第5話

 私は笑顔と共に生きて来た。平和主義者という訳でも、不可思議な病気を患っている訳でも無い。敵を作らない為には、これが一番だからである。


                 ――テンダローネ・プルディ(外交官)――




 かくしてユリカと孝行はクーノスにて「社会人」という地位を得た。ユリカはゾーマン軽食店の店員として、一方の孝行は刀剣の技術を買われ、大規模市場の警備兵兼雑務係として――を完了したのである。


 クーノスでは全ての業種で七日毎に給料が支払われ、今日は二人にとって初めての「給料日」だった。以前は「依頼を遂行した時」だけ給金を貰える、という刹那的な支払い形態に身を置いていたユリカ達は、決まった日に金を得られる仕組みが実に新鮮だった。


「孝行、準備出来ましたよ」


「……あぁ、もうそんな時間か」


 大量の荷運びにより疲労を溜めていた孝行は、暖炉の前でうつらうつらと船を漕いでいた。ユリカの呼び掛けに立ち上がり、豪勢な料理が並ぶ食卓へと着いた。まだ新しい絨毯は、しかし暖炉から飛び出る煤によって、微かに汚れが見えた。


「今日はゾーマンさんに食材を貰えたんです、ロウムさんからはレシピを……これがクーノス牛の煮込みです、クネイザーって言うんですって」


「へぇ……角煮のような感じだな、美味そうだ」


 手早く準備を終え……ユリカは二人分の酒を注ぐと、コップを取り、種々の料理を跨ぐようにを待った。孝行もそれに倣い――無愛想ながらもカチリと打ち鳴らす。


「さぁ、召し上がれ」


 食事をする際、ユリカは必ず孝行が一口目を食べてから、自身も料理に手を付けた。彼女なりの心遣いであり、また孝行に対する無口な愛情表現であった。その事実を知る由も無く、孝行はクネイザーという牛肉の煮込みに「箸」を伸ばす。二人分の箸は孝行自作のものだった。


「うん、うん……あぁ、美味いなこれ」


 驚きつつも箸が再度伸びる孝行。彼が口を動かす間、ユリカはウットリとした目で動き回る箸を見つめていた。


「今日はお疲れ様。沢山木箱を運んで、とても疲れたでしょう? お肉、全部食べちゃって良いですからね」


「流石にな。今度骨董市か何かをやるらしくて、妙に重たい箱ばかりだった。いや、お前も食えよ。作った本人が食わなきゃおかしいだろう」


「良いんです。孝行に食べて貰えるなら、それだけでお腹一杯ですよ」


 孝行は肉を箸で裂き、大きな塊をユリカの取り皿に置いた。


「食えよ、美味いから。それに……お前だって疲れているだろう。ちゃんと食え」


 ユリカは酒を一口飲み、クスクスと笑った。


「……何が可笑しい」


「いえ……唯、だなぁって」


「初めて?」


 えぇ――目を閉じ、ユリカは安らいだ表情で言った。


「孝行が初めて、私を心配してくれたから」


 気まずそうに孝行は肉を頬張り、酒で一気に流し込んだ。


「別に……料理を作る奴がいなければ困るから――」


 途端に孝行は顔を上げ、「すまん」と謝罪した。その様子を認め……ユリカは胸の奥が縛られるような、激しい愛しさを覚え――。


「私、怒りましたよ?」


 冗談めいた声色で返した。しかしながら孝行は「……すまん」と真に受けた様子で、箸をピタリと止めてしまう。


 ユリカは――泣き出したくなるような「幸福」を味わいつつ、孝行に救いの手を差し伸べる。


「じゃあ……お願いが一つ」


 悪戯っぽく笑い、落ち込む孝行の鼻を突いた。


「私、今日の午後に通りを歩いていたら、可愛い服が沢山並んでいるお店がありまして……」


 後は、分かりますね?


 彼女の問いに、孝行はぎこちなく頷いた。


「明日な」




 日を追う毎に……孝行はユリカと暮らす非日常に慣れ、遂には「日常」へと昇華させてしまった。かつて愛した妻を、卑劣な手段で葬った女に彼は毒されていた。


 ユリカという毒が持つ、強烈な甘味は……孝行を着実と冒し、そして――。


 垂れた耳の、あの柔らかな感触を……ゆっくりと溶かしていくのだった。 

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