決戦弾

第1話

 あぁ、あの子ですか。そうですねぇ……余りこういう事を言ってはいけないのですが、どうにも記憶に無くて……。クラスメイトとの関係も良くなかったようですし、第一……殆ど口を開かないのです。ご両親もそれを悩まれていて……。


                     ――滝岡舜二郎(小学校教員)――




 一〇分間経ち、自分が戻って来なかった場合。すぐにキユリを連れて逃げろ。


 毎日……孝行はこう言ってキユリの頭を撫で、「苦労を掛けるな」と溜息を吐いた。


 日々を「執行者」に追われる孝行とユリカの間で交わした取り決めを、未だ実行した試しは無い。無い事が好まれ、無論孝行も隠れ家で待つ妻子の笑顔を見る為なら、どのような行為も赦されると思っていた。


 隠れ家に迫る害敵が現れた際、迎撃するのは孝行の仕事である。夫婦で連携するのが一番の安全策ではあったが、余りに幼い娘を放って置く訳にはいかず、また「害敵の駆除」は男の本分である――そう孝行は結論し、果たして単独での迎撃を引き受けたのだ。


 歩き慣れた獣道を行く孝行。なるべく枝を踏まぬよう、全神経を足下に集中させる彼は今、「執行者」として活動していた頃と遜色の無いコンディションを保っている。




 何処だ。何処に隠れている……。




 顔は前を向いたまま、目線だけが右へ左へと忙しなく動いていた。この山に隠れ住んで二週間程が経つ、襲って来た執行者は二人いた。二人共が伸びた草地に身を隠し、剥き出しの殺意を放ちながら――孝行を奇襲したのである。


 孝行にとっては、奇襲など「予想の範疇」を超えていない。むしろ隠れやすいように草地を残し、「ここに隠れてくれ」と二重の罠を仕掛けていたからだ。愚かな二人の執行者は彼の罠に嵌まり、両名とも首を綺麗に切断された。


 一〇メートル先にがある。孝行はチラリとその方を見やる。どうやら「外れ」のようだった。通り越し、次の草地を一瞥する。やはり誰もいなかった。


 今度、草地の場所を変えるか……そう考えた矢先、孝行は微かに香る「懐かしい」匂いを感じた。で普及しているコンディショナーの香りだった。




 女か。




 しかしながら……孝行は油断せず、狩猟刀を静かに展開すると、自身を中心に四方を警戒する。


 葉が擦れる音がした。木の枝から小鳥が飛び立った為だ。孝行は小鳥の姿を探さない、一瞬の隙を見せたが最後、「自分に殺された転生者」を何人も見て来たからだった。


 歩き、歩き――やがて孝行は索敵用の蔦を這わせている木を認めた。


 すぐに彼は歩みを止めた。


 黒い外套を着込む女――執行者らしき者――が、転石に腰を掛けて果実を食べていた為である。女は背後に聞こえた孝行の歩行音を聞き取ったらしく、「ありゃ?」と暢気な様子で振り返った。


「す、すいません。今食べ終えたところで……」


 女が口端に着いた果汁を拭う間、孝行は彼女の全身をくまなく見渡した。腰部の膨らみ、背中から飛び出る武器類は認められなかった。


「待っていてくれたんですか」


 孝行は動じず、答えた。


「罠かもしれんからな」


 キョトンとした表情で瞬きする女は、「なるほどなぁ」と頷き……。


「流石はですね」と感心するように言った。


「蛇の道は蛇、とは言いますが……さん、疑ってばかりの人生は辛いでしょう」


 いいや、とかぶりを振る孝行。


「その生き方の方が――性に合っている」


 孝行は狩猟刀の切っ先を女に向け、「選んでくれ」と微笑んだ。


「引き返すか、死ぬか。あんたに選んで欲しい」


 腰を上げた女は、呆れたように返した。


「どっちを選んでも、どうせ殺すのに」


 間合いを詰めつつ……孝行は頷いた。


「そこまで頭が回るなら、どうして俺達を狙う? ハッキリ言うが、手段は選ばんぞ、俺は?」


 女は外套を脱ぎ捨てた。白いニットと赤いスカートが森に映えた。


「それで抵抗するつもりか」


「いいえ。多分……野口さんは見た事が無いと思います。私の武装は、例えば刀とか、槍とかじゃないんです」


 両者の間合いが五メートル程まで近付いた時――孝行は俄に眉をひそめた。


 女の白い肌が輝き始め、次第に光を放つ。光はそのまま彼女の全身を覆っていく。


 羽化――孝行は頭の片隅で思った。


「私の名前は三堂果奈代……改めまして、野口孝行さん。貴方と、貴方の奥さんの命、頂きに参りました」


 一瞬、強い閃光が女――香菜代の身体から放たれた。孝行は目を細めその様子を刮目していたが……。


 ほんの少し、香菜代を狙う狩猟刀が下がった。


 眩い光が晴れた。そこにいたのは「外出」をするような軽装では無く――。




 見る者にを感じさせるような、漆黒の鎧を身に纏う香菜代が立っていた。




「執行、開始――」


 くぐもった香菜代の声が、悍ましい頭部装甲の中から響いた。

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