第3話

 青毛の馬に与えられた――「ロンデボラ」とは、遡る事三〇〇年前、ラネイラの街で起きた事件に巻き込まれた男から引用されている。


 男の名前は「ロン」といい、彼は決して他言しなかったが――もう一つ、「経堂寿一郎きょうどうじゅいちろう」という名があった。経堂はこの世界に放り込まれた「転生者」であり、武術に長けていた事以外は、口下手で他人との交流を嫌った男である。


 経堂はラネイラに放蕩の末に辿り着き、街一番の「穢女」と蔑まれたミュリーズという女性と夫婦の契りを結ぶ。ミュリーズは当時流行していた伝染病「毒斑病」に冒され、力尽きた人間の死体を埋葬する仕事に就いていた。


 全身を紫色に染め上げ、腐臭を放つ死体を日夜運ぶミュリーズを、決して罵倒する事が無かった人間こそが――経堂だけだった。


 忌まれ、蔑まれる事を宿命づけられたミュリーズは、半ば「人間としての幸福」を諦めていたが……経堂だけは、無口ながらも彼女の仕事を手伝った。


 やがて二人はラネイラの郊外に移り住み、辛うじて生存を許されたような生活水準に身を置きながらも、それでも互いに「心だけは清くあろう」と励まし合った。


 ある日、ラネイラの街は戦火に包まれる。領土拡大のみを至上とし、隣接する国に弓を引く凶暴な独裁国家があり、不幸にもラネイラは「伝染病で弱った街」として狙いを付けられる。


 当時ラネイラを治めていたエルス公国(現エルニア連合国)にはまともな軍隊が無い、問題の独裁国家に「用心棒」を多額の金で依頼していたのである。飼い犬に手を噛まれる状況となったエルス公国は、次々と領土を失っていく。商業と観光で栄えたラネイラが陥落するのも時間の問題であった。


 この窮地を見過ごす事が出来なかったのが――経堂寿一郎だった。生まれも体付きも悪く、「馬肉にすらしたくない」と笑われた青毛の牡馬を近所の農家から借りると、引き留めるミュリーズに構わず、経堂は敵陣を目掛けて切り込んだ。


 武術に長けていると評判の経堂であっても、お伽話のような一騎当千を果たす事は出来ず――二二人目の敵兵を打ち倒した後に、全身を槍で貫かれた。


 夥しい出血の中……経堂は両手を開き、三〇〇〇を超える敵兵達に「まだ俺は死んでいない」と叫んだ。怒濤の勢いで敵兵は槍を突き出し、数分後には経堂寿一郎が、辺りに散らばっているだけだった。


 全く無意味であったように思えた経堂の突撃を――ある大商人(名をガリンズといった)だけが、遠見鏡から目撃した。彼は経堂寿一郎という男の最期に涙を流し、畏怖した後……。


 ラネイラの動物商に高額で卸す予定だった、異国より持ち込んだ猛獣――実に三〇頭余りを、独裁国家の兵士達に向けて放った。大商人ガリンズもまた、自由商売を奨励するラネイラに恩義があった為である。


 四肢に猛毒を分泌する棘を持ち、心臓が破れるまで戦うという異国の猛獣達は、自身を捕らえた人間への怒りをぶつけるように、兵士達と死闘を繰り広げた。


 兵士達は見慣れない、それも予想外の乱入者を恐れ逃げ惑い、挙げ句にはラネイラの住民に助けを乞う始末であった。


 結局――侵略を試みた兵士達は故郷へと逃げ帰り、生き残った猛獣は彼らを追って姿を消した。ガリンズは住民から「救世主」だと祭り上げられたが、彼は「真の救世主は私ではない、敵陣の中で霧散したあの男だ」とかぶりを振った。


 やがて住民は、穢れたミュリーズと夫婦になったおかしな男――「ロン」こそがラネイラの英雄であるとして、手の平を返すように謝恩金や花束を携え、彼らの家、と呼ぶには余りに粗末な小屋を訪れると――。


 眠るように亡くなっているミュリーズを認めた。死因は服毒によるもので、経堂の使用していた寝間着を抱き締め、傍らには遺書と思しき紙片が落ちていた。




 どうか、後を追う私を許してください。どうか、次の世でも貴方の妻に――。

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