第6話 春といえば(中略)屋上ですね。

「さて、皆さん。春といえば?」


 放課後の第二化学室で、今日の議論を終えて後片付けに入ろうか、という頃。宮野瑠依が人差し指を立てて、守屋聡と嵐山透教諭に問いかけた。

 皆さん、と言ってもここには瑠依以外には聡と嵐山しかいないし、いきなりの問いに二人はキョトンとしてしまう。

 それでも、聡は真面目に答えた。


「春といえば……? えっと、入学式とか進級とかかな?」

「違います!!」

「えぇー……」


 キッパリと瑠依に否定され、なんなんだ、と聡は内心ひいていた。瑠依は次のターゲットとでもいうように「先生は!?」と嵐山に話を振る。

 嵐山も瑠依のテンションに若干戸惑いつつも「あー……。クラス替え?」と答えた。


「ちっがーう!! 二人とも、何考えてこの春を過ごしているの!?」


 訳の分からないうちに、二人は瑠依に叱咤されてしまった。一体突然なんだというのだろうか。


「春といえば! ──お花見でしょう!!」


 自信満々、といった様に言い放った瑠依。だが、聡が冷静にツッコミを入れる。


「宮野さん、桜ならもう散っているけど……」

「……」


 室内が静まりかえる。

 聡が言うように四月も半ばを過ぎた現在、校庭や学校外も含めて、桜──ソメイヨシノ──は、もう完全に散っていた。すでに葉桜の状態で、あちこちで新緑の葉が綺麗に輝いている。


「──って、分かってるわよ! そんなことは! そうじゃなくて、桜以外にも春のお花があっちこっちで色々咲いているでしょう!」

「あ、うん。そうだね……?」

「だ・か・ら!!」


 瑠依はもう一度人差し指を立てる。


「来週はディベートはお休みして、お花見しましょ。この三人で」

「あぁ、そういうことか」

「花見だと? 別に構わないが……、だったら俺はいなくてもいいよな。お前ら二人で勝手にやってくれ」

「んー、そうもいかないのよね〜」


 瑠依が腕を組んで悩ましげに言った。それから、何か企てているかの様にニヤリと口角を上げる。


「嵐山先生がいないと入れない、とっておきのお花見スポットが校内にあるでしょ?」


 ね、と笑みを浮かべたままの瑠依に、聡と嵐山は顔を見合わせて怪訝な表情をした。


 翌週の放課後。


「わあ〜! ひろーい!!」


 第二化学室──ではなく、四階建て校舎の屋上に瑠依の姿があった。もちろん、聡と嵐山も一緒だ。

 屋上は普段、生徒の立ち入りが禁止されており、扉もしっかりと施錠されている。瑠依も聡もこの高校に入学して今は二年生だが、屋上に入るのは二人ともこれが初めてだった。

 テンションの上がっている瑠依は、体当たりしそうな勢いで手すりまで走り寄る。放課後ということで校庭に目を向ければ、野球部や陸上部などの運動系の部活があちらこちらで活動に勤しんでいた。

 校舎から正門へと続く道には、道に沿う様に桜が植えられている。今は見事な葉桜で、新緑がなかなかに美しい。

 キャッキャッと喜ぶ瑠依は、嬉しさのあまりダンスでも踊るんじゃないかという雰囲気だ。

 しかし、花見と称して屋上に来たものの、肝心の花は遥か地上でよく見えない。その上、瑠依はどちらかといえば地上よりも空を見上げていて、青空と白い雲のコントラストを楽しんでいる。


「……おい、宮野。お前、花見云々とか言って、本当はただここに来たかっただけだろう」


 嵐山の低い声に、瑠依が「え? えーと、あはは……」とバツが悪そうに乾いた笑い声を出した。


「あ、悠一……弟から電話だ!」


 タイミングよく鳴った着信音に、瑠依はこれ幸いとスマートフォンを耳に当てつつ昇降口の扉の向こうへ姿を消した。

 瑠依にのせられて利用された嵐山は、大きな溜め息を吐くと白衣のポケットに両手を突っ込んだ。屋上なので、春の風を防げる場所がなく肌寒い。

 屋上の床は、風雨にさらされる事もあってお世辞にも綺麗とは言いがたい。ベンチなども無くて、ただただ広い面積に、転落防止用の手すりがあるだけだ。

 そんな屋上を見渡して、手すりまで少し近寄って、聡はポツリと呟く。


「高校の屋上も、こんな感じなんですね……。手すりの位置は、ここの方が高いかな」


 瑠依のように気分を高揚させる事もなく、淡々とした様子の聡に嵐山は違和感を覚えた。


「守屋、お前……。屋上に入るの、初めてじゃないな?」


 尋ねてはいるが、答えは大方予想できた。

 聡は無言で頷く。


「この学校では初めてですけど。中学の屋上には、よく通っていました」


 ほぼ予想通りの回答に、嵐山は顔をしかめた。


「まさか、お前──には行っていないだろうな」


 嵐山の問いは抽象的だったけれど、聡にはすぐに理解できた。

 聡の背後にあるのは、無機質な金属製の手すりだけ。そして、問われている。

 手すりの向こう側へ行ったことがあるのか、と。


「ありますよ。何度も」


 誤魔化そうかとも思ったし、嘘をつく事も考えたが、聡は結局正直に話した。

 こんな変な部活の顧問を引き受けてくれた変わり者の教諭に、嘘偽りを語るのが心苦しかったのかもしれない。

 聡の答えに、嵐山はかなり驚いたようで、目を丸くさせていた。けれど、数秒後には「……そうか」と返しただけだった。


「中学の頃は、教室にいると息苦しくて。よく屋上に行っては、を越えて、でも死ぬ気にもなれないし。ちょっとブラブラ散歩して。すぐに戻ってきてましたよ」


 理由を訊かれたわけでは無かったけれど、聡は喋った。嵐山は無言で、しばらく沈黙が続いた。

 聡が未だ戻ってこない瑠依の様子を見に行こうかと考え始めた頃。

 嵐山がふっと口を開いた。


「今は?」

「え?」

「今は、いや、今も、向こう側に行きたいとは思うのか?」


 急に尋ねられて最初は理解できなかった聡だが、言葉を付け足されて分かった。

 白衣姿のこの教諭を、不安にさせてしまっただろうか。

 嵐山の顔は無表情に近かったが、瞳だけは鋭いな、と聡は感じた。ほんの少しだけ緊張したような、ピリッとした空気を和ませるように、聡は微笑んだ。


「──いいえ。僕は死にぞこないだし、今も死に場所を探しているところはあるけれど、それは今ではないです。ここでも、その手すりの向こう側でもありません。……今はまだやる事があるから、死ねないし、死なない。死にぞこない部の部員が一人いなくなったら、ディベートかつどうができないでしょ?」

「……あぁ、そうだな」


 嵐山もつられて口角が少し上がったところで、瑠依がスマートフォン片手に戻ってきた。


「思ったより長電話になっちゃった、ごめんね〜。二人でなに話してたの?」


 瑠依の疑問には聡が答えた。


「死にぞこない部で議論しなきゃいけない事は、まだまだたくさんあって尽きないなってことさ」

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