第5話

 そうそう、ツキーニさんは……と、ユリィ――もしくはユリカが声を掛けたのは、翌日の早朝であった。二人は夜遅くまで語り合い、そのまま寄り添うように微睡んだのである。


 歯ブラシ代わりに使用するという枝を口の中で動かすツキーニは、キョトンとした表情で「何?」と聞き取り辛い声で返す。


「昨日のお話……貴女はある人を追って、復讐を果たそうとしているのでしたね」


 小川で汲んで来た水で口をゆすぎ、少女は俯いて言った。


「そうよ」


「……聞き辛い事なのですが、ツキーニさんは何を以て、復讐を完了とするのですか?」


「決まっているわ……殺すのよ」


 語句の強さに反するように、ツキーニの顔は酷く弱々しいものだった。


「経験がありまして?」


 ユリカは口内に残るミントの味を感じつつ(前の世界から持ち込んだ歯磨き粉を使用していた)、補足をした。


「人間を殺める事を、です」


 ジッと彼女を見つめ……ツキーニは囁くように答えた。


「無いわ」


 殺人経験が無い事を恥じているらしかった。ユリカはばつの悪そうに俯くツキーニの肩に手を載せ、「ツキーニさん」と彼女の名を呼んだ。


「残酷な事を言うようですが……貴女はどうも、復讐に向いていない気がします」


 俄に顔を上げ、ツキーニは「そんな事無い!」と肩に載る手を払い除けた。


「顔だって憶えている、声だって、雰囲気だって! その全部を憎んでいるわ、今はかもしれないけど、でも会えば絶対私は殺せるんだから!」


 興奮した様子のツキーニだったが……すぐに我に返ったのか、「ごめんなさい、ユリィ」と頭を下げた。


「……いえ、謝る必要はありませんが……ツキーニさん、これは親友としての忠告ですよ、目の前に標的がいたとして……貴女は殺し切れるのですか」


 二人の頭上で小鳥が鳴いた。水場の近くに生息するこの小鳥は、天気の良い朝だけ囀るという習性を持っていた。


「ツキーニさん、誰かを殺すというのは……とても『才能』の必要な行為だと知っていますか」


「……才能」


「そうです、才能です。勉強が出来る、運動が得意だ、という才能と一緒です」


 ツキーニは弱々しい声色で問うた。


「……私に才能が無い、って言うの? どうして分かるの?」


 ユリカは無垢な輝きを湛えるツキーニの双眼を見つめ――回答した。


「私にはがあるからです。だから分かります」


「……じゃあ、ユリィは今まで……」


 えぇ――ユリカは頷いた。


「数えてはいませんが、貴女の想像を簡単に超えるぐらい……ですよ」


 怯えと畏怖を混ぜ込んだような表情のまま、ツキーニは更に問う。


「最近も?」


 しばらくの間を置き……ユリカは声調を変えずに、淡々と言った。


「村を一つ、私だけで」


 少女は口を微かに開くと、そのまま呆けたような顔で「殺人鬼」に注視した。


 持つ事すら躊躇われるような才能の塊――それがこの人なの?


 などと思っているのでしょうね……ユリカは声にならない少女の驚嘆を、確かに聞き取った気がした。


「怖いですか?」


 ユリカの声色が――赤子を撫でるような温かい、柔らかなものになった。


「これが私、これが貴女の親友です。ツキーニさんには知っておいて欲しかったのです」


 話はこれからですよ……ユリカが言った。


「ツキーニさん。貴女には確かに才能が無い、それでも……何とかして復讐を果たしたい、そうですね?」


 ツキーニは頷かない。しかしユリカはその行為を「肯定」と捉えた。


「才能は受け取るものではありません。才能とは――」


 目覚めるものです……ユリカは言いつつ、ツキーニの目をソッと手で開いた。


「朝、眠りから覚めるように……広がっていた闇を切り払うように……広がる景色を楽しむように……」


 どうでしょう、ツキーニさん――風に外套をなびかせ、ユリカは蠱惑的な声で囁いた。


「目覚めたいですか」


 ユリカの声はまさしく……声帯ではなく「悪意の沼」から響いていた。明確な悪行である殺人、その才能を目覚めさせようと誘う女に、穢れを良しとして旅を続けていたツキーニは果たして――。


 ゆっくりと頷く事で、僅かに残った良心を壊疽させたのである。


 それから二人は立ち上がると、手早く準備を終えて歩き出した。

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