第49話天使の食べ物

 今日も少ししかヨムできなかった、ダメなわたくし……。朝は九時まで寝てて、朝食食べたら二時まで寝て、ってやってたから。

 :いやいや、もっとすごいことやってるでしょう。

 え? どんな?

 :野菜を食べてないのにラッキョウ食べるとか。

 それは、すごいことなの?

 :ラッキョウは漬物でしょう?

 ああ、うん。たまり漬け。

 :ウキウキしながらたまり漬け食べてたでしょう。

 ラッキョウは血液サラサラになるんだよ。いけないの?

 :いけません。

 え? ええ? どうしてー?

 :どうしてじゃないよ。間違いなくラッキョウは体調悪くする原因になる。

 体にいいはずじゃないの?

 :たまり漬けは、アブナイ。

 なぜに!?

 :たまり漬けのいいところは、味がさっぱりしているのよね。だいたい。

 はい……。

 :たまり漬けのいいところだけしゃべっておこ。

 はいー?

 …

 ラッキョウのたまり漬けのどこが悪いのか全然わからない。たまにこういうことある。

 :まさかねー。

 なに? 気になる言い方。

 :ラッキョウがねー。天使の食べ物とはねー。

 え? またなの?

 :そうでーす。

 死ぬときがきたのか。

 …

 このエッセイ、遺書になるかもしれないので、慎重につづっていこうと思う。

 天使の食べ物、っていうのは、死ぬ間際にそれだけを食べ続けることになる食べ物。

 以前はヨーグルトだった。

 日がなベッドに横になりながら、たまに空腹を覚えると口にする。

 ダイエットのつもりでいたが、とんでもない。

 便秘にはなるし、体重はニ十キロも減るし、両足は激痛で歩けなくなるしまつ。結局、わたくしは病院送りになったのだよ。

 そして、それらすべては、前もって啓示があった。

「ベッドに寝てなさい」

「ご飯は食べちゃだめ」

「ヨーグルトならいいよ。天使の食べ物だよ」

「トイレにいかなくなるよ」

 頭の中に声が聞こえた。

 そうして、死ぬための準備が始まっていったのだ。

 全寮制の大学だったから、別にひと月部屋に引きこもっていようが、餓死しようが、誰にも気づかれないはずだった。

 気づかれてしまった。それだけのことだ。

 死ぬ間際、夢にどくろだの棺桶だの、墓場だののイメージがぶくぶく沸いた。憶えておこうと手紙用の便せんに書いてベッドの下に入れておいたが、あれはどうなったのだろう。

 わたくしが生まれたばかりのときの、母の写真をコルクボードに貼っておいたのだが、日本に帰ってきたとき、それは戻ってこなかった。あれ一枚きりだったのに……。

 日本に帰ってきたとき、足はなえていたけれども、体重が激減していたので、何とか立って歩けた。しかし、両親が家に置いておけないといって保護入院させた。

 両脇をとっ捕まえられて引きずられて車に乗せられ、薄暗い病院へ連れていかれた。気づいたら、入院の承諾書にサインさせられていた。

 その日のうちに四階へ入院させられ、六号室につれていかれ、ベッドに手足を布切れで拘束され、病人たちに覗きこまれながら、一本六千円だかの点滴を半日で三本打たれた。中身はブドウ糖だったらしいのだが、そんなことは知らないわたくしは、怖くて拘束を自らほどいて(関節が痛かったので暴れた)腕の針を引き抜いた。一本六千円もする点滴なんて冗談じゃないと思った。

 食事を拒否するわたくしに、看護師はすりおろしたニンジンだの林檎だのを鼻からチューブで胃におくり、延命してくれた。しかし、わたくしは天の声にしたがい、三日三晩食事を絶った。父も母も看護師もベッドを囲んでわたくしに「三日三晩なんて、どこから聞いたの?」と問い詰め、食事をさせようとした。わたくしは知らなかった。天からの声ならば従わねばと思っていただけだ。それから病院食を食べ始めたのだが、固形物が喉を通らなかった。パンもご飯も唾液を吸収すると、脱脂綿のようにのどに詰まって……。しばらくげーげー吐いていたのだが、同じ四階の住人に「看護婦さーん、あの人口に入れた食べ物、トイレで吐いてるー」と告げ口され、「あの人はそういう病気なの」とフォローされた。

 食べることをタブーとされて絶食したのに、病院にくると食べないのはタブーなわけだ。振り回されてえらい迷惑をこうむった。

 …

 まあ、なんだ。自殺する人は「よし! 自殺をするぞ」とか思うわけじゃなく、気がつかないうちにふらっとそちらへ足を踏み入れているのだ。わたくしは自分で気づいてはいたのだけれど、それで死ぬことになろうとは、これっぽっちも思ってなかった。放っておいてほしかった。

 放っておかれたら死んでたのだろう。

 これはわたくし自身の弱さだ。本来誰にも助けられないことなのだ。

 しかし絶食は遥か古代より、女子の病として有名で「後宮物語」でもセシャーミンがなっていた。彼女は貧血で倒れるのだが、紅葉という才媛が治す方法を知っていて、「寝ている間にスープを胃に流し込む」ということでその命を救っていた。その時代においても「古くからの女子の病」とされていたから、遥か古代、で間違いなかろう。

 …

 でも、まあ。今度は成り行きがわかっているわけだし、心配はあまりいらないと思う。今度は自分で引き返してみせるさ。生きようと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る