第5話 議題『クローン』

 放課後の校舎三階の片隅、第二化学室で嵐山透教諭は生徒二人を前に口を開く。


「今日の議題は、『クローン技術・クローン生物について』だ」


 議題を聞いた守屋聡は「僕が出したやつか」と納得し、対照的に宮野瑠依は「クローン生物?」と小首を傾げた。

 今日もこれからディベート部──通称、死にぞこない部──の活動である議論ディベートが始まるところなのだが、瑠依に対しては補足説明が必要だろうな、と嵐山は判断した。


「守屋。クローン生物ってあれだろ、羊の……確か、ドリーだったか。二十年ぐらい前にクローン技術で生まれた、世界初の哺乳類の」

「えぇ、そうです。羊のドリー以外にも、牛とか、マウスとか、他の動物でもクローン生物っているみたいですけど」

「へぇ〜、そうなのね」


 瑠依が興味深いといった様子で目を輝かせている。

 さらに嵐山が付け足す。


「まあ、クローン技術って、農業とか園芸では結構使われているけどな。挿し木とかもそうだし」

「えっ! 挿し木もクローン技術なんだ!? 知らなかった……。ねえ、守屋くん、先生。私、ちょっと考えたり調べ物したりする時間が欲しいな」


 瑠依の希望により三人で相談した結果、十分間の準備時間を設ける事になった。

 聡はあらかじめ調べてきていたようで、自分のノートをざっと見返して確認に時間を費やしている。瑠依の方は逆に忙しない様子で、自分のスマートフォンをしきりに操作してはノートにメモ書きを走らせていた。

 議題はいつも聡と瑠依が各自三つずつ候補を用意し、紙に書いて嵐山に提出。そこから嵐山があみだクジを作成し、計六つの候補から一つが選ばれる。二分の一の確率で相手の考えた議題になるわけだから、今日のように準備の時間を要することも度々あった。


 十分後、嵐山が二人に声を掛けた。それぞれから準備が整ったとの返事があり、嵐山はそれに頷く。そして、毎度おなじみの口上を口にした。


「では、本日の議題は『クローン技術・クローン生物について』。両派閥とも責任持って発言し、有意義な時間にするように。それではスタート」

「「よろしくお願いします」」


 対面形式に並べておいた机と椅子に着席し、軽く頭を下げる聡と瑠依。嵐山も二人を眺めやすい席に腰かけた。

 まずは聡の方がしっかりと挙手をし、発言権を得る。


「僕は、クローン技術を使ってクローン生物を生み出す事には反対です。もうすでに、いくつかの動物種でクローン生物が誕生していますが、これ以上クローン生物を生み出すのは良くないと思います」

「理由は?」


 瑠依が尋ねた。聡は自分の言葉で答えを述べる。


「本来、それは人間が手を出すべきじゃない技術だと思うからです。遺伝子的に、DNAが全く同じ生物を生み出すのは、倫理的にもやるべきではないと思います。今はまだ動物のクローン作成でとどまっていますが、近い将来、人間のクローンが作れるようになってしまったら……。とても恐ろしい事です。哺乳類で世界初のクローン生物として生まれた羊のドリーは、若くして病気にかかり安楽死させられました。非常にむごい仕打ちだと思います。生命は、できれば望まれて生まれるべきであって、それのクローン、複製を作る、という考えややり方は、僕には認められません」


 聡が淡々と自論を述べ、瑠依はふむふむと耳を傾け、途中頷いたりする場面もあった。もちろん、メモを取ることも忘れない。

 瑠依はひととおりメモを取り終えると、「はい」と挙手した。

 今度は瑠依が自分の意見を言葉にする。


「私は、クローン技術、だと思います。あってもいい技術だと思います。クローンだろうが複製だろうが、生まれたからにはその命を大切にしてあげるべきだと思うし、クローン技術があったからこそ得られるものもあります」

「……例えば?」


 聡が胡乱とした目を向けた。自分とは反対意見の瑠依に、ちょっと不満気である。

 瑠依は聡の視線など気にした風もなく、ニコッと微笑みを浮かべると一度手元のノートを確認してから顔を上げた。


「例えば、ですが。さっき嵐山先生も言っていたけれど、『挿し木』も立派なクローン技術です。そして、この国には挿し木によって全国各地に増えた植物があります。それは、桜の代表的な品種──ソメイヨシノです。ソメイヨシノが、春になると一斉に揃って花を咲かせるのはクローン生物だからです。クローン技術のおかげで、日本人は毎年お花見を楽しめています。人間のクローンは、私も怖いなと思うし、慎重になるべき技術かもしれません。でも、全てを否定することは、私にはできません」


 最初は不満そうに聞いていた聡だったが、瑠依の発言、特に後半部分には「なるほど……」と小声で呟いて納得した面もあるようだ。

 聡も瑠依も、お互いの意見に同意できる部分もあって、今回はなかなか質問や反論ができずにいた。「うーん……」「そうねえ……」と唸っていれば、珍しく嵐山が口を出してきた。

 俺個人の意見としては、と前置きして、


「守屋の言い分はよく分かるな。だが、宮野の言いたい事も分かるし、なにより──」

「ん?」

「なにより……なに?」


 嵐山はもったいぶったように、区切ってからこう言った。


「──なにより、桜が咲かなきゃ酒と花見を楽しめん。桜には毎年咲いてもらわなきゃ困る」


 ニヤリと笑う嵐山に、聡と瑠依はなんだそりゃ、と脱力し苦笑してしまった。


 死にぞこない部の三人は、今日も平和である。

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