3話ー3 揺れ動く信念

 いつもの護衛任務に勤しむ断罪天使――そして、今はめっきり罵詈雑言も無くなった英国ご令嬢。

 任務の期間はまだご令嬢が滞在中であるため、延長継続の指示をヴァチカンより受けていた断罪天使――護衛初日の険悪さが尾を引いたままであれば、当に任務を放棄する……あるいはご令嬢への無礼を働いてもおかしくはない状況。


 しかし――


「ほら……これ。アタシの友達が教えてくれたんだけど――クレープってやつ。……あげるし。」


 恥ずかしさからなのか、視線はそっぽを向きながらも――買ったばかりの甘い粗品を差し出す断罪天使。

 同じくそっぽを向きながらも、視線だけはそれを見つめおずおずと手を伸ばし――


「……余計なお世話ですけど……せっかくなので頂きます……。」


 と言うご令嬢。

 本人達は未だ仲の悪さをアピールしているつもりなのだが――傍目からすれば、それはなんとも微笑ましい光景であった。


 そこは断罪天使の友人であるクサナギの小さな当主様御用達。

 災害復興後からたくましく営業を切り盛りし――とくに女子学生や女子児童からも、穴場のスポットとの呼び声が高いスイーツ露店。

 アイスやクレープに甘いソフトドリンク――それらの種類も豊富で知られる名店だ。

 だが断罪天使は未だ日本の――と言うよりは、純粋に女子文化知識にうとかった。

 たったクレープ一つを購入するだけに四苦八苦する姿は、付近でその露店の味を楽しむ女子高生にはさも可愛らしく映っているだろう。


 基本物品購入は、ヴァチカン日本支部からの定期便で事足りる断罪天使――そのため本来外食ですら珍しい彼女は、三食以外の間食に至ってはいつも友人が購入する物を頂いていた。

 それがどういう心境の変化か――自ら小銭を握り締めスイーツ露店に挑んだのだが、そもそもお金を扱う事も無いためか……パニくるあまり足元へ小銭を散乱させる始末。


「大丈夫?お姉さんが買ってあげようか?」


「もしかして留学生――あっホームステイとか?どこから来たの?」


「素敵な髪の色ね~。ちょっと私にも見せて?」


「うえっ!?あ~~その、いやアタシは――」


 露店前で慌てふためく姿が実年齢よりも幼く見えたのか――瞬く間にお姉さん女子高生の襲撃によって、もみくちゃにされた

 ゲッソリとしたまま護衛対象の元へ戻り――「何をやっているんですか……。」と、半目且つジト目をプレゼントされる醜態しゅうたいを演じ今に至る。


「全く……呆れますね。この程度の買い物で慌てふためくなんて……。」


 はむっ、とクレープを頬張り「あら、美味しい。」とご満悦のご令嬢――その随分と棘の抜けた売り言葉に――


「じゃ、あんたは出来んのか?」


 棘どころか、愛おしさすら浮かぶ言葉を返す断罪天使。

 言葉を売ったはいいが、実際自分も貴族の出生ゆえ――断罪天使と、何ら変わらぬ状況を呼びそうな醜態しゅうたいが脳裏に過ぎったご令嬢。

 耳を真っ赤に染め上げながら視線を泳がせる。


 だが二人は気付いていないであろう――ここは露店近くの広場にたたずむ、ひと目に付き易いベンチ上。

 今この時も、彼女達を遠巻きに見る露店客であろう女子高生の視線には――少女達が腰を下ろすベンチの背後、幾重にも咲き乱れたお花が映っているだろう。

 そう――本人達は気付かずとも、傍目ではすでに仲睦まじいお友達のそれとして疑い無き認識を振り撒いているのだった。


 そして最悪の印象での出会いから一転――まるであの魔族を代表する金色の王女や宗家を代表する

 彼女らと差して違わぬ程の仲睦まじさを、英国ご令嬢と振り撒く断罪天使――確かにこの時までは、何の疑いも無く穏やかな日常が行き過ぎると信じていた。

 否――断罪天使はすでに学園理事長より聞き及んでいる。

 すでに闇の深淵が再びこの国を――世界を覆い始めようとしている現実を。


 ただ、その深淵が思いよらぬほど近くから浸蝕しんしょくしている事には――未だに誰も気付いてはいなかったのだ。



****



「ただいま戻りました。あ、シャルージェ……ただいま。」


「お帰りなさいませ、お嬢様。――まあ、何か良い事でもおありになりましたか?」


 別荘のセキュリティで固められた門の前――私は護衛を依頼した断罪天使と別れ、滞在中の別荘の玄関ホール扉をくぐります。

 でも――心なしか、その足取りが重かったのは自分でも理解しています。

 今まではむしろ玄関ホールから出る方が、足取りも重かったはずなのに――何かが私の中で大きく変化しているのかも、と……考えにふけりながらの帰宅です。


 その私を見た侍女シャルージェが、彼女にしても珍しい笑顔で質問して来ます。

 黒が混じるブロンドのポニーテールは、私がよく知る昔から変わらずのトレードマーク――どんな時も傍に寄り添って支えてくれた姉の様な存在。

 けど――しきりに私の顔を覗きこみながらの質問に、流石に私も頭をひねって返答します。


「えっと……シャルージェ?私の顔に何かついてる?」


 すると姉の様な侍女シャルージェがくすくすと微笑し、持っていた手鏡を差し出して――


「いえ、お嬢様にきっと良い事があったのだと思いまして……私も嬉しくなっていた所です。」


 何を察してその様に発言するのか意図を掴みかね――差し出された手鏡を疑問符を浮かべたまま手にとって自分の顔を見据えます。

 ――えっ?クリーム?

 手鏡に映る私の顔――その頬に二三、白い物体が付着しています。

 それが生クリームと理解した瞬間、止め処も無い恥ずかしさが湧き上がり――


「――っっ!?こ、これはあの……別になんでもありませんの!ただあの断罪天使が、断りも無く勝手にクレープを購入した物ですから仕方なく――」


 完全にパニックにおちいる私――そういえばあのクレープを食した露店からこちら、断罪天使と目も合わせられずにここまで歩いた様な……そこから導かれる結論に私は顔を抑えてうずくまってしまいます。

 つまりは――クレープの生クリームを顔に付けたまま、延々街中を歩いて――


「……ほらお嬢様、早くお顔をお拭きになって下さい。それぐらいの恥は良い経験となりますから。」


 笑顔のままレースのハンカチを私へ宛がい、綺麗に頬のクリームをふき取ってくれる姉の様な侍女。

 しかしその恥は貴族の令嬢として、極めて恥ずべき不始末であると言い返そうとし――そこで、驚くほど落ち着いてしまいました。


「――私は、本当にいろんな物を抱えすぎていたのかも知れません……。」


 思わず洩らした吐露――それに驚いたのは他ならぬ侍女。

 と、うずくまったままの私をふわりと優しい風が包み――


「良いのですよ、お嬢様。それで……良いのです――世界は何も、お嬢様一人に過酷な運命を背負わせようとはしていないのですから。」


 幼き頃から事あるごとに私を包んでくれた優しい風が、再び巻き起こり――そして今まででも感じたことのない程の、深く……暖かい言葉がこの耳に囁かれます。

 そこでようやく気付きます。

 そう――今までの私は少なくとも確実に彼女……姉の様な侍女シャルージェによって支えられていた事実。

 一人で戦っていた――それが私は最初から支えられてようやく一人前であった事実。


 揺るぎない事実であり現実を、あの資金援助の会談に応じてくれた守護宗家――クサナギが誇る外交の天才に敗北して、初めて知ることが出来たのです。

 そして敗北の海から立ち上がった思考が、今の私に必要な力の本質を悟ります。

 けど私は後一押し――、口にするべき自分の言葉が見つからずにいました。


 本当にその言葉を口にしていいのか?

 今まであれだけそしり、罵倒し――尊厳を踏みにじったのです。

 それを――あの子は許してくれるだろうか?


 止め処もなく溢れる不安は、いつしか思考の袋小路へ自分をいざないます。

 【円卓の騎士会ナイツ・オブ・ラウンズ】機関を背負いながらも敗北し――

 最初から一人ですら戦えていなかった事実へ辿りつき――

 力を借りるべき者をそしり続けた事で、否定される事に怯え――


 知らず知らずに足を踏み入れていたのです――その深淵へ。

 人は闇へ誘われる間際――恐怖、不安、悲しみ、憎しみ……絶望を深く抱き、光の道から逸れ始めます。

 気付く頃には、闇の深淵――そうして逃れられなくなった人間は、命の深淵〈オロチ〉に飲み込まれると言われます。


 それから私は、自分が招いた結果から最悪の事態を引き込む事となります。

 自分の居場所にあいつを――命の深淵オロチを呼び込んでしまったのです。

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