——中よりヴァチカンが誇る騎士隊が風になったかと思うと——


「アセリア嬢……決してそこから出てはなりません!我らが——」


 赤毛の騎士様は私の乗る要塞を庇う様に立ち、深淵の異形を睨め付けます。

 言うに及ばず私を守ろうとしてくれている——それは疑いなき事実です。

 けれど——

 要塞のドアノブに手を掛けた私は——それを開け放つと、震えるその足のまま異形の眼前へ立ち塞がっていました。


「——ア、アセリア嬢!?何を……いけません!」


 思考などする暇はありませんでした。

 私はあの様な恐怖を味わい、天使の友人はそれを穿つために舞い降りました。

 そして今——異形と反対に位置する場には、たくましく復興へと邁進する日の本の民。


 今……私の中で、大きく変化した想いが咆哮となり——たぎる意志が、自分を襲う恐怖への震えを凌駕し——


「——く……来るなら来て見なさい!私は逃げも隠れも致しません!」


 私の背後、息づくこの国の民の営みを破壊などさせないとの想いを懸けて——


「ですが——あなたがた異形の者では、この私には指一本触れるなど……触れる事など出来ません!」


 想いと共に私の中で確信めいた物が、騎士の誇りへ火を灯し——その舞い降りたるであろうそれへ全てを託します。

 天より舞い降りたる——銀嶺の断罪へ——


「もしあなたがた異形が私へ——そしてこの背に今も息づく民へ、その魔手を伸ばそう物なら……愚かなるあなたがたは断罪の業火に焼かれる事となるでしょう!」


 騎士の誇りが、今までに無いほどの猛りに包まれたその時——

 ——私はまばゆき銀嶺の翼に包まれた——

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