第2話
「すいませーん、どなたか、いらっしゃいますかぁ」
ラネイラの外れにある牧場を訪ねたユリカは、主の暮らしているらしい小屋の扉を叩いた。しばらくすると扉が開き、億劫そうに老爺が「何だ」と邪険に返した。
「初めまして……突然で申し訳ありませんが、馬を頂きたくて」
「阿呆め」老爺は扉の横に掲げられている黒板を指差した。
「そこに書いているだろう、『実用馬畜売組合』と」
「ええ、書いてありますね、それが?」
「組合を通せ、って意味を含んでいるんだ。一見の、それも怪しい女に売る馬など、何処にもおらんわ」
ユリカは困り顔で小首を傾げた。
「急ぎなものでして。これから旅を始めようと思うのですが……どうか売って頂けませんか?」
お金はありますので――小袋を開いて見せたユリカに、老爺は「ふん」と鼻で笑った。
「金がどうこうの問題じゃない、然るべき手続きを踏めと言っているんだ。儂の育てる馬は質が良い、だからお前のような、怪しくて訳の分からない奴が次々にやって来る」
ピクリと眉を動かしたユリカは、「私のような?」と老爺に問い返す。
「そうだ、お前のような怪しい男だ。『急ぎの旅だ』とか何とか抜かしおったわ。それも獣人の女を連れて――」
その二人に……ユリカは食い下がった。
「馬を売ったのですか」
「お前に教える必要など無い」
パン、と乾いた銃声が鳴った。途端に老爺は「何故か出血している右膝」を抑え、顔を歪めて唸り出した。
「な、何を……!」
「教える必要はありません。もう一度聞きます、売ったのですか」
老爺は脂汗を流しながら、黙して彼女を睨め付けている。二秒後、彼の左膝が撃ち抜かれた。
「ぎゃぁあ……!」
「売ったのですか」
「……売った、売った……! 命は……命だけは……」
「最初から答えてくれれば、私、本当に貴方を殺すつもりはありませんでした。ちょっと反省する事がありまして……あぁ、それよりも……馬、頂けます?」
何でも持って行ってくれ――老爺は泣きながら馬房の鍵を、胸元から取り出した。
「やる、なんでもやるから……」
ユリカは侮蔑の目を向け、溜息を吐いた。
「気丈な人間が、ちょっと立場が変わるだけで情け無くなるのを……」
私、本当に嫌いなんですよね。
日に焼けた老爺のこめかみに銃口を突き付けると、「教えてください」とユリカは問うた。
「獣人の女は、どのような特徴がありましたか? 憶えている事、全部話してください」
「み、耳があって……あぁいや、獣の耳だ! それに……あぁ、耳が垂れていて……」
銃口をを捻るように動かしたユリカ。老爺は小便を漏らしながら続けた。
「そ、それで……髪が……向日葵色で……後は何も憶えていない、本当だ、本当だから……!」
「何処に行くか、聞いていませんか」
「そ、そこまでは……」
「何も?」
「あぁ、その……あっち、あっちだ……牧場の外に大きな道があるだろう、そこを真っ直ぐ……」
「その先に、何があるのですか」
荒い息で老爺が答えた。
「あ、あ……アトラシア……」
「アトラシア?」
「そうだ、アトラシアだ! 頼む、もう良いだろう――」
ええ、お疲れ様でした――人差し指を動かし、老爺の側頭部が弾け飛んだのを確認すると、ユリカは急いで馬房へと向かった。
「どの子にするかなぁ……」
現在、ユリカに「ツキーニ」という少女への感心は殆ど無い。彼女にとってツキーニは、憎き獣人の女と愛しい男に比べれば重要度は格段に低く、「ついでに見付かれば良いかな」程度のものだった。
一位。最愛の男性――孝行と添い遂げる事。
二位。泥塗れの変な女によって侵された子宮の復活。
三位。孝行に付き纏う「腐れ獣人」の殺害。
四位。ツキーニという少女の行方捜索、及び孝行の存在を知っているか否か。
以上が現在ユリカにとって「関心」のある事柄である。
ふと、ユリカは第四位に関わる少女――ツキーニの「殺したい人間がいる」という言葉を思い出す。
仮に、ツキーニが孝行を狙っているとしたら?
全く簡単な事であった。殺せば良いのである。
「よーし、君に決めました!」
青毛の牡馬を選んだユリカは、壁に掛かっているハミと鞍を装着した。少しも嫌がる素振りを見せない辺り、老爺の育成技術は確かなものらしい。
「久しぶりだな……大丈夫かな」
ヒラリと跨がったユリカは、大学生だった頃に仮初めの友人と出向いた乗馬クラブを思い出した。「才能あるね」と厩務員に褒められたのが自慢だった。孝行に関する事象以外には特段の興味を持たない彼女であっても、乗馬に限っては「またやってみたい」と思えたのである。
「よしよし……君は、名前は何と言うのでしょうね?」
彼が繋がれていた場所には、老爺が書いたであろう尖った文字で「ロンデボラ」と記されていた。
「ロンデボラ……ロンデボラ……ちょっと呼びにくいですね、今日からはロン君、と呼ぶ事にしましょう。分かりましたか、ロン君?」
青毛のロンデボラ――ロンは黙したまま、しかしユリカによる首への愛撫に目を細めていた。
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