第6話

 レガルディアの説明通り、「村があったらしい」広地には、経年劣化によって朽ちた家の残骸が見受けられ、時折農作業か何かに使用する鎌のようなものが、木の枝と変わり無い様子で落ちていた。


「さぁ、こっちだ」


 未だ全快しないユリカに歩調を合わせ、レガルディアは森の奥深くへと分け入って行く。道中、転んでしまったユリカを背負い、更にレガルディアは進み……。


 果たして湖畔へと到着した。鳥の囀りの合間に風が吹き、さざめく湖面がユリカの目を眩ませた。


「はい、ご苦労さん」


 レガルディアは一本の細い木の横でユリカを下ろし、苔むした岩を撫でた。


「……お墓、ですか」


「そうさ、お墓だ。小さくて粗末だけど……それでも一組の夫婦が眠っている」


 ユリカは辺りを見渡し、似たような墓石が一つも無い事に気付いた。


「他の方は?」


 かぶりを振ったレガルディアは、細い木を這っている芋虫を指で弾き飛ばした。


「いないよ、というか……骨が無いんだ」


「……感染病の為に、別の場所に埋めているとか?」


「違う違う。文字通り、骨が無いんだよ。……話したろう、この村はね、一人の青年を除いて、皆が砂のようになって死んだんだ」


 遠い過去を懐かしむように、レガルディアは揺れる湖面を見つめていた。


「ずっとずっと昔……この辺りはサフォニアっていう国の一部だった。サフォニアはね、五人の魔女が創ったのさ。魔女は人々の住みやすい土地を与え、人間を繁栄させ……そして……魔力を奪ったんだ。どうやら五人の魔女は魔力が年月と共に減退するらしくてね、補給の為に人間を育てたんだ」


「……家畜のようですね」


 正解、とレガルディアは笑った。


「家畜だよ。……だからトラデオの人間は、魔女に『食べ』られたのさ。でもね、それに異を唱える魔女が一人いたんだ。……その魔女は不思議な女だったなぁ」


「お会いした事が?」


「あるよ。その時、私は別の町に住んでいたんだけどさ、フラリと同い年――見た目はね――ぐらいの、トラデオ生まれの青年を連れて、私の店にやって来たんだ。私は波動が読めるからね、すぐに二人の間で『相違』があったのを見抜いたんだ」


 吹き渡る風に髪を抑え、ユリカは続きを待った。


「どうやら、彼女は青年を使って他の魔女を殺そうとしていた。『私は他の魔女と違う、人間の味方です』なんて言ったんだろうさ。一方の青年は村を魔女に襲われたから、やっぱり魔女を殺そうとしている。一見は利害の一致があったんだけど……」


 その魔女は、自分の私欲の為に青年を誑かしたんだ――レガルディアは寂しげな目で言った。


「私欲……」


「そうだ、私欲さ。彼女はどうやら……あんたと同じく『母親』になりたかったらしい」


「母親?」


「何て言えば良いのかな……私もしっかりと心を読んだ訳じゃないけど、彼女は何かを護れるような、母性を求めていたんだと思う」


 母性――ユリカは声に出さず、心中で反芻した。


「正直、彼女は魔術的素養も大して無かったし、仮に私と戦えばお話にもならないだろう。要するに、魔力が足りないんだ。魔力が足りなければ他の魔女に対抗出来ない、だったら邪魔な奴らを殺して、自分一人になれば……サフォニアを護る魔女は彼女だけ、めでたく『護国の魔女』へと昇華出来るって事さ。荒唐無稽な計画だよ、本当に」


「でも、その方も魔力が減って困るのでは?」


「そう、その通りだ。多分……そこまで考えていなかったか、もしくは魔力の消費が四人と比べて大分低いか、まぁ前者だったらお粗末だよねぇ」


 ケラケラと笑ったレガルディアは、「だけど」と嬉しげに空を見上げた。


「最期は格好良かったらしいよ」


 ユリカは小首を傾げた。


「サフォニアを攻めて来た国があってね、まぁそこは大分前に滅んだけど、それでも当時のサフォニアにとっては未曾有の危機だった。押し寄せる兵隊を、その魔女は『結界』によって、国境の外まで弾き出したんだって」


「……仮にそのような事が出来たとして、膨大な魔力が必要なのでは?」


「それは分からない、もしかしたら、私にも読み取れない何かを隠していたのかもね。とにかく、その魔女は魔力を使い果たして死んじゃったんだ。他の四人も、青年に殺されたか、戦って死んだか……全部は分からない」


 そもそも……と、ユリカは申し訳無さそうに問うた。


「どなたから、このお話を?」


眠っている人間からだよ」


 レガルディアは岩を指差し、微笑んだ。


「お婆ちゃんが死んだ後、各地を転々と放浪していたんだけどね? 旅先で偶然、歳を取った青年と出会ったんだ。『一緒にいた魔女はどうしたの』って聞いたら……フフッ、彼ね? 『あぁ、妻の事ですか』って! もうお爺ちゃんなのに、嬉しそうに顔を赤くしてさ?」


 ふと、ユリカはその魔女が酷く羨ましくなり、ようやくに止まった涙の感触を再び覚えた。


「まぁ彼も記憶が飛び飛びでね、ハッキリとした事は聞けなかったんだ、記憶が無ければ波動も意味無いし……でも、奥さんの最期だけはちゃんと憶えていたのさ」


 レガルディアは細い木から果実を捥ぎ、「シャネの実だ、食べる?」とユリカに手渡した。味が余り良くない……とユリカは顔を歪めた。


「美味しくないんだ、それ。……でも、二人の思い出の果実らしくてね、『もうじき自分は死ぬだろうから、トラデオに帰る。その内にここを訪れて、骸骨と灰の入った布が落ちていたら、湖畔に埋葬して欲しい。シャネの木も一緒に』……ってさ。お人好しな私は、こうしてトラデオにやって来て、墓を建てた、のさ」


 お終い――レガルディアは一人で拍手をしながらユリカの前に立つと、屈んで背を向けた。


「さぁ、乗りな。今日は疲れただろうから、明日の朝……お望み通り、泥を取ってやるからね」


 ユリカは拒む事無く、レガルディアの小さな背に乗った瞬間……岩の後ろに何かの文字が書かれているのを認めた。


「何と書かれているのでしょうか、あれ……」


 異世界の文字であれば、「執行者」は殆ど読めるのに――ユリカは訝しんだ。


「あぁ、あれかい? 私の一族にだけ伝わる、秘密の文字みたいなものさ」


 よいしょ、と身体を揺すってユリカの保持姿勢に入りながら、レガルディアは歌うように言った。


「『結界の魔女と夫婦の契りを交わし、救国の徒となりし者。共に永久とこしえに安らかに眠らん事、魔女レガルディアが波動を以て約束す』」


 こんなところかな――波動を操る魔女、レガルディアは照れ笑いを浮かべた。

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