29日目
私はどうやら、
ただの人間では、
ないらしい。
ネコメが言うには、
天使細胞というものが、
私の身体に埋め込まれているらしい。
これは、
御巣鷹山の研究所で、
軟禁されている時に、
ザクロという鳳玉の上級研究員が、
個人の判断で勝手に、
私に施術したらしい。
破壊された御巣鷹山の研究所で見つかった、
ザクロの研究日誌に、
そのことが記載されていたらしい。
天使細胞は、
貴重なものだという話だ。
下級天使は破損すると、
すぐに溶けて蒸発してしまう。
細胞は残らない。
私に埋め込まれた天使細胞は、
中級以上の天使から採取された、
貴重な天使細胞らしい。
一度体内に埋め込んだら、
二度と切り離すことはできないらしい。
天使細胞は私の身体と同化し、
最早、
私の体の一部になっているようだ。
手術によって細胞を切り離せば、
私も、
細胞も、
両方共に死滅してしまう。
それがネコメの見解だった。
そして、
この天使細胞の効果。
この天使細胞を埋め込まれた人間がどうなるか。
それは……。
詳しくは分からないらしい。
ただ、
いくつか分かっていることがある。
それは、
人の死に鈍感になるということ。
鈍感になるというより、
些細なことに思えるようになるらしい。
天使の意識が、
人の死を些細な取るに足らないことのようにさせる。
「君はこれまで何人の死体を見てきた? それを見て君が感じた感想は?」
……そうネコメに問われた。
そして気づいた。
何も感じなかった。
目の前で人が、
天使の槍で貫かれ、
血を噴出して絶命しても、
私は何も感じなかった。
人が大勢死んでいるのに、
私は何も感じない。
ただ、
小さな虫が踏み潰された程度のことにしか、
思えない。
この数週間の間に、
何人もの人間の死を見た。
私も殺されかけた。
桐島は私を庇って大怪我をした。
だが私はそのことに何を感じた?
天使細胞は、
死に対して鈍感にさせるだけではなく、
あらゆる感情を奪い去っていくらしい。
天使をバラバラにするスズを見て、
恐怖は感じた。
だがそれでも、
私はスズから逃げなかった。
それどころか、
私はスズを抱きしめた。
クジャクの話を聞いている時も、
クジャクの両親が天使に殺されたと教えられても、
クジャクの命の恩人が天使に殺されたと教えられても、
私は何も感じなかった。
天使に対する憎しみや怒り、
クジャクに対する同情、哀れみ、
それらは私の中になかった。
私はどうしてこんなに冷静でいられる?
私はどうしてこんなに冷徹なのだ?
その問いに答えるものが、
天使細胞だった。
「天使細胞は増殖する。君の身体の中で増え続け、君の身体は後1ヶ月もしたら、天使細胞に侵食されてしまうだろう」
侵食されると、
どうなる?
「君の自我はなくなり、天使と同じ行動をするようになる」
それはつまり?
「人類の敵となる、ということだ」
……。
「だが、その前にヒスイかクジャクかスズに、君を殺してもらうことになる」
そうか……。
私は、
もうすぐ死ぬのか。
だが……。
それが、
大したことに、
思えない……。
「とまあ、本来その予定だったのだが」
そう言ってネコメは、
持っていた鞄を開けて、
注射器を取り出した。
「実は、ここに来る途中で、とある聖律教会の女の子から、その貴重な天使細胞の一部をもらってね。それでまあ、昨日は到着が遅れたわけだ」
聖律教会の女の子……。
もしかして……。
「確か名前はアルセニクと言っていた」
アルセが……。
「その貴重な天使細胞を使って、天使細胞の増殖を抑える薬を作ってみた。といっても、まだまだ試作段階なんだけどな。一応の効果はあるはずだ」
……。
「この薬を撃てば、今以上に天使細胞に侵食されることはなくなる。もっとも定期的に薬を摂取する必要があるが、それは我慢しろ」
……。
「それで、君は今、どうだ? 自分の死がどうでもいいか? それとも、まだ生きたいか?」
私は……。
何かが考えるなと命じる。
私は……!
どうでもいいだろう、
そう声が聞こえた気がした。
私は!
死んだってかまわないじゃないか、
頭の片隅で声がこだまする。
まだ!
何もかも大したことじゃない、
心がそう訴えてくるようだ。
「生きていたい!」
頭の中を駆け巡る声、
心を支配する声、
その声に反抗するように、
私は必死で言葉を吐き出した。
「それでいい。それでこそ、アルセニクの行動に意味があるというものだ」
ネコメはそう言って、
私の腕に注射をした。
身体が熱くなった。
「しばらく休んでいろ」
ネコメにそう言われたので、
私は自室に戻って休んだ。
そして、
どうやらそのまま寝てしまったようだ。
夜。
涼しい風が頬を撫で、
その風に私は起こされた。
そして窓を見る。
窓は開いていて、
窓辺には、
アルセが立っていた。
私はアルセに礼を言った。
「私は何もしていません。それより、アナタが生きることを選んでくれて、本当によかったです」
アルセは胸に手を当てて、
真面目な顔でそう言った。
そしてアルセは微笑み、
「ではまた会いましょう」
そう言って、
投げキッスをして、
窓から外に消えた。
私はしばらく、
夜風に当たりながら、
余韻に浸っていた。
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