第4話

 間違いは無い。私の行いは全て正しい、と全力で信じ込める者は、長い歴史の一葉に見付からない。見付からない事にしたのだ。


                      ――ワンファレオ(史学者)――




 再びユリカが斡旋所に出向き、「ゾーマン軽食店」への紹介状を取得したのは翌日であった。思い立ったが吉日、と彼女は孝行に留守番を頼み、国内西方に走るネリィーファ通りを歩いて行く。


「……懐かしい感じね」


 元の世界で暮らしていた頃、三日に一度は利用した商店街を彼女は思い出した。そう言えば、馴染みの惣菜屋はどうしているだろうか……大好きだった肉豆腐の味を懐かしみ、「営業中」と木板を提げたドアを叩いた。看板のゾーマンという文字がやや剥げていた。


「はい、はいはいはい……」


 億劫そうな男の声が聞こえる。足音が近付き、ドアの向こうから声の主――ゾーマン本人らしかった――が現れた。


「はい、いらっしゃい……おや」


 ユリカと対峙した瞬間、ゾーマンは「初めてのお客さんかな」と、彼女の頭から足下まで見回した。


「ウチはそんな高尚な場所じゃないよ。好きに入ったら良い」


 読み掛けていた本があるらしく、ゾーマンは「代金はそこに置いて。商品は袋に入れて持って帰りな」と、急いた様子で店の奥へと引っ込もうとした。


 商売人らしからぬ彼の足を止めたのは、ユリカの一言であった。


「私、斡旋所の紹介を受けて参りました」


 ゆっくりとゾーマンは振り返った。疑念を晴らせない、眼前のユリカが幻に思えているらしかった。


「……斡旋所? 本当に?」


「はい。と申します、この通り……紹介状も頂いております」


 数秒の間を置き――ゾーマンは店の奥に向かって叫んだ。


「ロウム、ロウム! 大変だ、おーい!」




「えーっと、ユイリさんだったわよね? ごめんなさいね、この人、面接するの初めてで……」


 ゾーマンの妻、ロウムは呆れたように隣で硬直する夫を見やった。面接を受けに来たユリカよりも彼の方が緊張しており、「面接官になった貴方へ」という本を開くと、人差し指で最初の質問を選んでいる。


「あ、あーっと……『質問はありますか』」


「ちょっとあんた、それ最後に聞く事でしょうが!」


「待て、待て! えーっと……えーっと……『どうして前の勤め先を辞めたのですか』」


「もう! 貸しなさい、それ!」


 ロウムは狼狽える夫から本を取り上げると、何処かへと放り投げた。寂しげな音を立てて滑る本を、ゾーマンはボンヤリと見つめるだけだった。


「ごめんなさい、本当に……」


「いえいえ、家庭的で、凄く素敵です……改めて自己紹介、致しますね」


 ユリカは微笑みを絶やさず、偽名と住所、簡単な志望動機を流暢に語った。何か書き留めようとゾーマンは紙を探している間、ロウムが代理の面接官を務めた。


「ありがとう、ユイリさん。最近クーノスへ引っ越した方がいるって聞いていたけど、だったのね。どう? クーノスは雪が多くて大変だけど……」


「はい、以前私達が暮らしていた地域も雪がよく振りましたから……それに雪は嫌いじゃありません。むしろ好きなんです、私もも」


 ユリカの返答に気を良くしたのか、ロウムは商品棚から焼き菓子を取り、ユリカの前に差し出した。


「食べてくださいな。当店自慢のお菓子よ」


 勧められるままに一口齧り、ユリカは笑みを溢して「美味しいです」と答えた。その感想に食い付くように、ゾーマンは「じゃ、じゃあ」と更に問うた。


「ここで働いてくれるって事かい?」


 即座にロウムが「黙っていなさい」と彼を制す。しかし彼女も夫と同じ事を問いたいらしく、「あの……」と申し訳無さそうに口を開いた。


「私もね、ユイリさんには是非とも来て欲しいんだけど……何分、沢山お給料も出せないし、貴女のように若い方には、つまらない仕事ばかりなの」


 ロウム曰く、夫婦にはユリカと同年代の娘がおり、「つまらない仕事だ」と店を継がず、異国の地へと出て行ったらしかった。この経験が夫婦を疑心暗鬼にさせてしまい、ユリカを雇いたい意欲と同時に……罪悪感を覚えていた。


「全く、あの馬鹿娘ときたら……今頃何処で何をやっているのか」


 ゾーマンは腕を組み、怒りを露わにしたが――娘の事が心配で仕方無いらしく。溜息と共に項垂れてしまった。


「ちょっとあんた……まぁ良いわ。それでね、ユイリさん。遠慮無く答えて頂戴。私達、二人だけの仕事に慣れているから――」


 ユリカはコホンと咳払いし、「では」と居住まいを正した。ビクリと肩を震わせるゾーマン夫婦は、恐ろしいものでも見るかのように、ユリカの口元を見据える。


「明日から、働かせて頂けますか?」


「えっ」と声を揃える夫婦。数瞬置き……ゾーマンは立ち上がると、店の奥へと駆け込み、新しいエプロンを携え戻って来た。


「嘘じゃないな、本当だな、もう駄目だぞユイリさん、ほら渡すぞ……受け取ってくれたぞロウム!」


 万歳をして喜ぶゾーマン。薄い髪の彼は――まさしくユリカを、いなくなった娘と重ねているのだった。

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