002 クゥシと担当医
3人のじゃれ合いの中、廊下から慌ただしい足音が響いた。その慌ただしさは扉にまで伝わったのか、扉は勢いよく開いた。
「クゥシさん!」
そう叫んだのは、白衣を纏った一人の医師だった。その医師の特徴を一言で表すなら誰もが言うだろう。ハゲと。スキンヘッドと。とにかく、長年の渓流で磨かれた丸石のように、つるっつるなのだ。
「呼ばれましたよ。あなたのお名前」
そうノーラが僕に囁いたようだ。
「僕の名前―—クゥシ」
もちろん、知らない単語。初耳である。
名前だけで思いだせれば楽なものである。
「さて」
医師は手元の資料を見つめる。
「はい先生。こっちの資料も」
リーが医師に手に抱えていた数枚の資料を渡す。
「どうも。後は私に任せて、2人はその――あれを何とかしといてくれ」
医師が目線を向けた先は入ってきた扉で、僕らの光景を複数人が見つめていた。
「分かりました。ほらノーラ行くわよ」
「えー……りょーうかい」
渋々なノーラを引っ張るように、リーとノーラは部屋を後にする。2人が上手くやったのか、少しざわついていた廊下は見事静かに
「さてと」
医師は近くの棚に資料を置き、僕の顔をじっと見つめる。すると医師は両手で頭を抱えて、僕に頭皮を見せる様にお辞儀をした。
「改めまして、担当医のハゲです!」
「フフォッ」
予期せぬ行動と申告に変な笑いが込み上げ、口から飛び出して来た。
「冗談ですよ。ハゲはあだ名で本名はハドゲンです」
「そうですよね」
『ハゲ』と『ハドゲン』。近しい本名に、不服にも再び笑いそうになる。
僕の反応を見てか、ハドゲンは少し寂しげな表情を浮かべ、それを紛らわすかのように再び資料を手に持った。
「その感じだと、本当に何も覚えてないみたいですね」
「……何がですか?」
「私達、過去に会った事があるんですよ。それもここの病院で」
「そう……なんですか」
こんな印象的な人まで忘れてしまってるのか。そう思うと少し寂しく感じてしまう。それはきっとハドゲンも同じなのだろう。
「でもあれですよ。私にハゲってあだ名付けたの貴方ですよ」
「え⁉なんかごめんなさい」
過去の自分は一体何を考えているんだ……。
ハドゲンは僕の反応を見てなぜか笑っていた。
「どうしたんですか?」
「いや、ね。まさか君から謝罪の言葉を聞くことになるなんてと思ってね。まあ謝られるどころか、私は逆にお礼を言わなきゃと思ってるぐらいなんだけども」
「それまたどうして?」
僕が聞くと、ハドゲンはなお楽しそうに笑う。
「私のスキンヘッドは、他人に怖がられる弊害でしかなかったんだよ。君が来るまではね。君がこの病院に極秘の新薬の開発で来た時、私の頭をハゲだのライトだの仏様だのと物凄く
「そこまで語られると何だか恥ずかしいですね。でも、それ程の事なのに共有できないってのも悲しいですね」
何とも言えない感情が押し寄せてくる。
家族に自分だけを置いて行かれて出かけられたような、集合時間に遅れて一人現地に向かう研修旅行のような……きっと寂しさの一部なのだろう。
「そうですね。私もクゥシさんの記憶が取り戻せるよう、全力を尽くすつもりです」
それは心強いハドゲンの言葉。寂しさなんて簡単に消し去ってくれる気がした。
「……そういえば、極秘の新薬の研究に僕が?」
僕の聞き間違いでなければ、ハドゲンはそう言った。極秘も新薬も研究も、僕の記憶にはないし、僕の記憶にとって重要なワードなのも分かる。
「そうですよ。昨年の冬初めでしたね」
それはそう遠くない過去のようだ。僕は薬剤師か何かだろうか?
「僕って何をしていたんですか?」
「ええっと、帝国兵で魔法兵団第一の――」
そうハドゲンが口にし始めた時だった。病院のアナウンスが鳴り響く。
「ハドゲン先生、帝国からお客様です。至急、医務室にお戻りください」
「おおっと……思ったよりも早いな」
ハドゲンは慌てて資料を手に持ち、僕を申し訳なさそうに見つめる。
「すまないな。まあ詳しい話は次来るだろう来客に聞くといい。今放送にあった、君と同じ帝国兵の人だ」
「……分かりました」
全然理解してないけど、とりあえず返事をした。
ハゲ先生は微笑み、病室を後にしようとする。その終わり際で足を止めた。
「あとクゥシ君。君の右足は骨は繋いであるけど、まだ粉々の状態だから絶対に動かさないように。後に痛むから」
「分かりました」
ハドゲンは病室を後にして、来た時同様に慌てた足音を響かせ去っていった。
「……帝国兵、ね。聞けばわかるか――」
聞き覚えのない事だらけで、頭の中が整理しきれない。そんな頭を負担を和らげようと、僕は無意識に病室の窓から見える森の風景をただただ眺めるのだった。
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