第9話 秘密の共有
それは、ある日のディベート終了後のことだった。
「宮野、今日はこの後まっすぐ帰宅か?」
放課後の第二化学室で、戸締りを済ませた嵐山透教諭が宮野瑠依に尋ねた。
同級生で同じく部員の守屋聡もいるのになぜ自分だけ名指しで訊かれているんだろう、と瑠依は不思議に思った。それでも素直に答える。
「はい、そうですけど……。何か?」
「あぁ。最近、この辺でウチの学校の女子生徒を狙った不審者が出てるという話が何回かあってな。他にも、生徒じゃないんだが……近隣住民がひったくりに遭ったという被害も出ているらしい」
「あ~、そういえば朝のホームルームでそんなこと言ってたな……。物騒ですねぇ」
「というわけで。守屋もこれから帰りなら、駅までは二人で一緒に行ってくれないか? その方がちっとは安心できるだろう」
「あ、はい。分かりました」
嵐山に頼まれて、聡は快諾した。
聡も瑠依も通学で使っている駅は同じなので、特に問題はない。
これが中学生だったら、男女が一緒に帰ることに周囲からひやかしがあるかもしれないが、さすがに高校生にもなるとそういった輩はそうそういないだろう。
聡と瑠依はそれぞれ帰り支度をすると、嵐山に別れの挨拶を告げて第二化学室を出た。
放課後の
今までにも数回、帰り道が一緒になったことはあった。今日も二人はいつもの様に雑談をしながら学校を後にした。
夕暮れで空が茜色に染まる中、住宅地の中を縫うように歩いていく。人影はちらほらあって、買い物帰りの主婦や、早めに帰路についたと思われるスーツ姿のサラリーマンが足早にすれ違ってゆく。
「帰ったら夕飯作らなきゃなぁ。今晩は一人分だし、作るの面倒だな~」
はぁ、と溜め息を吐く瑠依の発言は、まるで主婦のようだ。
一人、という単語に引っかかった聡は首を傾げた。
「一人って……。弟さんとお母さんは?」
瑠依の家族構成を以前聞いて知っていた聡は、疑問を口にした。確か、宮野家は瑠依と弟、母親の三人家族のはずである。
聡の質問に、瑠依は落ち込んだように語った。
「弟は、今日は友達の家に泊まりに行くらしくて。母さんはいつも通り仕事で、帰りが遅いの」
「そっか。それは……ちょっと寂しいね」
眉を下げた聡に、瑠依は深く頷く。
「そうなの。それに一人分だけ食事用意するのって、気分が乗らないんだよねぇ」
瑠依の言い分は、聡にもなんとなく共感できた。
聡の家は、両親と聡の三人暮らしだが親は共働きだ。仕事の都合で聡も一人で食事を摂ることがある。そんな時、一人では料理などする気にならないので、冷凍食品やコンビニ弁当で済ませてしまうのが常だった。
浮かない顔をしている瑠依に、聡は少しためらってから意を決して言葉を紡いだ。前々から気になっていたことだ。
「あのさ、宮野さん。言いたくなかったら無理に聞く気はないんだけれど……」
「ん? なに?」
「宮野さんの家って、その……お父さんは?」
今まで、聡が意識的に避けてきた話題だった。瑠依の家族構成を聞いた時から、触れてはいけないような気がしていたのだ。だが、雑談の中で聡が父親の話をすることもあったし、これから先ずっとその話題を避け続けるのは難しいとも感じていた。事情を聞いて知っておいたほうがいいのかも、と聡は迷いつつも考えていた。もちろん、瑠依が嫌がるなら聞く気は無かったが。
瑠依は、さほど気にした風もなく、聡が驚くほどあっけらかんと言った。
「あぁ、そのことか。ウチ、お父さんいないんだ。私が小学校に入る前ぐらいに、DVが原因で離婚したからさ」
「え。DVって、それ……」
「えーと、ドメスティックバイオレンス、だっけ? 要は家庭内暴力ってやつかな。私が覚えているお父さんは、いつも怒って怒鳴ってたよ」
「……」
言葉を濁すこともなく、隠すこともなく、赤裸々に過去を語った瑠依に聡は絶句した。
テレビでニュースになっていても特に気にならない、DVとか家庭内暴力という単語を、こんな身近な人から聞くなんて。
返事を返せないでいる聡に、瑠依の方が心配になってしまったようで「守屋くん? どしたの?」と怪訝な表情で尋ねてくる。聡は
「……ごめん。喋りにくいこと訊いちゃって」
聡の謝罪に、瑠依は首を横に振った。その顔に陰りはない。
「ううん、いいよ別に。事実だしさ」
この件は瑠依の中ではすでに終わったことだった。気持ちの整理はついている──というより、正直幼い頃の事なのでもう断片的にしか覚えていないのだ。
「あぁ、でも、他の人にはあんまり言わないでもらえると助かるかな。変に心配させたくないし」
「分かった。というか、もちろん。言いふらしたりなんかしないよ、約束する」
「ありがと」
瑠依が微笑む。
それからしばらく、お互い黙ったまま歩いていたが聡がふと口を開いた。
「なんか、不公平になるのは嫌だから……。僕も一つ、過去の事を話すよ」
「ん?」
「僕は昔──といっても、中学生の頃の事だけど──いじめに遭ってたんだ」
「え」
瑠依の足が止まる。数歩先で聡も足を止めて振り返った。
聡の顔はほとんど無表情だったが、瑠依にはこわばっているように見えた。
数秒の沈黙の後、「歩きながら話すよ」と聡は瑠依を促した。瑠依は頷き、二人は再び歩き出す。
「僕は、人付き合いがあんまり得意じゃなくて。でも、中学一年の頃はまだ孤立する事もなかった。でも、進級してしばらくした頃から、クラスメイト全員に無視されるようになってね。物が無くなったり、机やノートに落書きされたり……。暴力は無かったけれど。担任の教師は事なかれ主義で見て見ぬふり。卒業までの二年間は最悪だった」
「そう、だったの……」
瑠依がかろうじてそう返すと、聡は「もう終わった事だけど」と苦笑した。
「僕は、中学でのことがあったから、わざと家から遠い今の高校を選んだんだ。通学に時間がかかるから、同じ中学の生徒は誰も進学先に選ばなかったからね。まぁ、おかげで今は割と平穏な学生生活だよ」
「そっか」
「じゃ、これでお互いおあいこってことで。僕の過去の事も、内緒にしておいてね」
眉を下げて笑う聡に、瑠依もつられて苦笑いした。
「分かったわ。二人だけの秘密ね」
そうして、死にぞこない部の二人は秘密を共有したのだった。
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