3話ー4 天使が化け物と呼ばれた日

「――……ふぁ……ふぁ~~。」


 まどろみが、すでに暑さを増す日差しに呼び覚まされ――眠い目を擦りながら上体を起こすアタシ。

 すでに苛立いらだちからも開放された護衛任務が待つ日常――心なしか楽しささえ浮かぶ今日この頃。

 すでに楽しさが日に日に増加する、ご令嬢との登校時間――まるで桜花おうか若菜わかなといるのと変わらない感覚に包まれる。


「……ん?あれ、まだあいつは来てないのか?いつもならこの時間には玄関に――」


 視界に映るデジタル時計はすでに朝の7:10――学園まで歩く距離にあわせて毎日そのぐらいで押しかけて来るご令嬢。

 それから身なりを整え軽い朝食――と言ってもカロリーバーを口に放り込むだけだが、そこへ「もっと、ちゃんとした物をお食べなさいな。」とお小言を貰う毎日が日常と化していたはず。


 様子がおかしい――不審に思いマンションの外に出るも、ご令嬢の姿がどこにも見当たらない。

 鈍り始めるも、不穏を感じた直感が肌を逆立たせた直後――部屋の奥で鳴り響く携帯端末。

 駆け戻り端末を耳に宛がったアタシの耳に飛び込んで来たのは――理事長先生の声。


『アーエルさん!今そちらにアセリアさんは居るの!?――もしいないのであればすぐに英国別荘へ向かいなさい!緊急事態です!』


 今まで聞いた事も無い様な、先生の切羽詰った声――それが何を意味するのか理解出来ないアタシではない。

 同時に心を支配する――狂気。

 長く忘れていた、想像を絶する膨大な狂気それがアタシの魂を突き動かす。


「アセリアっっ……!!」


 マンションから飛び出したアタシはすぐ様【銀十字エル・デ・シルバー】を発動――銀色の軽甲冑と銀嶺ぎんれいの翼がこの身を覆う。

 宙へ現出した二丁銀霊銃へありったけの狂気の祈りを篭めて、音速の壁に挑む様に飛んだ。


 向かう先は英国令嬢の滞在する別荘――思考にはすでにアセリアの事しか刻まれていない。

 過ぎる最悪の結末を振りほどく様に、ただその翼を羽ばたかせて疾駆した。



****



 英国要人を迎える別荘は、強固な人工オリハルコン製隔壁と宗家によって入念に施された退魔結界が包んでいる。

 通常の野良魔族は愚か高位に属する個体ですら、その守りを突破するのは容易ではないはずであった。

 だが――破られるはずの無い鉄壁の防御は今、脆くも崩れ落ち無残を晒す事態におちいっていた。


 恐らくは、その要人別荘に施された鉄壁の防御――宗家も予想だにしない勢力がその防御を抜いて来たのだろう。

 別荘の要人警護に配された宗家SPらが、襲い来る想定外を前にジリジリと後退を余儀なくされる。


「お嬢様……急いで下さい!さあ、こちらへ!」


「待ってっ――シャルージェ!ちょっと待って下さい!」


 ありえない緊急事態へ金に黒混じりのポニーテールを揺らす侍女が、まさに朝の登校寸前であった英国ご令嬢を安全区画へ誘導する。

 別荘には緊急の退避口が設けられており、そこより宗家のさらに厳重な軍事レベルの防衛施設へ避難する様設計されていた。

 宗家に関わる要人が、日本国家の用立てた別荘ではなく――宗家の管轄化にある施設へ滞在するのはこういった場合の備えとしてである。

 最もそれは本来訪れるべきではない事態ではあるが――


「シャルージェ……これはいったい!?――何が起きているのです!?」


 ポニーテールの侍女はすでに破壊された別荘外のSPより、事の顛末――つまる所の緊急事態を聞き及んだ直後、速やかに守るべきあるじを誘導していた。

 ゆえに突然の出来事に右往左往するご令嬢――無理もない事である。

 元来彼女は表社会を生きる者――断罪天使やその友人達のように、幾度となく野良魔族と言う脅威と切り結んだ……裏から世界を支えた者とは違う。

 持ちえる感覚が、命の危機と言う状況を理解出来ないのだ。


 対して――そのご令嬢を守護する侍女は、明らかにご令嬢の持つの感覚を持ちえている。

 即ち彼女も、世界を裏側で支えた者に属していると言う事である。


 別荘のちょうど裏手、宗家の軍事施設への直通経路が強固な隔壁と共に延びる。

 そこまで辿り着いた侍女は、ご令嬢を通路へと進め――本人はその通路をさえぎる様に立ちはだかる。


「シャルー……ジェ?」


 危機にうといご令嬢――それでも、侍女の行動の意図を読み解けぬほど愚かでは無い。

 言い様の無い不安に駆られながら、侍女の背を直視し返答を待つ。

 その視線を、僅かに振り向き一瞥いちべつするポニーテールの侍女――そこへたおやかな微笑みを浮かべて、守るべき者の不安を和らげるために優しき言葉を紡いで行く。


「アセリア様――本当にお強くなられました。ですから……私にとって貴女をお護り出来る事は、正に光栄の至り――」


「――行って下さい。私があの野良魔族共を引き付けている内に――宗家の本施設へ走るのです。決して……振り向いてはなりません!」


 あるじのため――全霊を持ちて盾となる覚悟の侍女。

 今までのご令嬢であれば、もしかすれば泣きすがり――共に行こうと喚き散らして事態を悪化させていたかもしれない。

 だが、敗北より立ち上がった騎士の少女は少しだけ――ほんの少しだけ前へと前進していた。

 自分が今までに、遭遇した事のない危機の渦中にある事――その中にあって、愛しき侍女が命を賭して自分の盾に成らんとしている事。

 騎士の誇りが――それを


 溢れそうになる涙をぐっとこらえ―― 一言だけ、思いのたけを愛しき侍女へとぶつける。


「絶対に……生きて戻りなさい!絶対ですよっ!」


 残す言葉を振り向く風に変え、宗家本施設へ伸びる直通経路を駆ける英国令嬢。

 見送る侍女はその強く成長した凛々しき主へ羨望せんぼうの眼差しを向けた後――メイド全としたエプロンとフリルスカートの下へ手を伸ばす。

 あらわになる真っ白な太腿――そこへ似つかわしくない二重のホルダーが両の脚より現われ、円卓の騎士を象徴する盾と紋章をあしらった二振りの機械筒が固定されている。


 その侍女の視界―― 一部の野良魔族がSPの防御を抜け、別荘を木の葉の様になぎ払いながら緊急通路へ迫り来る。

 すると、たおやかな視線から一転――主にも見せる事がないであろう鋭き眼光が、野良魔族を刺す様に見据え――


「残念ですが、これより先は行き止まりです。私の――あなた方では抜けられませんよ?」


 ポニーテールを揺らし、鋭き眼光を放つ侍女が太腿にあるホルダーに手を掛け――二振りの機械筒を抜き放つと……まばゆき閃光と共に集束された超振動レーザーが光量子ひかりつるぎを形成する。


 そして、鋭き咆哮と共に名乗りを上げ……まばゆつるぎが掲げられた――


「我が名はシャルージェ……シャルージェ・!ランスロット家に伝わりし、!」


 ランスロットの名を頂く御家を支えし、が疾風を纏う。

 あるじを護るために――そのつるぎの名を盾として、野良魔族へと肉薄した。



****


 

 視界の先、距離にして僅か500m――そこまで来て映った光景にアタシは絶句した。

 周囲はすでに野良魔族で溢れ、仲良くなりかけていたご令嬢がいるはずの別荘――その辺りから黒煙が立ち上る。


 ざわつく心が刃となって自分の思考を切り裂き始める。

 間違いなく今――ご令嬢になにかあったという事実に、ぎりりと全ての歯が砕ける勢いで歯噛みする。

 何より視界の先でうごめく物だ――見紛うはずも無い。

 許すまじき存在、憎むべき存在――そして、この世界より完全に撃滅すべき悪しき不逞の愚物共――


「野・良・魔・族がぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっっ!!!」


 刹那――きっと今までにない程の狂気が、猛烈な勢いで心を支配した。

 双眸そうぼうは見開き――今にも血涙を溢れさせんとする程、血走っているのが自分でも分かる程に。


 そしてアタシは――自我が狂気に塗り潰されるのを感じながら、たった500の距離を刹那に無き物とする……天駆けるイカヅチとなって飛んだ。


 宗家の建物は大よそ退避経路が設けられている――これはクサナギの小さな当主様から聞いている。

 すでに狂気に血走る思考の片隅で、僅かに残る可能性の先――それが直感的に目指す場所と感じたアタシは、銀嶺の翼で大気を孕み急激な方向転換の後……視界に飛び込む者を見定める。


 であるも追い詰められた状況と察するアタシに、脳裏の狂気が全ての魔族を撃滅せよと震え――四肢の全て、細胞の隅から隅へと狂気を伝播させる。


「アセリアーーーーーーっっ!!」


 叫びと同時に濃密なる裁きの神槍――ロンギヌスを半物質化させたアタシは、守るべき友人となるはずの少女を襲う異形目掛けて叩き付けた。



****



 魔剣を名乗る侍女シャルージェが別荘を襲撃した不逞の輩を相手取る頃――息も絶え絶えになりながらも、賢明に己が命を繋ごうと宗家軍事施設へ繋がる避難経路をひた走るご令嬢。

 突如として背後の両隔壁が爆散――衝撃に煽られた小さき体が、舞い上がると共に地面に叩きつけられる。


「あっ……っ――!?」


 駆け続けた少女は背後からの衝撃に抗う事も出来ずに、地面へ伏す形となり――そこで逃げる足が止まってしまった。

 再び立ち上がろうとも、先の勢いで片手と両足を激しく打撲し激痛で力が入らない。


 その少女へ迫る巨大なる異形――それは明らかに、今まで断罪天使を含めた魔法少女……そして守護宗家が討滅してきたモノとは一線を画す体躯。

 よりが、すでに逃げ足を断たれたご令嬢を前にうめき声を上げていた。


 正に進退窮まるご令嬢――誰もが本能的に察する死の恐怖にさいなまれる。

 表の社会に生きた少女にとって、それはあまりにも冷酷無情な非日常。

 身体の奥底より出でた震えが全身を覆い――最早言葉すらも失いかけた――


 刹那――

 眼前の異形を頭上から一撃の雷鳴が貫いた――見るとそれは、光によって構成された裁きの神槍。

 光の神槍を放った存在――絶望的な状況の最中、それは天空より舞い降りた。

 まばゆ銀嶺ぎんれいの翼に白銀の軽甲冑――纏いし体躯はご令嬢と変わらぬ背格好。


 だが――だが……だ。

 それはご令嬢が親しくなりかけた少女――断罪の少女。

 そのはずである――


「お前ら……!一体お前ら異形の存在は、今何をしたか分かっているのか!?お前達はこの世には存在しては成らぬ不逞――」


 ご令嬢の視界に映る少女モノ――少し前まで仲睦まじい日常を送っていたはずの少女が


「その不逞であるお前らは今――事もあろうか、危害を加えた……!それが許されると――まかり通ると思っているのか!!」


 罵声を浴びせ――そこから発せられる狂気で、自分の弱さを克服しようとした英国の小さき騎士は……それがどれ程に命知らずな行為かを、今更ながら見せ付けられる。

 当然である――そこに立ちはだかる天使はただの狂気ではない。

 主の裁きを代行する者――神がなのだから。


 恐怖――

 身体の全てを支配したその恐るべき感情が、ご令嬢の口から震える恐れそのものを吐き出させた。

 異形の襲来者へ向けてでは無い――神の力を代行する者狂気の少女へ向けて。

 非情なる……言葉の刃となって、それは突きつけられた――


「ひっ――ば…………!!?」

 

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