第4話 議題『臓器移植』

「お、これは興味深いな。考えたのは宮野だろ」


 放課後の第二化学室に集まったメンバー──守屋聡、宮野瑠依、嵐山透教諭──の三人は、いつものようにディベートの準備をしていた。

 嵐山お手製のあみだクジは、今回どんな議題を選んだのだろう。

 普段、喜怒哀楽のばかり表情に表している嵐山が、珍しく楽しそうな雰囲気だ。

 名指しされた瑠依は首を傾げる。はて、そんなにこの化学教諭の興味を引くようなテーマを自分は候補に入れていただろうか。

 聡も関心があるのだろうか、「先生、発表して下さい」と嵐山を急かす。


「はいはい。今回は、『自分が臓器移植のドナーになったら』だ」

「あ、それ私が考えたやつ!」

「やっぱりな。これ、臓器の中でも何をどこまで提供するか? って意味でいいのか?」


 瑠依がコクリと頷いた。


「そうそう。一昨日ぐらいだったかな、テレビで臓器移植の再現ドラマやってて。それで思いついたの。守屋くんの意見も聞いてみたいなーって思って」


 机を対面形式に並べながら、瑠依が補足した。「臓器移植……」と聡は反芻する。

 机と椅子を運び終えると、席に着いた聡が「あの、」と遠慮がちに手を挙げた。嵐山が片眉を上げる。


「どうした?」

「五分、……いえ。三分でいいので、考える時間が欲しいです」

「ん? 珍しいな守屋。三分でいいのか?」

「はい」

「宮野もいいか?」

「オッケーです!」

「じゃあ、今から三分な。時間になったら声かけるから」

「はい」「はーい」


 嵐山は手元の腕時計に視線を落とす。

 各教室に設置されている壁掛け時計は、文字盤が見やすいのは良いのだが正確性に欠ける。時々秒針が一秒だけ戻ったり、物によっては五分ほど遅れているものもある。

 その点、嵐山の私物の腕時計は電波時計なので正確性は安心だ。チッチッチッと進む秒針を見つめる。

 聡はその間にノートにメモをとったり、スマートフォンで調べたものを書き留めたりしていた。瑠依も瑠依で、自分の意見に対する反論を予想し、それに答えられるようにとノートに回答例を綴った。

 しばし、室内に静寂が降りる。

 嵐山は少しおまけして、三分三十秒後に「時間だぞ」と顔を上げて告げた。「準備はいいか?」との問いに、聡も瑠依もしっかりと頷いたのを確認して、嵐山は口を開く。


「では、本日の議題は『自分が臓器移植のドナーになったら』。両派閥とも責任持って発言し、有意義な時間にするように。それではスタート」

「「よろしくお願いします」」


 ディベートが開始されると、瑠依が早速手を挙げて発言権を得た。


「私だったら、私がドナーになったら、──私が提供できる臓器は、全部誰かに移植してもらいたいです!」

「えっ」

「ほう……」


 明るく言い放った瑠依に、聡は素直に驚いたし、嵐山も意外だったのか目を細めて興味深そうに耳を傾けた。「……理由は?」と聡が訊けば、瑠依は微笑を浮かべてこう答えた。


「私が、仮に交通事故とかで脳死になってしまっても、私の臓器が誰かの中で生きてくれれば、どこかの患者さんの助けになれたなら……。その移植を受けた人の、家族や友達、大切な人達が喜ぶでしょう? もちろん、本人も嬉しいでしょうけれど。誰かにとっての大事な人が、私の臓器で生きてくれたら、私は嬉しい」

「なんで……。宮野さんはそんなにハッキリと言い切れるの……?」


 聡が苦い表情で瑠依を見た。心底理解できない、と言った様子だ。

 そんな聡を諭すように、瑠依は努めて理解しやすいように、と言葉を選んだ。


「私なりに、分かりやすく考えてみたの。臓器移植を待っているのが、私の弟だったら? って仮定してみた。で、私の臓器をあの子にあげられるなら? って。そしたら、割とすんなり答えが出たの。私、あの子にだったら全部あげたい。心臓も、目も、全て提供したって構わない。生体移植でも、もちろん提供する。とにかく弟が──悠一ゆういちが──生き永らえるなら、私にできることは全部やりたい。それだけ」

「……」


 瑠依の熱量に気圧され、聡は口を閉ざす。嵐山は「そういや、宮野は弟を溺愛してたな」と思い出して呟いた。

 弟を溺愛……。つまるところのブラコン、というやつか、と聡は内心納得した。

 瑠依に弟がいるという話は何回か聞いたことがあったが、ブラコンだったとは。

 ちなみに聡は一人っ子なので、弟とか妹とか、そもそも兄弟姉妹がいるという感覚がよく分からない。

 語り尽くした、と言わんばかりの瑠依の目は心なしか煌めいているようだ。聡は呆気にとられていたが、「守屋くんの意見は?」と瑠依に発言を促されてしまった。

 うぅ、なんだか今日はやたらとやりにくいぞ……。「あー、うん。えっと……」と言葉を濁す。でもなあ、これ最終的には自分の意見をちゃんと言わなきゃだし……。

 聡は観念したように長い息を吐くと、真っ直ぐ瑠依を見据えて発言する事にした。


「僕は、僕だったら。──臓器の提供はしない。ドナーには、ならない」

「え、はい? なんで!?」


 瑠依が目を丸めて驚いた。一部分くらいなら臓器提供する、と言うのだろうと思い込んでいたので、聡の発言は予想外だったのだ。

 聡は、瑠依と、嵐山にも視線を向けて、つかの間目を閉じた。ドクリ、と自分の拍動を感じてから瞼を上げる。困惑している瑠依を視界に捉えた。


「僕は、僕として生まれた以上、僕としてちゃんと死にたい。どの臓器も僕の一部だ。どれか一つでも欠けてしまうのは、僕にとっては苦痛なんだよ。死ぬ時は、完全な僕として、ちゃんと死にたい」

「……」

「でも、宮野さんの言い分も理解はできるよ。大多数の人に選ばれて支持されるとしたら、きっと君の意見の方だろうね。だから、今回は僕の負け。僕の意見は、極少数派だろうから。ね、嵐山先生」


 聡は嵐山に同意を求めた。しかし彼は腕組みしたままの状態で「うーむ」と唸って、首を縦にも横にも振らない。

 嵐山は悩ましげに言う。


「俺は、どっちの意見も有りだと思うぞ。勝ちとか負けとか、多数少数とかじゃなくてな……。人の数だけ答えが違っても不思議じゃない問題なんだよ」

「……そうですかね?」

「数学や化学の問題は答えが明確だけれど、こうゆう、それこそ道徳とか哲学的な問題には、『絶対にこれが正しい』なんて回答無いだろう」

「あぁ〜、そう言われると分かるかもー」


 瑠依が納得した様子で、うんうんと頷く。聡も、完全にとはいかないが嵐山の言葉に理解を示したようで「どっちの意見も、主張としてはおかしくないって事ですね」と腑に落ちたようだ。

 今回の議論はこれで終了かな、と嵐山が考えていると、瑠依が「ところでさぁ……」と嵐山を見やった。


「先生は臓器移植についてどう思う? する? しない?」

「は? 俺?」


 まさか自分にこの話題を振られるとは思っていなかったので、嵐山は驚いた。若干うわずった声が出てしまった。

 瑠依も聡も、嵐山の意見に興味があるようで、じーっと見つめてくる。二人とも真剣な表情だ。

 これは真面目に答えなきゃならんか……。嵐山は顎の髭を無意識に撫でながら、しばし思案した。脳裏に浮かんだのは、若くして亡くなった二人の旧友の顔だ。

「お前達とは違う視点の話になるが、」と前置きしてから嵐山は語る。


「昔、交通事故で逝っちまった知り合いが二人いてな。二人とも、ほぼ即死だったらしくて臓器提供もドナーも何もなかったんだが……。もしあいつらの一部が、今も別の誰かの中で生きていたら、俺は少しは救われていたのかもしれないな」

「……?」

「救われていたかもって、……え? よく分からないんだけど?」

「分からなくていい。分かるように話してないしな」


 揃って疑問符を浮かべる聡と瑠依。だが、嵐山はこれ以上喋る気は無いようで「じゃ、今日はこれで解散なー」と戸締りの確認に行ってしまった。


「……嵐山先生って、時々何考えているのか分からないわね」

「うん。僕もそう思う」


 聡は瑠依の発言に同意すると、窓ガラスの施錠確認をする白衣の後ろ姿をぼうっと目で追った。

 あの先生にもデリケートな過去があるのかな。

 何か抱えこんでそうなんだよなぁ、と聡はなんとなく感じていた。

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