今際
三堂香菜代が「元の世界」で目を覚ます前。
阿桑田ユリカは安らかな輝きを瞼の中で認め、その温もりに口角を上げていた。
恐らく彼女は、娘と過ごした日々を思い出しているに違い無い。
自分を心から愛してくれた人間――
乳房から母乳を飲んでいた娘が大きくなり、ぎこちない手付きでスプーンを使う様子を。
喃語を繰り返し、一丁前に種々の要求をし始めた事を。
転居に次ぐ転居という落ち着かない生活の中で、奇跡のように「健やかな」成長を見せてくれた事を。
いつでも影を感じさせた夫でも、娘が話し掛ければ「純粋に」嬉しそうだった事を。
この子の為なら死んでも構わない――そう思わせてくれた事を。
産みの親も育ての親も信じられず、求め続けた男からも愛されない。適当な慰みと周到な嘘だけを拠り所とした彼女にとって、娘だけは「真」の愛であった。
偽る事を止めた女は夕日に照らされ、静かに果てていくだけである。
しかし、不思議と後悔は無かった。
何故なら……最期に「一人の母」として、阿桑田ユリカは今、静かに生涯を終えたからである。
阿桑田ユリカは幸せだった。
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