2話ー4 幼きその背が背負う物

 断罪天使が請け負う護衛任務。

 彼女がその望まぬ任務に疲労を重ねる中――同じく護衛対象である少女も疲労が蓄積し始めていた。

 それは他でもない断罪天使との対話の数々が要因である。


我が機関ラウンズが、どこの馬の骨とも分からぬ初等部学生に多額の出資すると聞き――最初は耳を疑いました。」


 日本は宗家管轄の英国要人別荘――留学生のご令嬢のため用立てられた一室、程よい豪華さの八畳間の間取り。

 落ち着いたドレッサー前に、震えるその手を押さえながら――ご令嬢は言いようの無い疲労と戦い続けていた。

 ご令嬢である彼女―― 一度は心の片鱗を垣間見たにも関わらず、断罪天使へ悪態の数々を応酬していた。


 それは断罪天使の心を逆撫でし——その度に浴びせられる魂を砕く程の、狂気の圧力と対峙するため。

 すでに一週間以上経過した狂気の少女の護衛は、朝は彼女のマンションから——帰りはこの要人別荘前までと、常に狂気を打ち付けられる毎日。


 これが普通の女子児童なら10分を待たず、悲鳴を上げて卒倒するレベル。

 だが——彼女は耐え抜いていた。

 その忍耐力たるや、成人男性も舌を巻くほどと言っても過言ではない。

 ——それでも、並みの人間レベルの話だが。


「——でも……彼女の部屋へ訪れた時、正直目を疑いました。ヴァチカンの資金で運営され——【円卓の騎士会ナイツ・オブ・ラウンズ】機関からの資金援助も受けているはずの生活空間——」


「まるで誰もいないモデルハウス——生活していたと言う形跡すら無い部屋。私の認識に誤りがあったと痛感しました。」


 彼女——騎士のご令嬢が震える手と、声を抑えながら切々と語る。

 同じ部屋で寄り添い彼女の世話する一人の侍女——静かにその語りを受け入れていた。

 しかし侍女と思しき少女は只ならぬ気配を、優しき雰囲気で包み隠し——騎士の決意を貫こうとする少女を見守っている様であった。


「どうですか?——あれこそがヴァチカンが誇るエージェント。ヴァンゼッヒ・シュビラと言う少女です。」


 努めて優しく、自分を無能とさげすんだ騎士の少女へ言葉をかける侍女。

 服装は侍女の職務を全面に押し出す様なメイド服――大きなリボンが腰に踊り、黒を基調としたワンピース形状のドレス。

 それを覆う白いエプロンからは、ひらひらとフリルが舞う。

 白のタイツが華奢な両の足の脚線美をあらわとし、騎士の少女よりやや高い背の丈が年上を連想させた。

 英国令嬢と同様、欧州の生まれと思しき瞳は深い蒼――合わせて映える頭部後端でポニーテールに結われた御髪は、緩やかな巻きロールを描く黒が多分に混じるブロンド。


 侍女――メイドであるも、それを吹き飛ばす様な強い眼差し――確固たる意志を宿す蒼の双眸そうぼうを、自らが仕える令嬢へ向ける。


「彼女の素性はヴァチカンの機密事項ですが――少なくとも、普通の生活とは無縁であった事だけは確実です。」


「――お嬢様が、無理を押して張り合いを向ける様な相手ではありません。」


 語られた言葉は諭す様な含みを宿しながら、震える手で未だ狂気の残滓ざんしと戦い続ける小さな騎士へと届く――が、小さな騎士アセリアはその言葉を突っぱねた。


「それでも!……私には、非力な自分を高みに上らせる術がありません!だからせめて、この弱き心だけでも克服しなければ――」


 そこまで口にした主を――強き意志を宿す双眸そうぼうのまま……そっと抱きしめる侍女。

 まるで姉妹を慈しむ様に――


「お嬢様はもう―― 十分お強くなられました。【円卓の騎士会ナイツ・オブ・ラウンズ】機関は、何もあなた一人に全て背負わせようとは考えておりません。もっとご自分の人生を大切になさって下さい。」


 戦い続ける令嬢がその足で初めて立つ年頃から、侍女は知り得ていた。

 幼き由緒ある少女は事あるごとに涙を見せ、恐れ――そして逃げ出す臆病者であった。

 だが彼女を何よりも大事に育てていた、父である先代当主はそれをとがめる事をしなかった。

 それは……世界がすでに【円卓の騎士会ナイツ・オブ・ラウンズ】機関にあるべきは、アーサー家のみで十分――それ以外の家は無用である。

 即刻御家解体を遂行――保持する地位の、全てを放棄せよと投げつけられたから。

 しかしだからこそ、娘に無用の重責を背負わせずにすむと判断したから……。


 実質【観測者】である【アリス】の啓示代行を担うアーサー家は、正に英雄の家系。

 【邪神の試練】当時は失墜するも……現在は地位を取り戻した機関ではあったが、時代はすでに円卓の騎士古めかしいしきたりを過去の遺物として捉える様になっていた。

 故に他の騎士家が衰退する中——最後までアーサー家と一蓮托生の道を歩んだランスロット家当主は、苦渋の決断を下そうとしていたのだ。


 騎士の地位失墜——それはアセリアと言う、全てから逃げ続けた次期当主候補の少女へ大きな衝撃を与えた。

 そこに舞い込む機関の他家復興の話——提案したのは他でも無いアーサー家現当主。

 背景には野良魔族と言う、人類に対する新たな試練到来が関係していた。


「私は……何と非力なの。あなたに返す言葉も……用意出来ないなんて……。」


 侍女の腕に抱かれながら、少女は悔しさと共に嗚咽おえつする。

 自分に仕える者の言葉で必死に耐え続けた心が崩れ去る。

 優しき従者の思いに、自らの成果で答える事が出来ない——その事実が未だ幼きを胸を締め付けた。


 ランスロット家を——【円卓の騎士会ナイツ・オブ・ラウンズ】機関を自ら背負うと宣言した少女の心は強き権力を……或いは武力を持つ事こそが、地位を取り戻す唯一の手段と捉えているのだ。

 だがそれは、経験乏しき者がおちいる袋小路——世界と言う物は、決してそれだけが己の力を証明する手段では無い事を……幼き令嬢はまだ知り得ないのだ。


 時にはその身を粉にして、バックアップに努め——時には自らが得意とする能力で支援する。

 多種多様の力の助け合いこそが、世界に名を残す最良の道である。

 それは即ち、あの世界防衛作戦の際——地球と魔界、そして前線に立つ者と裏方となる者が手を取り合って得た勝利が物語る。

 断罪の魔法少女ヴァンゼッヒ・シュビラ——ヴァチカン最強のエージェントとうたわれた彼女もまた……後方で支えに徹したバックアップである事実を、騎士の少女はまだ知る由も無いのであった。



****



 ぎこちない日常——あれから護衛任務をこなすアタシは、変な緊張の中での疲労困憊を余儀なくされる。

 それも出会った頃の比では無いぐらいに——

 むしろ何も知らずにイケ好かないバカ令嬢を相手にしていると言う、割り切った関係の方がまだマシだったと後悔してる。


 アタシは今——あいつの置かれた環境に同情を感じ初めていた。

 けどあいつの態度は相変わらず——いや、それ所か徐々に悪化の一途たどっている。

 なのにその口走る端々に、言い様の無い悲痛が混じり始めていた。

 その違和感がアタシの疲労をも同時に加速させていたんだ。


 そんな中——ご令嬢が日本に訪れた重要案件の一つ、アタシが活動する資金的な交渉のために宗家施設を訪問する事となった。

 【三神守護宗家】が一家——アタシの学園への受け入れを橋渡しするクサナギ総本家邸が、その会談場所となる。

 言わずと知れた桜花おうかの叔父、クサナギ炎羅えんらさんが当主を務めるその家へ——当然アタシも護衛としてアセリアあいつに付き従った。


「よくおいでになられました、アセリア様。ささ、こちらへ。」


 宗家は三神の名が示す通り、〈クサナギ〉〈ヤタ〉〈ヤサカニ〉と言う三種の神器を力として各家が受け継ぐ、この日本における名門中の名門。

 伝説にもなぞらえる程の、国家を支える最後の防衛の砦だ。


 その中心的な家系であるクサナギ家は、魔を断つ剣【クサナギの剣】を継承する家柄――今現在の当主は炎羅えんらさんと桜花おうかの二人と聞いた。

 当主が表裏で二人居るのは、宗家が代々表と裏で国を支えて来た事に由来するらしいけど——アタシが桜花おうかから聞き得た情報だから、それ以上は詳しく知らないのだ。


 そのクサナギ家が擁する屋敷は、東都心から沿岸——宗家施設が集約された広大な区画の中心に広がる、和の情緒に包まれた日本家屋。

 この国を代表する日本庭園よろしく、おおよそ一般人では立ち入れない和の大豪邸——アタシはクサナギの小さな当主様と言う友人がいる関係で頻繁に出入りするが、崩壊しかけたとは言えここは日本の中心となる大都心の一角。

 なのにそこへ足を踏み入れると、全く違う世界に迷い込んだかの様な——不思議な感覚に包まれる。


 和が織り成す風景は、自然そのものが一種の結界の役割を持つと教わった。

 自然が生み出す結界は、日本を守護する八百万やおよろずの神々そのもの——不思議と主の祈りを支えに生きるアタシは、妙な共感を覚える事がある。


 ——けど、今日に限ってはその厳かさが台無しになっている。


 宗家の出迎えに案内されるアタシと貴族のご令嬢は、すこぶる乱れた不協和音を振り撒きながら客間へと通されていたから。

 今日も朝から、必要最低限の言葉しか交わしていない。

 正直居心地悪いったらありゃしない——会話が無いってこんなにも苦痛なのかと、今になって思い知る。


 そう思うと——このご令嬢も心を通わせればテセラ達の様に、普通の初等部学童の様に笑いあえるのかな?

 ——ま、今はまず無理と断言出来るけど。


 豪邸内……和の織り成す庭園が見渡せる廊下を、程なく歩いて見えた客間——アタシも訪れた事がない外来客向けの和室。

 いつものクサナギの小さな当主様と遊ぶが如く、足を踏み入れ……ようとした矢先——ご令嬢がふすまの前に突然正座でかしこまり、思わず焦ってしまう。


「失礼します。クサナギ炎羅えんら様、アセリア・ランスロット・ベリーリアです。」


「ああ、よく来てくれた……入ってくれ。」


 そのまま鈴の音を転がした様な声が、和室奥——待ち人到来を静かに迎える当主様へ届き……凛々しくも暖かい雰囲気の入室許可が返される。

 許可を頂いたご令嬢——僅かな隙間を作ったふすまに添える両の手で、静かに……そしてつつましやかにそれを開け放つ。

 うわ〜、こいつこんな所まで抜かりないご貴族様だった。

 アタシも一応小さなクサナギの当主様から教わっていたけど、めんどくさいから端折はしょってた——その和の作法を英国のご貴族様は見事に見せつけた。

 まあ、英国が誇る【円卓の騎士会ナイツ・オブ・ラウンズ】機関と【三神守護宗家】は古くからの親しき間柄。

 このご令嬢が度々訪れていても不思議じゃないが——突然過ぎて、後に続いたアタシは作法をすっ飛ばして入室してしまい「あ〜、えと……すんません。」と平謝り。


 だけど流石にその器は桜花おうかの叔父である炎羅えんらさん——「構わないよ。いらっしゃい、アーエルさん。」と、すでに六十代であるも【重なりし者フォース・レイアー】への覚醒者故の若々しき爽やか笑顔……思わずドキッ!となった。

 エルハンド様とは違う大人の魅力を持つこの当主様は、アタシも何かと世話になりっぱなしで頭が上がらない方なんだ。


 普段はまず見る事の無い来客用の室内着——涼しげな和服が、上品且つ落ち着いた色合いにより炎羅えんらさんの魅力を引き立てる。

 その前に抜かりなき作法で座したご令嬢が、まずはと唐突とも言えた訪問への謝罪を口にした。


「本日は急な訪問——申し訳ありませんでした。何分急なスケジュール変更でしたので……。」


 アタシの些細ささいな緊張を他所よそに、ご令嬢は正に貴族然としたやり取りで非礼への謝罪をつづる。

 傍目から見るご令嬢の一挙手一投足は、日本の和における完璧な作法のそれ——護衛で付き添うアタシすら感嘆させる。


 けど——その姿を見るアタシの目には、完璧で洗練された作法の裏にある影が過チラついてしかたない。

 背負う重圧の中で、ご令嬢がとてつもない無理をしている痛々しき姿として映っていたんだ。

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