女鬼対老兵

第1話

「アトラシア? だったらこの道を真っ直ぐさ。山を一つ越えなくちゃならないが……まぁ、馬がいるならそこまで辛い道じゃないが……」


 広大なデラ麦畑の手入れを行う男が、背後の山を指差したのはつい一時間前の事だった。ユリカは馬上から目礼し、段々と傾斜が強くなる道を進んで行ったが、「江井崎との一件」によって多少の疲労を覚えた為、適当な場所で野宿を行う事とした。


「さぁ、ロン君。草なら一杯生えていますからね、どんどん食べてくださいな」


 ユリカに勧められたと同時に、青毛の「ロン」は足下の草を食み始める。新しい馬主――ユリカもまた、大きな鞄を下ろし、ラネイラで手に入れたパンとジャムを取り出した。


「はむっ……うん、うん……梅干し? みたいな味……疲れが取れそうですね」


 続いてユリカは枯れ木を寄せ集めて小山にし、元の世界から持って来たライターによって火を灯した。を迎えるのは慣れていた。


「別に寒くは無いけど……やっぱり火があると落ち着きます」


 酸味の強いジャムに飽きた頃、ユリカはパンを焚火にくべた。バターが欲しいな……と力無く呟くも、馬は耳をピクリと動かすだけだった。


 パチン、パチンと不定期に爆ぜる音を聞きながら――ユリカは下腹部を外套の上からソッと撫でた。


 子宮本来の役目を果たせなくする「魔泥」が、不気味に蠢くような気がした。


「……はぁーあ、このようなままじゃ、孝行、きっと落ち込むだろうなぁ……」


 子供を産めないって? 何て事だ――落胆する孝行の表情を想像したユリカは、再び大きな溜息を吐く。


「確か、呪術というよりは……病気のようなものだって、あの転生者クレーネは言っていた気がするなぁ」


 彼女の記憶は正しい。無残な最期を遂げた転生者――魔女クレーネがユリカに施した「宮綴じ」という呪いは、遅効性の毒泥どくでいを子宮内に充満させ、受胎そのものを全て失敗に終わらせるものである。


 恐るべき毒泥にはもう一つ、「子宮から全身に伝播し、被害者を死に至らしめる」といった効果もある。勿論ユリカにはは予想が出来ていたが……。


 孝行の子を孕む事が出来ない場合、「別に死んでも構わない」とさえ思っていた。孝行の腕に抱かれ、「ごめんなさい」と一言謝れれば……それだけで彼女の人生は意味を持つのだった。


 しかしながら――阿桑田ユリカは諦めの悪い女である。丁度良く焦げ目の付いたパンを齧り、ふと……万死に値する雌の獣人キティーナについて書かれたの一部を思い出した。


「…………あれ? ちょっと待ってくださいよ……」


 ユリカは自分の頭をコツリと叩いた。


「私ったら、全くお馬鹿さんですよ本当に! ねぇロン君!」


 優しげな目をユリカに向ける馬は、すぐにそっぽを向いて食事に戻った。


「キティーナとかいう獣人は、薬の調合が得意……だったら!」


 満面の笑みを暗い空に向け、ユリカは「やったぁ!」と拳を挙げた、


「泥を消す薬を、作って貰えば良いんですよね!」


 そうと決まれば、作戦会議です! ユリカは小枝をペンの代わりに、焚火に照らされた地面をノートに置き換え……。


 鼻歌混じりに「作戦」を立て始めた。

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