第3話 羨望もしくは劣等感

 僕は昔から、自分以外の誰かになりたかった。人に誇れる、目に見える才能を持った誰かになりたかった。

 僕には一人の兄がいた。中学の頃には模試で全国一位になるほどの頭脳をもち、運動神経も人並み以上の兄であった。僕はいつもそんな兄の背中を追い続けていた。同じ中学高校に進学し、試験のたびに比較されてきた。家族も教師も常に僕を比較し、僕は常に兄の二番煎じであった。「兄にできるなら僕にもできる」決まり文句のように僕の前に立ちはだかった。どれだけ頑張っても、越えられないものがこの世界には存在していることを、いやというほど気づかされた。僕は兄がうらやましかった。


 僕が自分の無才能を思い知らされるのには十分だった。


 大学に入って、一番変わったことは、兄と比較されることがなくなったことだ。兄のことを知らない人たちに囲まれ、僕自身を評価されるようになった。比較でしか評価されてこなかった僕には、単体での評価を手放しで受け取ることができなかった。常に、僕自身が周囲と比較し、相対的な評価を下していた。幸か不幸か、僕の学部は、期末試験の結果を順位により発表した。勉強は、良い順位をとるための作業だった。勉強が好きなわけじゃない。唯一、才能ではなく、努力でどうにかなる分野が勉強だった。学部生までは、努力した分だけ順位という結果が見えた。僕は、人より勉強ができることで、自分の存在意義を見出していた。


 うつになる過程で僕を苦しめたのは、この努力だった。正しくは努力ができなくなった僕だった。研究室配属当初より、今の分野の学習には一抹の不安を抱えていた。しかし、持ち前の努力で何とかなると安易に考えていた。しかし、回数を重ねても知識は身につかなかった。いつの間にか専門分野の学習に手がつかなくなっていた。目の前に山積みになるほど課題が課せられているのに、一向にやる気が湧いてこない。それどころか、白昼夢を見るように、僕の思考はあらぬ方向に飛ぶようになっていった。集中しようとすればするほど、些細なきっかけで思考はどこかに逸れていってしまうようになった。当然同期との学力の差は開いていく一方だった。


 勉強ができないのなら、そのほかのところで、周りよりも秀でたところを見せなければと思った。研究活動に全力を注ぐことで、学習に対する劣等感をごまかそうとした。夜遅くまで研究活動を行い、家には寝るためだけに帰った。ガス欠になるまで長くはかからなかった。


 


 


 


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