エディプスの箱舟

 東京には空がない。空恐ろしいことである。

 その代わり塵芥、もとい、人海がある。まあ同じようなものだが。

 今しも銀座原宿六本木の人波を掻き分けて、巨大な帆船が最高裁判所へと突き進んでいた。

 被告として出頭するためである。

 ある平和団体が反戦を訴えるつもりで、間違って帆船を訴えてしまったのだ。

 (ここで読者に一言断っておかなければならない。この作品に箱舟は出てこない。では何故こんなタイトルにしたのかというと、『エディプスの帆船』より『エディプスの箱舟』というタイトルのほうが、なんとなく格好いいから、というだけの理由に過ぎない。したがって、「箱舟を運ぶね」などという下らない駄洒落も、この後使う機会がないので今ここに書いておく。)

 それにしてもいきなり最高裁判所というのは可笑しいのではないか、モノには順序というものが、などと、トリビアルなことに拘る御仁も居られようが、何卒ご寛恕賜りたく御座候。

 帆船は人々を跳ね飛ばし、圧し潰し、グチャグチャに擂り潰して、ひたすら進む。

 真っ赤な航跡が後に残される。血の海に散乱する人体各器官。


 そして帆船の甲板では、もうひとつの修羅場が演じられようとしていた。

「息子よ、おまえに話がある」

 黒い着物を着た侍が、全裸の美少年に向かって、重々しい声音で語り掛けた。

「父上、何でございましょう」

「おまえ、母と交わったであろう」

「それが何か」美少年は怪訝な表情を浮かべた。

「具合はどうであった」

「最高でございました。とても経産婦とは思えぬ締り具合で、あっ、という間に果ててしまいました」

「さもありなん。大事に使ってきたからな。しかし、息子と穴兄弟になるとはなあ」

 彼らが会話している間に、帆船は神宮の森を縦断し、皇居を破壊し、東京タワーの横を通り過ぎた。

 最高裁判所はまだまだ遠い。

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