愛は義務より良い教師である。Ⅶ

***


「あれ? ここはどこ?」


 真っ白の世界に立つ僕。そこはひたすら真っ白でそれ以外は何もない。


「ここは君の中だよ」


 後ろから声がして振り返る。


「あなたは……」


 灰色の髪に口元に生えた髭。このそこにいるだけで大物と分かるオーラに、気品のある高貴な佇まい。

 写真でしか見たことないけど……もしかして。


「アインシュタイン先生!?」


「先生なんてよしてくれ。君の時代では私は偉人と呼ばれているらしいが、私はただ、人より長く一つのことと付き合ってきただけなのです。しかしまぁ、名を名乗るなら、いかにも私がアルベルト・アインシュタインだよ」


 突然の大尊敬する偉人アルベルト・アインシュタインの登場に僕のテンションは激上がりする。


「ほ、本当に……本物ですか?」


「人を疑うのは悪い事ではない。それが初対面なら尚更ね。……そうだな。これで信じてくれるかな?」


そう言ったアインシュタイン先生はその立派な舌をべろーと出して見せた。


「先生の写真で一番有名な奴ぅ!!」


 生舌べろーを見れて興奮が止まらない。


「す、凄すぎる!! 大変貴重なものを拝見させて頂きました!!」


「ははは。対した事じゃないよ。舌出してるだけだからね」


「しかし、あの写真で舌を出したのにはちゃんと理由があるんですよね!?」


 それを聞いてアインシュタイン先生は、ゆっくりと人差し指を口元に当てて言った。


「その真実を語るのは『今』じゃない。待てば、いつか必ずそれが分かる時が来る」


「はい!!」


 目をキラキラと輝かして真っ直ぐに返事をする。


「いや、でもアインシュタイン先生にお会いできたし、痛い思いして死んだ甲斐がありました」


 わははとお気楽に笑いながら、僕は言った。


「君、まだ死んでないよ」


 真っ直ぐに突っ込まれた。


「えっ? だってここ天国じゃないんですか?」


「違うよ。さっきも言っただろう。ここは君の中だよ」


「僕の中、とは?」


 意味が分からず、顔を横に傾げる。


「文字通り、君の中さ。付け足すなら君の頭の中だね」


「頭の……中」


 言われてもしっくり来ず、思考が止まる。


「簡単に言えば、君は今生死の狭間にいて、その意識下に置かれているという状況だよ。生きるか死ぬかはこれからの君の選択次第さ」


 先生はしかしと続ける。


「希望ある若人を簡単に死に追いやってしまうのは、あまりにももったいない。だから私がこうして助言をしに来たという事なんだよ」


 そう言いながら、両手を後ろで組んでその場をうろちょろし出す。


「まず、問おう。君はこのまま死んでいいのかい?」


「嫌です」


 即答する。当たり前だ。生きられるならまだ生きたい。


「うん。いい返事を聞けてよかった。ここでもう死にたいと答えたなら、そこで何もかも終わっていた。生きるのは、生きる意志のある者だけだからね」


「はい」


 では話を続けようとこほんと咳払いをした。


「君が今、ここにいるのは、想い人である彼女から受けた肉体的苦痛に伴うものだ。こんな状況になって君は彼女をどう思う?」


 今の僕が毒ヶ杜さんをどう思っているか、か。


 突然迫られて、恐怖を与えられて、怪我もした。


 その元凶である毒ヶ杜さんを、僕は……


「……好き、なんだと思います」


「ふむ。何故、そう思う?」


「確かに毒ヶ杜さんには何度も迫られて、恐怖もあった。怪我もしたし、今生死の狭間にいるけど……それでも!! それ以上に彼女には僕が必要なんだと思うんです!!」


 そう、そもそも僕である必要はなかったんだ。それでも神はその役回りを僕に与えた。

 これは毒ヶ杜さんと出会った僕の。

 これは毒ヶ杜さんを好きになった僕の。

 その役を与えられた僕の、成し遂げなくちゃ行けない役目だ。


「僕は今でも、毒ヶ杜棘さんが好きです」


 真っ直ぐに先生を見て言った。


「いい顔だ少年。実に男らしい。ふん、どうやら取り越し苦労だったようだね。そこまでの腹積もりが出来ているなら、やるしかないだろ?」


 そこで先生はにぃと口を横に伸ばして言った。


「はい! 先生もおっしゃってました」


 僕はこの思いも気持ちも意志も心に決めた。


「行って来い少年。検討を祈る」


 言って先生は手をピストルの様に構えると、引き金を引いて僕に向けて放った。


 見えない弾丸に当たって後ろに倒れる。



 待ってて毒ヶ杜さん。今、行くよ。


 意識が飛んで引っ張り戻されるような感覚に陥って、先生の言葉を小さく呟いた。











「誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある。……ですよね、先生」

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